わが青春のデンスケ
― “アラ傘”元記者のつぶやき ―
小 田 貞 夫

小田 貞夫(武高30会会員)
ODA, Sadao
1952年武生第二中学校、1955年武生高等学校、1959年東京教育大学文学部を卒業してNHKに入局。名古屋、東京社会部、横浜、解説委員室、松山、新潟などで報道の仕事をする。定年後は嘱託として『20世紀放送史』の執筆と編纂に関わる。この間、十文字学園女子大教授など、21年間に10校で「マスコミ論」「災害情報論」などを講義。著書には、「横浜ステンショ」(有隣堂)、「危険都市」(有隣堂)、「横浜史を歩く」(NHK出版)などがある。2013年すべての仕事を引退し、以来気随気侭の毎日。メールエッセイ『徒然記』の執筆・発信を生きがいにしている。(神奈川県横浜市在住)
■ 一枚の写真から
もともと整理・整頓は不得手である。数十年にわたって撮りためた写真が無造作に紙袋に突っ込んである。そんな写真の中からセピア色に変色し、色あせた一枚(下図参照)を見つけた。
1960年夏、安保改定を強行し退任した岸信介氏の後を継いで首相になった池田勇人氏が、名古屋を訪れたときの写真だ。名古屋駅を出発しようとする首相(矢印A)のオープンカーを労組員のデモ隊が阻止しようと立ちはだかり、警備の私服刑事や報道陣が入り乱れての混乱となった。
写真の右手に、NHKの腕章を巻き肩から録音機をかけたワイシャツ姿の青年(矢印のB)が写っている。23歳の小田記者の雄姿、と言いたいけれども、へっぴり腰でオタオタして見える。たまたま私が写っていたので、撮影した共同通信のカメラマンが焼き増してくれたものだ。激しい国会デモが繰り広げられた安保闘争のすぐ後だというのに、警備陣もろくにいない中、首相がオープンカーで名古屋市中を走ろうとする。隔世の感がある。
■ 録音取材
それはさておき、私が肩にしている箱のようなものが「ショルダー」、正確には「PT−3型肩掛録音機」である。私たちは「デンスケ」と呼んでいた。
放送のニュースや番組は、映像と音声で構成される。人の話声やさまざまな音は、重要な情報要素。とくにラジオ時代には録音が重視され、ニュース取材や番組制作に録音機は欠かすことのできない機材だった。
1953年に始まったテレビ放送はまだ揺籃期。私がNHKに入った1959年4月の皇太子ご成婚を機に一気にテレビの台数が増えるのだが、60年前後はまだラジオの時代であった。
59年5月、初任地の名古屋放送局に赴任した私は、報道部十数人の記者のなかでは最年少。文字通りの駆け出し記者で、事件だ、事故だ、災害だとくれば真っ先に現場に飛び出して行くことになる。そんなとき、「デンスケ」は必携であった。
■ デンスケ
『広辞苑』で「デンスケ」を引いてみる。
<@ 盛り場などで行われる賭博の一。円盤の中心に棒を水平に支え、これをまわして止まったところを当たりとする。A(テープの回転が@に似るからとも、新聞漫画の主人公の名前デンスケからともいう)携帯用録音機の俗称、商品名。>
街頭賭博のやり方まで説明するとは、さすがに『広辞苑』。それはともかく、駆け出し記者の私が使っていた「デンスケ」は、毎日新聞の連載漫画・横山隆一作『デンスケ』の主人公が、録音機を肩にマイクをつかんで街頭録音に飛び回り社会を風刺していたことに由来して付いた愛称だ。
写真はその「PT−3型録音機」。タテ17.5センチ、ヨコ38センチ、高さ17センチの頑丈な鉄箱の中に録音と再生の機能が詰まっている。それ以前の録音機に比べて軽くなったというものの重さが8.6キログラム。肩にかけるとずしりと来る。右手にマイクを持ち、左手でハンドルをまわしてぜんまいを巻き、テープリールを回転させて録音する仕組みだ。
録音をとるのに夢中でぜんまいを巻くのがおろそかになると、回転ムラを起して「わーたーしーは…」などと低く間の抜けた声や意味不明の音になってしまう。電池でモーターを駆動し、ぜんまいの巻き忘れを心配せずに済む新型機が登場するのは1965年(昭和40年)のことだ。
■ 機転の特ダネ
名古屋に着任して間もなく、奥三河の豊川用水路トンネル建設現場で落盤事故があり、十数人の作業員が閉じ込められた。現場に行ってみると空気を送るパイプが無事で、落盤現場を挟んで双方がパイプを使って連絡し合っている。パイプに耳を当てると向こうの声が聞こえてくる。「そうだ」とひらめいた。
竹竿にマイクとコードを縛り付けてパイプに突っ込む。「NHKでーす。そちらの様子をしゃべってくださーいッ。放送で家族の皆さんに無事を伝えまーす」。当時夜7時のニュースの後に『録音ニュース』という番組があった。「パイプを通じて無事を確認」のニュースは、その夜の『録音ニュース』で全国に向けて放送された。私の“全中(全国中継放送)”第1号である。
■ 「音がないッ!」
5000人以上の犠牲者を出した1959年(昭和34年)9月の伊勢湾台風は、駆け出し記者が初めて遭遇した大災害であった。連日、被災地を東奔西走した取材は終生忘れることのできないものだ。
