惨! 教職員の罹災状況
九頭竜川を越えて森田に到るともうすぐ震源地も近い。それだけにこの辺の惨状は実に同情に堪えない。すべて家屋は崩壊又は倒壊し救援の手を差しのべてくれる者も少く家族だけの力で少しづつ震災の後片づけをして居る。この地方に校長先生と江川先生と高橋先生のお宅がある。坂井郡東十郷村の水上校長先生のお宅は全く壊れ、寂とした儘にその無惨な残骸を横たえて灼熱の太陽光線を浴びている。哀れさを超越した物すごさだ。(中略)。江川先生のお宅も全壊であり、御主人の母親がこの家の下敷になって死亡された。大きな古い田舎屋がどっさりと地上に伏して居り、藪もぐっしゃりと倒れている。江川先生は国語の先生で奉職以来まだ日が浅い。先生は家族の方々とあの大きな家を細々片づけて居られる。静かな昼に黙々と何かを考えつつ倒れた家を取片附けて居る小さく哀れな人間像、そして恐ろしいまでに物寂しく暗黒な仮小屋の夜。なんと悲惨な姿であり、生活であろうか。(中略)。かつては活発な熱心な数学の先生(編集部注:高橋先生のこと)であり、元気の溢んばかりの声で「何事もやれば出来るんだ」と生徒を大きな力で引張って下さった先生は痛ましくも倒れ伏して居る我が家をしょう然と御覧になって居られた。涙さえ宿る先生の瞳には余りにも無惨な、余りにも破壊的な大自然の脅威の結果がどんなに悲しく映じたであろうか。(後略)。
反省の契機
去月末北陸地方を襲った大震災は我々に幾多の意味深き示唆を与えた。我々はこの震災に依り今更新たなる自然の偉大さを感じた。特に自然科学の一端を荷負う我等学徒は改めて地震に対して奇異の眼を見張った者も少なくなかったろう。震災は未知である。それが為に無頓着になり勝である。我々は自然の実在性を忘却していた。あらゆる無味乾燥な世相に気を奪われた人間性を忘却して、そして自然を顧みる事が出来なかった。(中略)。我々はこの機会に際して現世の不自然と自我の不健全を猛省して真に確実なる高遠なる自然に純化して遅々たる歩みでもよいから発展すべき力強い契機としなければならない。
生徒の罹災状況
北校舎
全市殆んど崩滅した運命の街福井市に於ける本校罹災者
普3の1 師田黎明君の家は豊島上町で倒壊の後焼失し一切の家具は灰と化した。
普3の1 松代清君は二の丸町から通って居たもので家屋は全壊し父と本人は軽傷を負った
(以下、学年・クラスごとに14名の被災状況が書かれているが省略)
以上が北校舎の生徒の罹災状況であるが、かう並べ立てただけではそうも感じないが、一挙にしてその住居を焼失し又は破壊されたこれら罹災せる朋友の実情を眼前に見る時ただ同情と憐憫の情の湧き起こるのを感じる。我々は最大限の救援と同情を寄すべきである。(後略)。
廃墟に訪れて
七月六日定期試験を延期した我々三年の志願者三十名は中村、中井、猪飼の諸先生に引率されて本校に奉職する水上校長、高橋、江川先生のお宅へ救援に出発した。九頭竜川を渡舟で越えて鉄道線路の枕木の上を歩き出した頃には一雨降らして空を彷徨して居た暗雲も晴れて次第に暑苦しくなってきた。春江で猪飼先生の一隊は高橋先生のお宅え分れ丸岡駅で中井先生の一隊は校長先生のお宅えと我々と分れて行った。(中略)。田圃には一滴の水もなく青く伸びた稲の上を真昼の日光を浴びてトンボが二、三羽風に流されながらも飛んでいる。先生の部落え入る頃にはもう一人残らず疲れ果ててただ黙々と機械的に足を運んでいるだけだった。(中略)。先生は非常に喜ばれ家族の方々も急に元気づいた様子で、その嬉しさの表現を忘れたかの様に私達を眺めて居られた。むしろを敷いた路傍で簡単な昼食をすませた私達はしばしの間、無言のまま今日から三日間力一ぱい作業して整理すべき大きな家屋の崩壊して地に伏して居るのを凝視していた。(中略)。震災以来一週間以上経過しているに拘らず私達が今眼前に見る様な状態は、先生方の努力が如何に一生懸命なそして如何に痛ましくも心細いものであったかを如実に物語っていた。私達は日の暮れないうちに完成しようと懸命の作業を続けた。屋根を葺いている間に下では桷を張って、太陽が倒壊した家々の屋根にかくれる頃には大体完成した。 (以上)