波瀾万丈の終焉
― 惨憺たる時代、絶頂の時代を経て ―
山 口 正 喜

山口 正喜(武高30会会員)
YAMAGUCHI, Masaki
1952年岡本中学校、1955年武生高等学校を卒業後、家業を継ぐ。その後、ニット編物関連の会社を経営。現在は社業を長男に譲り、平穏な日々を過している。武高30会では第11代会長として2007年に総会を開催した。(福井県越前市在住)
私の生家は、戦前戦後は免許制の半専売品を扱う楽な商売でした。卒業して家業を継ぎ平々凡々の日々を過ごしていましたが、夕刻には酒場を巡り始め、時には福井の赤い灯・青い灯を求め、バイクを飛ばして深夜まで飲み回る日々でした。両親は見かねて早く嫁を取れと、22歳で半強制的に数キロ離れた旧家より頂きましたが、持って生まれた性分は変わらず、「街の灯への出勤」だけは欠かさずに過ごしていました。
ところが、妻の里へ新年に招かれた際、義兄も酒好きで気が合い、義兄のバイクで武生のスナックで飲み過ぎ、帰る途中に国道で事故。義兄は即死、私は大腿骨・下腿骨骨折で半年入院。今でも足腰の後遺症があり、惨憺たる青年時代でした。その後、幼友達の運送店が倒産。保証人として多額の債務を被り、田畑を売却して始末したこともありました。
しかし幸いなことに、38歳のとき知人より「ボーリング場を経営したいので片腕になって欲しい」と誘われ、芦原町にオープン。その後今立地区でもオープンし、順調でした。またある人から「トレパンに使用する生地が織物からニットになるので丸編機を購入しないか」と誘われ、当時約2千万円で2台購入し、24時間休日なしで寝ずに頑張りました。お蔭で工場も拡張、機械も増設して順調に推移し、一流の商社・メーカーとの取引もでき、多忙でした。当時、ニット組合での理事としての活動で、県知事表彰も頂きました。しかしあまりにも順調過ぎたせいか、魔が差して経理処理を誤り、税務署にお目玉を食ったこともありました。
45歳のある日、知人から電話で、私の昔の恋人が帰郷しているので来て欲しいとの連絡があり、嬉しくて無我夢中で飛んで行き、25年ぶりに再会しました。彼女はご主人とは死に別れ、二人の子持ちとのことで、不憫にも思い、数ヶ月後に市内に家を建てて同居。妻とは別居し、別宅と工場との往復でした。15年ほど経て長男の結婚話があり、自然に彼女とは別れ、その後迷惑を掛け通しだった妻とも縒りを戻し、老後を共にしています。当時の家には長男夫婦が住むことになり、現在では二人の孫もいます。
私は旅が好きで、海外・国内各地を旅し、四国八十八ヶ寺遍路の旅も経験しました。しかし最近、足腰の故障で歩行困難となり、遠出が不可能となりました。家族・友人など、多方面に迷惑を掛けた罰が当ったものと深く反省し、今後は静かに余生を過したいものと願っています。

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