10月の末、やっと水が引いた三重県朝日町で、町外に避難していた小学生たちが1ヶ月ぶりに町に戻ることになり、録音取材を命じられた。1年生記者とはいえ、半年の取材経験も積んでいる。校長先生の挨拶、児童たちの喜びの声、保護者との再会の様子など、「デンスケ」をまわして要領よく音をとった。
その夜の『録音ニュース』の二番手で放送することも決まり、名古屋放送局に戻るニュースカーの車中、鼻歌まじりに構成やナレーションの文章を考えた。局に戻ってテープを編集機にかける。ところが、ウンともスンとも音が出ない。一瞬頭は真っ白、汗が噴き出した。「しまった。とり損ねたか」。繰り返し聞くが無音だ。
おそるおそる当番デスクのTさんに「録音に失敗しました」。「本当かッ」、Tさんの顔色が変わった。すでに東京との間でニュースのオーダー(順番)が決まっている。「音がとれてなかった」なんて言えたことではなかった。
再度編集機を起動しようとして気がついた。何とテープを裏返して掛けていたのだ。音が出ないのは当然だ。Tさんのもとに飛んで行って「音、ありましたッ」。そそっかしい駆け出し記者への呆れと、番組に穴を開けずに済んだ安堵とがないまぜになったTさんの表情を、半世紀以上たったいまも忘れられない。
「デンスケ」についての失敗譚には事欠かない。元旦のニュースに熱田神宮の初詣でを録音入りで出すことになり取材に出掛けた。参道の玉砂利を踏む足音、神前での拍手、参詣客に聞く新年の抱負など録音を終えて局に戻る。「ザクッザクッ」と大勢の人が参道を歩く音をとったつもりだが、テープを再生してみると「ザッ」とぶつ切れの音がするだけ。とても使えたものではない。
途方に暮れていたら先輩ディレクターのMさん、「小田クン、そういうときはね、自分が一緒に歩いて、その足音を拾うんだよ」。熱田神宮に駆け戻ってとり直し。大勢の人が玉砂利を踏んで本殿に向かう音入りのニュースを出すことが出来た。
■ ICレコーダー
「デンスケ」に振り回されたわが青春の日々が、なつかしく思い起こされる。録音機はその後リールからカセットテープに、さらに磁気テープに代わってIC(集積回路)に録音するICレコーダーへと、小型軽量化・高性能化・低価格化が進んだ。半世紀前は報道取材などプロフェッショナルな機材だったのが、いまは、会議や商談、趣味の録音や子どもの学習用などと広く一般で使われている。
「録音機」なんて呼び方も過去のもの、いまでは「レコーダー」がふつうだ。その「レコーダー」、時代が変わっても報道取材には欠かすことのできないツールだ。下の写真は2013年(平成25年)12月26日、安倍晋三首相が靖国神社に参拝した後、記者団の<ぶら下がり>取材に応じている写真である。<ぶら下がり>とは面妖だが、首相や大臣、VIPらが移動する脇を記者団がついて歩き、あるいは立ち止まったところで取り囲んで話を聞く取材スタイルのことをいう。要人の腕にぶら下がっているように見えることに由来するコトバだ。
マイクを向けられている安倍首相の前のテーブルに、たくさんの「レコーダー」が置いてある。首相番の記者たちのものだ。要人の発言が大きなニュースになることがある。このため記者たちは、発言を一言も聞き漏らすまいと耳を澄まし、懸命にメモを取る。その後で、<メモ合わせ>と称してお互いのメモを照らし合わせて正確を期すのである。「ICレコーダー」は、発言を正確になぞって記事にするために不可欠のツールになっているのだろう。
■ “アラ傘”元記者のつぶやき
取材と「レコーダー」といえば、昨年見たテレビドラマ『終の棲家』にこんなシーンがあった。老老介護の実態を取材している女性新聞記者が、テーブルにポンと「レコーダー」を置いて、やおらお年寄りの話を聞き始める。私たちのころには考えられないパフォーマンスに思わず絶句した。
録音されているとわかったら、人は警戒してほんとうのことをしゃべらないものだ。微妙なことやホンネを聞き出そうと思ったら録音機は邪魔だと、私たちは経験してきたし、後輩にも教えてきた。どうしても録音をとりたかったら「済みません、間違いのないように録音をとらせてください」と相手の了承を取り付けて録音機をまわす。感心したことではないが、ときにはポケットやカバンにひそませた録音機をこっそりと回すこともないではない。
“隠しどり”を私はやったことはないが、「言った、言わない」が問題になり、訂正を求められたり、最悪訴訟沙汰になったりするリスクを避けるためには、やむを得ない場合もあろう。それにしても、近ごろの記者は、「レコーダー」をメモ代わりに使って平気で録音をとることが日常化しているのだろうか。半世紀も昔の「デンスケ」にかかわる思い出話から、最近の記者たちの取材の仕方に話が広がった。報道の現場を離れてもう30年、“アラ傘”(アラウンド傘寿=80歳前後)の元記者のつぶやき、である。

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