No.19
宝   物

― 人生 起・承・転・結 ―


白 崎 夫佐子


白崎 夫佐子(武高30会会員)
SHIRASAKI, Fusako

 旧姓直江。旧大虫村出身。1952年武生第一中学校、1955年武生高校卒業、1957年福井大学修了。1957年より33年間教職につく。その間書道主任を担当し、現在まで県・市の役職と、自己の作品作り一色で過す。全国展には毎年2回出品。(福井県越前市在住)



 

 まだ細胞からやっと抜け出したような小さな小さなお手手。この世に生を享けた人生出発の手。この手は将来何を担うようになるのか? 詩人の多くは人生を草木に例えるが、人生の出発を書道に例えるとどうなるか? 升目に合うように丁寧に一字一字楷書で書いた字、列をはみださないように整然と書いた字。やはり「楷書」からと言いたい。能の世界で言うと序のくちの「序」である。全ての始まりを表す起承転結の「起」かな。

 はちきれそうな頬をふくらませて段々と自己主張してくる少年少女達、勢いよく地を蹴って遊ぶしなやかな手足。人生の第二段階「承」の時代、書で言うと「行書」。心あせって流れるように書く。そして、字に個性が出てくる。

 小顔で八頭身の美しい姿。にこやかに人と応対が出来る姿。軽やかに髪をなびかせスーツ姿で闊歩する成人。赤銅色のモリモリ体で幾何学的に能率よく広い屋根の瓦を葺き終える人。無味乾燥な家屋敷に気づかぬうちに花いっぱいの場を作る人。その他各界で活躍する人、人、人。これは書で言うならば楷書、行書に、仮名を交えた調和体も参加するだろう。これこそまさに濃墨・淡墨自由自在に紙面を走らせる作品だろうし、立ち止まって四股をふむような力強い単体でもあろうし、川の流れのようなしなやかなしっとりした作品でもあろうし、その数ははてしなく千変万化、百花繚乱の様を呈してくる。人生の中で一番自信に満ち、美しさ、力強さにあふれた壮年時代とも言えよう。これは「転」または「破」で表すことが出来よう。

 顔の表情に迷いがなく、落ち着いた物腰、静かな笑み、虚飾がなく一斎のむだを省いて、一歩一歩ゆっくりと歩む老いの姿。これが書で言うと「草書」であろう。良寛さんの字がこれにふさわしい。人生「結」および「急」の字で表したい時である。中国の中唐時代の懐素という人は、草書の名手。日本の文学者もたくさん学んでいる。特に良寛の字は飄々としてへつらいがなく、派手さがなく、無欲である

 ところで、何故人生や書を起承転結や序、破、急で表したか。誰もがうなずくであろう一生は物語すなわちストーリーでもあり、ドラマでもあるから。でも、私が言いたいのは、つまり、「芸術も生活も今を生きる、種を残していく、子を守り、孫を愛し、祖先を温かく見守る」という人本来の本能が存在するから。また、ヒトはいつも感動を求めているからと言いたい。

 特に、いつも私の心に住み着いて離れないこと、それは「自然体に」ということ。我道以貫一という格言があるが、一芸に秀でた人、あるいは永年一仕事に携わって来た人には、その相手となる物、例えば華道では花、剣道では木刀、棋士では駒、がその人と一体化してしまうほどに見える。これが自然体に見えることでもあり、私の永年渇望していることでもある。

 ある将棋名人が対談のなかで「先生は将棋を指しているときはどんなことを考えていらっしゃるのですか?」との問いに「いや、私は何も考えていませんよ。駒がね、私に話しかけてくるんですよ」と語っておられた。

 また、名女優の杉村春子さんのインタビューで「実にあなたは役にぴったりの身のこなしや着こなしで感心するのですが……」との問いかけに「永年、いろんな役をやってきますとね、衣装の方が私に寄り添ってくるんですよ。そして、演技を要求するんですよ」と……。

 何年か昔のそれとよく似た情景を思い出した。私は、あるおばあさんに習いながらチマキ作りをしたことがある。笹の葉を八枚位一個のお餅に使って巻いていく。その葉の使いこなしによって形良いチマキが出来上がる。私は、いくら頑張っても見苦しいチマキなのに、おばあさんのチマキはコリッとしまっていて角(つの)が品よく覗いている。感心して見ていると笹の葉が勝手に動いて角を出す様に見えるのだ。永年の経験には兜を脱がざるをえない。




 やはり、書の世界においても同じことが言えるのではないか。筆を意識していてはいけない。筆に動かされてはいけない。無心の状態で書き上げなければ本当の芸道ではない。揮毫者と筆とは一体化していて筆が作者の快・不快までをも察知して快になるよう引っ張っていく。こんなになったらどんなに良いことか、現在の私の渇望するものである。

    



 それであなたは一体何が言いたいの?と言われそう。要するに永年の一道で身につけた経験・技・仕事はその人の宝である、盗まれる心配のない宝物である、と言いたい。

 この間、京都にいる妹が来て「こんなに場所取って旦那様の使う部屋あるの?」と言われてハタと思った。半世紀近くも書道に携わって来て字を書く場所、時間、健康、経費、仲間、恩師、家族……当たり前として過ごして来たが、あらためて私を取り巻くすべての方たちに心から感謝しなければと思う。境内で賑やかにはしゃぎ遊ぶ園児の声を聴きながら、生きる希望を貰っている今日この頃である。