遠くて近いものはふる里、遥かにありて親しきものは母校。あの時の旧い校舎は、今も胸の内に鮮やかに残っている。青春の思い出と共に。
卒業してから60年という歳月は長く、しかし新しい昔のようにも思える。当時は、完全な男女共学制ではなく、専攻学科別に分かれた男子ばかりのクラスと、男女共学のクラスがあった。幸い、男女共学のクラスに属していた私は、体育祭の練習のときなど、男子クラスの人たちから窓越しに野次を受けたことを懐かしく覚えている。大学は女子大だったので、やはり男女共学は良かったとつくづく思い返している。
ふる里の武生市が越前市に変わったことを聞いた時は、本当にショックを受けた。「武生」という名前には並々ならぬ愛着があったからだ。晩年、俳句を始めた時に詠んだ句、
“名前さへ消えて露けき母郷かな”
は、ふる里武生への私の心からのオマージュである。図らずもこの句が芭蕉祭の特選となり、芭蕉のふる里である伊賀上野の「俳聖殿」に立って表彰を受けた時の感激は忘れられない。また、ふる里と同じく、武生高校の名は私にとって永遠であり、同期の仲間と共に、今ここに傘寿記念文集に参加できる幸せを噛み締めている。
思い起こせば、父の転勤のため博多で生まれた私は、戦火を逃れ、父母の故郷である武生へと着の身着のままで疎開を強いられた。都会っ子だった私は、小学校の間は今で言ういじめに遇い、辛い日々を過ごした。
校区の第二中学校は町はずれの田圃の真中にあり、冬はマントを着て吹雪の中を、時に転げたりしながら通学に難儀をした事を思い出す。
高校に入って街の中の学生になれて、とても嬉しかった。私にとっては武生高校での3年間が一番幸せな学生生活だったかも知れない。
卒業後の仲間たちの結束は固く、各地で催された同窓会で旧交を温められたことを有難く感謝している。近年は骨折など体調を崩すこともあり、思うように出席が叶わなくなったが、数々の楽しい同期会の思い出は、今も胸の中に大切にしまわれている。もう傘寿を迎えたなど、信じられない思いであるが、共に生き抜いてきた同期の友の存在は、強い心の支えである。
今回の企画に際して、仲間の皆様方の思い出を繙いた文集に触れることを、この上も無い喜びとして楽しみにしている。