No.49
傘寿つれづれなるままに

― 書道教育はセクハラか? ―



山 本 幸 子


山本 幸子(武高30会会員)
YAMAMOTO, Yukiko

 旧姓橋本。1952年武生第一中学校、1955年武生高等学校を卒業。後年、東洋大学書道部を卒業。1965年より書の道を歩み始め、若越書道会審査員となり、後に越前市を初め全国(太玄会)の審査員・理事となる。2015年には第56回太玄会書展にて大賞を受賞。現在は、地区の公民館で書道の講師を務め、また県文化協議会で活動中。(福井県越前市在住)



  
一、  都に遠く雲閉す          二、  武生の国府とうたわれし
日野の盆地と云うなかれ 代々の文化のあとを見よ
山河穢れず人怜く 史上に残る名に富むを
若人の夢みな清し 郷土のほまれ誰か継ぐ
 

 この校歌は私たち30会会員が卒業した後に制定されたもので、佐藤春夫作詩、大中寅二作曲で四番まであり、入学・卒業式などに歌われている素晴らしい校歌である。また、私たちが卒業した昭和30年4月に現在の地(国高地区)に新校舎が完成した。以降、徐々に各課程も分離独立し、現在にいたっている。

 私自身、武生高校の教壇で生徒を指導してきて、学んだものは数知れずある。我々の高校時代と現代では、社会の目まぐるしい変化につれて学生生活も変り、下駄通学からスニーカーに変ったようにすべてが進歩(?)している。教科書も大判になり、カラー写真がふんだんに取り入れられている。書道の教科書も漢字仮名交じりで始まり、誰もが読めるような書を指導の基本としている。私もその方針に則りながら、楷書・行書・草書などももちろん教えている。



 授業も真面目だが、半面、生徒自体、男女を問わず背丈も高くなり、手・指なども長くきれいになって、私など「先生、背低いなあー」とからかわれる。また、「もっと、しっかり書け」と言って『手持ち』をすると、「腹がすらえる(すれる)、胸がすらえて(すれて)気持ち悪い」などと反応を示し、挙げ句の果て、「先生、セクハラや」と言われる。こんなことはしょっちゅうだが、授業はそれなりに楽しく、また上手に書けば必要以上に褒める。いろんな事があっても、指導する事は私自身好きで、それゆえに長く勤められたのだと思う。

 また、昔は朝、教員室でお互い顔を見ながら挨拶や会話があったが、近年は教卓の上に全員パソコンがあり、手を動かしながらという淋しい面もある。退職して今は少し自由になり、地区の高齢者の多い公民館で講師をしながら、自分自身も学んでいる。授業を終えると必ず臨書(注:手本を見ながら字を書くこと)などをし、また古典の勉強をするよう努めている。

 80歳も目前になると、仙香i江戸時代後期の禅僧)の書にある言葉(七人の歌、仙刻早jが身にこたえる。いわく、

しわはよる ほ黒が出ける 腰曲る
   頭がはげる ひげしろくなる
 
手は振ふ 足はよろつく 歯は抜る
   耳はきこえず 目はうとくなる
 
身に添は 頭巾 襟巻 杖 目鏡
   心は曲る 欲深くなる
 
くどくなる 気短になる 愚ちになる
   出しゃばりたがる 世話やきたがる
 
又しても 同じ咄しに 子を誉る
   達者自まんに 人はいやがる

私などいくつも当てはまり笑ってしまう。でも、歳だからといって挫けず、春には自動車運転免許の更新をと思っている昨今である。

 なおここに、思い出の写真を2枚掲載させていただくことにする。

      


 一つは昭和30年3月10日、武生高校の卒業式のあと、友人3人が日野川の堤防で別れを惜しみながら散歩していたときのもの。広報たけふの記者が近づいて来て写し、後日(20日)の新聞に載った懐かしい一枚である。当時の30会会員3名の美貌は、以来60年というこの新聞の紙質と同じく、多少は(?)劣化したもよう。

 もう一つは、昨年平成27年1月15日、東京の上野美術館で開催された第56回太玄会書展で「大賞」を受賞し、舛添東京都知事からお褒めの言葉をいただいたときの一枚である。
 最後に、所属の書道会で見せて頂いた「シルバー川柳」を一興までにここに幾つか紹介する。30会会員の皆様には、まだ当てはまるものが無いことを念じてはいるが、果たして?

 1    目覚ましの、ベルはまだかと起きて待つ
 2    忘れ物、口で唱えて取りに行き
 3   来世も、一緒になろうと犬に言い
 4   食事会、薬でしめておひらきに
 5   三時間待って、病名に「加齢です」
 6 中身より、字の大きさで選ぶ本
 7 腹八分、残した二分で薬飲む
 8 まっすぐに、生きてきたのに腰まがる
 9 八十路超え、大器晩成まだならぬ
10 こんにちは、笑顔で答えて名を聞けず



― 以上 ―