越前と呼ばれてきた北陸の地、福井県。そこの丹南地域一帯は継体天皇ゆかりの地で、1500年以上もの歴史の中で「ものづくり」の中心として、越前和紙・陶器・漆器・織物・越前打ち刃物などの伝統工芸を育んできました。
奈良時代には、北陸への玄関でもあるこの要衝の地に越前国の国府が置かれ、国分寺が建立されました。いわゆる「越の都、府中」の誕生です。平安時代には、この越前国の国司に任官された藤原為時がその娘である紫式部を伴って赴任し、以来、紫式部は、その17歳前後の多感な一時期をこの地で過ごし、歌も残しています。
長い歳月の後、明治の版籍奉還を機に「武生(たけふ)」と呼ばれるようになり、戦後の昭和23年(1948年)には神山村と合併して「武生市」が誕生。以来、昭和34年(1959年)までの約10年間に、近隣の吉野・国高・大虫・坂口・北日野・王子保・北新庄(一部)・味真野・白山の各村を編入しつつ、市としての形態を整え、さらに約半世紀後の平成17年(2005年)には、粟田部・北新庄(一部)・北中山・南中山・服間・岡本の各町村を母体とした隣接の今立町と合併し、「越前市」へと名前を変えました。
この丹南地域には、越前市のほかに、鎌倉時代に誠照寺の門前町として発展し、江戸時代には鯖江藩の陣屋町として栄え、現在では日本一の眼鏡枠の産地として知られる「鯖江市」があります。また、日本六古窯の一つ、越前焼き陶器で古くから知られる「越前町(丹生郡)」や、越の富士とも呼ばれる秀峰日野山(標高795m)が聳え、清流日野川の源流で、泉鏡花の戯曲にもなった秘境
夜叉ヶ池を擁する「南越前町(南条郡)」や、総面積の90%が山地という山間の地ながら伝統芸能の能楽を受け継ぐなど、自然と文化の豊かな「池田町(今立郡)」が含まれています。