No.1
我が人生に悔いなし

― 生に感謝し、今の社会をみつめる ―


安 藤 スミ子


安藤 スミ子(武高30会会員)
ANDO, Sumiko

 1952年武生第一中学校、1955年武生高校卒業。同校事務職員を経て翌1956年から福井県庁に奉職。教育委員会事務局、総務部県史編纂室総務係長を経て、1987年福井県教育研究所総務課長。その後商工労働部などを歴任し、観光物産、生涯学習などの業務を担当。1994年福井県福祉保健部児童家庭課長、1996年同部理事ののち、1998年福井県庁を退職。同年ふくい女性財団専務理事。2004年からは武生市社会福祉協議会副会長並びにたけふ男女共同参画ネットワーク代表に就任し、2005年からは越前市男女共同参画ネットワーク代表・理事、NPO越前市子どもセンター“ピノキオ”理事長、越前市赤十字奉仕団の副委員長を務め、現在に至る。(福井県越前市在住)



 武高を卒業してからの42年間を福井県庁で懸命に勤めたが、そのあとの地元越前市での暮らしでは、比較的ゆっくりと時が過ぎていったように思われる。それでも最近は、当市でも教育・子育て、食生活、職業、趣味、勉強会など、女性グループの情報交換が盛んになってきて、私も少なからずそのような組織での研修・啓発事業に参加させてもらっている。

 例えば、退職後に「ふくい女性財団」の意向を受けて、武生・今立が合併した2005年に「越前市男女共同参画ネットワーク」が発足し、以来、その代表・理事を務めている。ここでは、17地区の自治振興会と13の各種女性団体(消費者協、民生委員連、母子福祉連、更生保護会など)が、交流を通じて社会とのつながりと輝く女性を目指しており、その人たちの活溌な姿から元気をもらっている。



 また、特に子育ての支援事業として市の福祉センター内に設置されたNPO越前市子どもセンター「ピノキオ」では、定期的な乳幼児健診のほか、育児相談や保育預かりなどがあり、保育士さんたちが子供たちを優しく見守りつつ運営してくれている。設立10年を迎え、今では地域住民から頼りにされる良いセンターになったと思っている。今後も、ここが幼児たちの自由な遊び場であり、お母さんたちが安心する場になってほしいと願っている。

 さらに、日本赤十字については、年に4〜5回巡回してくる献血車の受付、歳末の募金活動への協力を柱に、近年は障害者支援の活動や福祉施設の手伝いにも出掛けている。また、防災訓練でも大事な役割があり、すべての活動が大勢の奉仕作業で支えられている。



 その活動の一環として、助け合いの心を幼児たちに伝えようと、紙芝居公演を開いて喜ばれたこともある。この「越前市赤十字奉仕団」の副委員長を受けて4年になるが、そろそろ若い世代へのバトンタッチをと願いつつ活動に参加している昨今である。

 とくに退職後は、越前市での県庁OBの会「扇寿会」に集まる楽しみができた。会として越前市を応援し、協力していきたいと考えていて、例えば武生菊人形の継続を陰ながら後押ししようと、OSK歌劇団との交流もその一つになっている。世代交代もあって、近頃はメンバー11人が時々集まって歓談している気楽な会である。



 最近、テレビでフィギュアスケートの放映を見ながら、日本選手の活躍に感動している。スポーツの世界も含め、日本は全ての面において成長を成し遂げた。

 私たちが生まれた年代は、全ての面で豊かさとは程遠く、それに戦争という大きな惨禍にも巻き込まれた。小・中学校時代での通学は下駄履きで、雨靴などは夢の中の品物だった。私が我慢をしているのを見かねて、母は中学2年の時に雨靴を買ってくれたが、このときの感激は、現代の子どもたちにとっては笑い話にさえなるまいと思う。このように悲惨な生活を味わいつつも、その中で我が国は成長を成し遂げ、すばらしい国となっていった。国民一人ひとりが、まじめに働き、努力し、家庭を支え、職場を盛り立て、地域を盛り立てた賜物と思う。



 私個人も、子どもの成長を願い、子どもが大学に合格した時には感激し、さらに結婚、孫の誕生、その孫もまた結婚と、嬉しいやら,淋しいやら、あれこれしているうちに早くも80歳を迎えようとしている。過ぎた事を思えば、楽しいこと、悲しいこと様々であるが、今日まで生を貰っていることにまずは感謝し、今の社会をあらためて見つめる今日この頃である。