武生の概要
武生(たけふ)市は人口7万余、こじんまりした田舎町の風情を持ったところです。私にとっては最高に住みよく、大好きな街。第2次大戦中も戦災に会わず、その後襲った福井地震の被害もなく、穏やかで、静かで、落ち着いた雰囲気を保っています。
「越前富士」と呼ばれて親しまれている日野山は高い位置から武生を見守り、それに寄り添うように座っている村国山(別名
蘆山・芦山)の緑と、その横を流れる日野川の清流とは、私たちの生活に潤いを与えてくれる武生市の象徴でもあります。
春の桜、秋の紅葉に加え、冬の雪景色もまた格別です。ときには豪雪で悪戦苦闘することもありますが、私たちの日々の平穏な営みに対するある種の警鐘として、強く生きる力を育んでくれているようにも感じます。
武生の歴史
この武生市が歴史上重要視されるようになったのは、国府が置かれ、国分寺が建立された奈良時代からと聞いております。ここは都からみて北陸への入り口にあたり、地形的にも重要な位置。ここにその昔、越前の国府が置かれ、この地区の「まつりごと」(政治)がなされたことも判るような気がします。
当時武生は「府中」と呼ばれていました。紫式部が幼少時代、父の藤原為時の国司任官に伴って訪れ、1年余を過ごした土地柄でもあります。その国府の跡がどこなのかは今もって特定されてはいませんが、武生に育った私たちの心の中には、悠久の昔へのロマンとして、当時の国府の情景が、鮮やかとは言えないまでも確実に存在しています。
江戸時代に入り、府中領主の本田富正が町用水を作りました。その後、大正天皇の即位を祝って、この町用水の両側に松が植樹されたとのことです。第一中学校の校舎から見た雄大な日野山の姿と村国山の風景に加え、盆地の中を飾る「町用水と松並木」は、武生の町を彩るシンボル的な存在でありましたが、この町用水が車社会の到来で暗渠化され、松が切り倒されてしまったことは、いま考えると本当に残念というよりほかありません。
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その昔、武生市内を流れていた町用水。両側には松が植えられ、独特の雰囲気を醸し出していた。私たちには懐かしい風景。 |
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武生の風情
その後当時の風情が、一部ではありますが「紫式部公園」とその近郊に再現されていますし、すでに長年の伝統となっている秋の「武生菊人形」も全国的に名声を上げ、菊花の薫り漂う「万葉の里」も、歴史を重ねるにつれ風情を増し、これからさらに発展していくことでしょう。最近では街の一角に、建ち並ぶ商家の蔵を改装して新たに「蔵の辻」も造られ、独特の風情を生んでいます。
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武生菊人形の会場風景。毎年秋に市内の常設会場にて開催され、北陸3県は言うに及ばず、遠く関東・関西からも来訪者がある。 |
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紫式部公園からの越前富士「日野山」の遠望。 |
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武生駅前風景。 |
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武生「蔵の辻」。 |
ご存知のように武生の物産品の代表には、「越前そば」と伝統工芸品「越前打刃物」があります。1337年に京の都から刀匠 千代鶴国安が刀剣製作の適地を求めて来住し、刀鍛冶の高度な技術を教えたことが越前打刃物の始まりとされています。
武生はこの「越前」の中心として、近い将来、名前を「越前市」に変更することが決まっています。でもこの懐かしいふるさと「武生」の名は、私たちの心の中に永遠に生き続けていくことでしょう。
私の中学時代
昭和22年3月に教育基本法と学校教育法が制定・公布され、6・3・3制の学校制度が発足し、武生第一中学校もその5月1日に創立されたと聞いております。終戦を経てようやく少し落ち着きを取り戻したころに、私たちは中学時代を迎えたわけです。
しかし私たちの入学した昭和24年には、まだ勉強する校舎はありませんでした。2・3年生の先輩はたしか西小学校校舎に隣接した旧女学校の校舎で勉強し、私たち1年生は南小学校校舎の一部を借りて勉強するという状況でした。6月になってようやく新校舎1棟12教室が完成し、夏休み前に南小学校から新しい第一中学校へと、自分たちの手で机・椅子を運んだものです。汗をふきふき、20歩ほど歩いては一休みするという繰り返しで、片道に半日は掛かりました。このことは決して忘れることの出来ない思い出となっています。でも新校舎に入れる嬉しさで、当時はその苦しさをあまり苦痛とは感じなかったようでした。
この新装なった校舎は、木の香新しいとはいっても荒板を削っただけの廊下でした。家からそれぞれが「米糠(ぬか)」を持ち寄り、毎日掃除の時間に、廊下や階段の「糠磨き」を全員で行った思い出もあります。今思えば懐かしい光景として目の前に浮かんでまいります。
この私たちの時代は、新しく民主主義体制に入ったとはいえ、先生方の指導方針には戦前同様の意気込みが見られ、躾の面では少々スパルタ方式でもありました。しかし、悪いことをして注意されるのですから体罰は当然のことと受け止め、反省し、歯を食いしばってがんばっておりました。物資面では決して裕福な時代ではありませんでしたが、精神面での教育はこの中学時代にしっかりと植えつけられたように思います。
これからの社会
すでに私たちの中学時代から半世紀余りが経ちますが、この時代からみると社会も随分変わってきているようです。人の迷惑を顧みない身勝手な自由が横行し、力(暴力・金力など)でことを解決しようとする社会になっているように思います。また、人に迷惑を掛けても何とも思わない心の貧しい人が増えております。さらに悲しいことは、私たちの中学生のころには考えられなかつた少年期の犯罪が多発し、その犯罪も低年齢化が進行していることです。
私たちの祖先は、自分たちの子や孫のために住みよい社会を求め、汗を流し、ときには血を流すまでしてようやく住みよい社会にたどり着いたのではないでしょうか。祖先の努力を水泡に帰さないためにも、心豊かで、優しく、平和で、安全な社会を目指さねばならないと思います。悠久の歴史に彩られ、菊花の香り漂う穏やかな街
武生からは、非行や不祥事などの不幸な出来事が決して生じないようにしたいものです。
若い後輩の皆さん、校歌に歌われているように、風雪に耐えて、明るく強く生きてください。心の友の集まる武生第一中学校で学んだ一人として、卒業されても誇りを持ってがんばっていただきたいと心から念じています。