まえがき     

 私たちは北陸の、とある田舎町に生を受け、豊かな自然と、由緒ある歴史と、まわりの人々の暖かいまなざしとに包まれて、無邪気な少年時代を過ごしました。しかしながら必ずしも平穏ではなく、第2次世界大戦の際には、こんな田舎町でも空襲警報で逃げ惑う日々がありましたし、戦後すぐに歴史的な大地震に見舞われ、肝を冷やしたこともありました。そのころは食べ物も着る物も粗末で、皆一様に貧乏な生活を余儀なくされていました。そんな中でも大人たちは、明日のため、私たちのために一生懸命がんばってくれていましたし、私たちにも夢と希望が一杯ありました。それぞれに、未来に羽ばたく大きな夢でした。

 私たちの町は、その昔、越前の国府が置かれた土地で、武生(たけふ)と言います。戦後の荒廃の中で新たな教育制度ができ、そこに「武生第一中学校」という名の学校が誕生しました。私たちは、それまでの仮住まいの校舎から木の香新しい校舎へと、2キロメートルの距離を歩いて自分たちの椅子や机を運びました。栄養も十分ではなかった小さな体には、椅子や机がいかにも重く、何度かの往復の道程がとても長く感じられたものでした。

 この新しい学校での教育や体験は、私たちにとって実に素晴らしいものでした。先生たちの情熱と私たちのひたむきさが一緒になって溶け合い、より高くへと昇華していったような感じさえしています。とくに理科や数学に興味を持った者が多かったようでした。その第5回目の卒業生が私たちというわけです。

 私たちは、武生第一中学校を卒業以来、あちこちに散りました。高校へ進学し、さらには大学へと進んだ者も数多くいました。それぞれに時期は多少違いますが、社会に出ていろんな職業に就き、仕事の上で多くの経験を積み重ねてきました。そして、皆がそれぞれの立場で直接・間接にわが国の産業を支え、文化の醸成にも寄与して、わが国の発展に少なからず貢献をしてきました。

 社会に出て34年ほど経過したとき、皆で示し合わせ、連絡を取り合って、はじめて同窓会が持たれました。私たちはまだ現役ばりばり、破竹の勢いの時期でした。ちょうど昭和26年度の卒業生でもありましたから、皆で付けた名前が26会でした。何とも知恵のない、単純な名前でしたが、でもそれ以降、この武生26会という名は私たちの誇りとなったのです。

 現在では、会員の大方は第一線を退きましたが、これからは悠々自適の中にも、「後輩のために何か役立つようなことができないか」、「日本のために何か有用なことはできないか」と考えている者も少なからずいます。このたび有志が集まって何ができるかを相談したところ、そろそろ古稀を迎えようとしている私たちですので、まずは古稀記念の文集を制作し、後輩に読んでいただければ幸いと考えるに至りました。

 あるマスコミの調査によりますと、私たちの武生26会は極めて特異な集団とのことでした。北陸の、田舎の中学校の、しかも同じ学年から、これだけ多彩な人間が輩出され、それぞれが活躍してきた理由は何だろうということで、かなり注目もされているようです。勉学離れの激しい現在、この文集を通じて、先輩である私たち武生26会会員の活躍の様子を知ってもらい、その結果、それぞれの明日に向けて、少しでも新たな希望が生まれ、期待がふくらみ、意欲が湧いてくれれば、と願っています。そして将来、郷土の誇りとして活躍してくれる人材が一人でも多く輩出されるとすれば、私たちにとってそれに過ぎたる喜びはありません。

 この文集には、理系・文系を含むさまざまな人たちが登場します。仕事の上ではみな、経験豊かな達人ですが、必ずしもすべてが文筆に長けているわけではありません。ここに採録された私たちの文章も、まだ稚拙と言われるかも知れませんが、それでも構わないのです。読者の方々には是非その行間を読んでいただき、私たちの意思を、私たちの生きざまを、私たちの真心を、私たちの技術の真髄を、少しでも理解していただけると嬉しく思います。

 そしてとくに若い読者には元気を出していただきたいのです。これからの長い人生の上で苦しいことは一杯ありましょうが、悔やんでばかりでは未来は開けません。努力です。辛抱です。挑戦です。それが未来を開きます。あなたたち若人の未来が、素晴らしく輝きますように、心から祈念しています。私たちもまた、残された余生を精一杯生き、ふるさとの誇りとして、これからもまだまだがんばっていきたいと思っています。

平成17年初夏。

無邪気な挑戦者集団 武生26会 有志一同