たかがコンデンサ されどコンデンサ
― 電子回路の基本素子 ―
小 原 重 雄

小原 重雄(武高30会会員)
OHARA, Shigeo
1952年武生第一中学校、1955年武生高等学校を卒業。同年大阪大学工学部に進学し、通信工学科を専攻。1959年同大学を卒業し、明星電気株式会社に入社。この間、構内交換機、各種伝送装置、電子式ボタン電話装置などの研究開発に従事。技術本部副本部長・資材部長を経て1994年メイセイエンジニアリング株式会社に出向。翌年、取締役社長に就任。会社として地上気象観測装置、計測震度計などの設置工事に貢献して1998年に退社。現在は、余暇を利用して囲碁クラブで好きな囲碁を楽しんでいる。(東京都調布市在住)
“光陰矢の如し”とはよく言ったものだ。
昭和30年に武生高校を卒業し、大学では工学部に入学し通信工学を専攻した。
卒業後、企業に入社した当時はミニチュア真空管の時代で、トランジスタも普及しておらず、スイッチング素子と言えばリレー等が主流であった。今では超集積回路の言葉もあまり口の端に上らず、パソコン技術はソフト・ハードの両面から格段に進み、小型化と共に光ファイバー等による情報化社会(インターネット社会等)の新分野が発展している。初めてパソコンをアメリカの家庭で子供が操作をしているのを見て驚いたのが30数年前であった。今では比較にならない程、日本家庭にも浸透し、ネット端末と共に驚くばかりである。しかし、今我々は高齢社会の一員としてそれらを享受していることを、時には忘れていることに気が付くことがある。
高校卒業60周年が過ぎ、傘寿記念文集が発刊されるに当たり、在職中での失敗・苦労話を思い出して執筆することにした。タイトルは “たかがコンデンサ されどコンデンサ”とすることにした。
(その一) 入社後何年か後に、記憶素子の話が話題になっていた。私は当時の頭で素子にコンデンサの充放電を利用したメモリーを考え、X・Y軸にマトリックス状に配置してメモリー格子を作ったが、選択スイッチとスピード・小型化の件で徒労に終わり、結局ダイアルメモリーとして、特許を取って終わってしまった。
(その二) 入社後10数年位して、通信回線を利用した気象情報の収集の話が入ってきた。後で知られるアメダスである。当時集中豪雨が頻繁に起こり、その気象情報(雨量・気温・風向風速・日照時間)を把握して、雨域の移動状況と災害を予測できないものか? ということであった。当社は気象観測機器を製造していた関係で話がきたようであるが、今では気象レーダやスーパーコンピュータ等で雨域がTVで放送され、驚く程の進歩である。当時は、観測情報を国の地図上でランプの点滅の移動で表示したらどうかと真面目に話をしたこともあった。
通信回線は電話回線、情報伝達はプッシュホン信号とのことで、社内プロジェクトに入っていた。結局、「符号送信器」の名称で全国に1300箇所余りをNTTに納入した。暫らくして、昼の間は情報受信可能だが、深夜受信出来ないとのクレームが入り、現地で調査の結果、放送局が近くにあるため電話回線に入り、誘導雑音となっていた。音声による情報の誤動作は設計上少ないが、夜間放送終了後、搬送波がノイズとして残り、これが原因と判明し、通信回線にコンデンサを入れこれを除去して回復した。
(その三) 港湾に灯台があることは周知のことだが、船の入港の際、港の奥に向かって右側にある灯台の色は赤色で、夜間に出す灯色は赤、左側にある灯台は白色で、夜間の灯色は緑である。また灯台は、その位置が防波堤の先にあったり、時には岩礁に設置されたりしている。従って、発光灯への電源供給は、架空もしくは海底ケーブルで行われていた。
そこで発光灯の故障を陸地で知りたい旨の仕事が入った。
勿論通信回線は電灯線しかないので、電力線搬送を提案し、給電側をトランスで絶縁し、先ず架空の片線接地方式で情報を受信し、成功した。ところが、海底ケーブル給電は、電力供給線の対地インピーダンスが不平衡のせいか、発光灯のノイズが給電線に入り、窮地に立たされた。試行錯誤の末、送受電側の両線に4個のコンデンサで結合したブリッジ回路を作り、その中点同士で伝送を行い、且つブリッジを平衡にし、更に片線と対地間に微調整用のコンデンサを挿入することで、ノイズを更に低減して情報伝送を可能にした。
以上コンデンサ物語を記述したが、苦い思い出である。
さてこれからの60年は如何に技術が進歩するのだろうか、想像しても楽しい限りである。今や人工知能はプロの将棋棋士ほどになり、一流大学の入試合格のレベルとなっているらしい。ロボットは何年も経ずして人間の仕事を代業するレベルに達すると言われている。やがては、映画スターウォーズのロボットやスタートレックのデータ君のようなロボット登場も夢ではないだろう。
宇宙技術分野も大きく発展するだろう。また逆に、大きな負の遺産と思われる環境破壊・異常自然現象により災害(地震・スーパー台風等)が発生し、予知等の技術が進展するかも知れないが、シドニィ・シェルダンの小説みたいな“異常気象売ります”が現実的になるかもと危惧するところである。
何れにせよ若者達には、知識を身につけ、知恵を働かせ、適切な判断力をもって未来を築いてほしいと願うばかりである。
追 記 :
東日本大震災の年の夏、NHKの放送で昭和23年の福井大震災の時、武生高校の生徒が被災地での悲惨な状況を記事にしたり、その復旧活動ぶりを記載した高校新聞が見つかった旨放送された。
早速、廣田 昭さんに話をしたら、彼は高校に連絡して新聞を取り寄せ、私にも送付して頂いた。当時の生々しい被災状況と先輩たちのボランティア活動に感銘を受けた。是非皆さんにも、この新聞(武生高校新聞、昭和23年7月20日号)を一読して頂きたいと願っている。

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