発刊を祝して

 武生第一中学校校長 中島和則   

 「無邪気な田舎の挑戦者たち われら同窓生の奮戦の記録と後輩たちへの提言」の発刊を心からお祝い申し上げます。武生26会の方々には、自分の進む道に邁進され、それぞれの分野の充実・発展にご尽力されて多くの成果を収めてこられましたこと、そして、同窓の方々と長年にわたり親交を温め続けてこられましたことに対し、深く敬意を表します。

 会員の皆様が在学されていた昭和24年〜昭和26年といえば、戦後、貧しい生活の中から新しい日本の創造をめざして、国民が一丸となって復興に力を注ぎ始めた時代であります。また、武生第一中学校においても、開校3年目から5年目にあたり、まさに草創の期を過ごされたことになります。学校の沿革史や生徒会誌「葵」で、当時の学校の様子をみますと次のような内容が記してありました。


昭和24年度   武生市、大虫村、吉野村の組合立中学校となり、校舎が足りず、武生西、武生南、大虫、吉野の各小学校の教室を借りて授業を行う。6月に新校舎が完成し、自分たちで机、椅子を運び新校舎に入る。
昭和25年度    吉野村、大虫村が武生市に編入され、組合立中学校から武生市武生第一中学校と改称される。ブラスバンド部が県下音楽コンクールに初出演し、器楽第1位の成績を収める。校舎の落成式が行われ、文部省から優良施設校として表彰を受ける。
昭和26年度 校旗・校歌が制定され、発表会が行われる。県体野球大会では小浜中と対戦し、延々30回に及ぶ戦いとなり引き分ける。書道部が、書初め大会で4ヶ年連続優勝を収める。東海・北陸の放送教育、職業家庭科教育、視聴覚の各研究会が行われる。

 生徒会誌「葵」は、文化部・新聞部が中心となって編集し、この年(昭和26年)に創刊されました。その中では、学校生活での意気・覇気を随所に読みとることができます。

 当時の生徒会長(武田道雄氏)の抱負と回顧の一節を紹介します。「私が会長として、諸君に希望することは唯一つのみであります。諸君は、武生一中の生徒会員として、世間に恥じる行為をなさぬように常に自覚ある行動をとっていただきたい。武生一中の生徒会員として、自分の良心に恥じざる行動、これをあらゆる点において考えていただきたいのです。我々が愛する一中をより良く、より美しくせんがために、生徒会は一致協力して事にあたり、活動を続けねばなりません。」と訴え、当時の生徒会ならびに生徒の皆さんの学校に対する想いが伝わってまいります。

 当時と同じ地で学んでいる私たちではありますが、先輩諸氏の想い・考えを継承しながらも、徐々に考え方・価値観が変わってきたのも事実です。今日の教育現場を眺めてみますと、学校週5日制の導入、科学技術の発展と国際化、情報化社会に対応した教育など、社会の要請に応えての大きな転換期を迎えております。また一方では、「いじめ」や「不登校」問題とともに、青少年による痛ましい事件が全国各地で発生し由々しき問題となっております。このようなことは「都会」も「田舎」もありません。

 生徒たちの内情をみると、「勉強嫌い」、「勉強のできる人間になることを希望しない」、「倫理観や道徳観が失われ、自分だけが良ければ」という生徒が増えているようです。そのような現状の中で、今一番大事なことは、命の大切さだと考えます。自分がこの世に生まれてきたことは、とても尊いことであるということを理解し、人様に迷惑をかけないで、社会のため自分は何ができるか、また、何をしなければならないかということを学んでほしいと思っています。

 生徒たちにとって、中学時代は人格を形成する上で極めて重要な時期であります。たくましく夢を持って生きる生徒たちの育成のために、本書の発刊は本当に嬉しく、今後 本校の学習活動の中で貴重な宝物として活用させていただきますことをお約束します。

 最後になりましたが、武生26会の皆様のご健康とご活躍を心から祈念しますとともに、後輩であります私どもに、今後も数多くの夢を与えていただきますようお願い申し上げ、お祝いの言葉といたします。