No.50
「若い」と言われる秘密

― ここまで来たら長生きしましょ ―



頼 本 美保子


頼本 美保子(武高30会会員)
YORIMOTO, Mihoko

 旧姓宇野。1952年鯖江中学校、1955年武生高等学校、1957年東京女子大学短期大学部を卒業。同年(株)旭硝子に入社。結婚で退社し岡山市へ。夫の各地転勤後、岡山に戻り、1980年に県内早島町に新築定住。この間、筝・三味線を習得し直し、教えつつ大師範まで到達。1973年にはNHK邦楽オーディション合格。5年前まで邦楽(筝、三味線、尺八)の世界にどっぷり浸かり、新樹会で主宰した演奏会も大小20回以上を数える。(岡山県都窪郡早島町在住)



 あたらしいあさがきた きぼうのあさだ
 よろこびにむねをひらけ おおぞらあおげ♪

 これはここ3, 4年来の私の日課としているご存知NHK朝のラジオ体操の歌詞です。人間の寿命は120歳ではと思えるようになりました。ラジオ体操をしていれば、ゼッタイ長生きできると信じて、何とかかんとか毎朝続けています。

4年ほど前、目下在住の岡山宇野港へ飛鳥Uが初めて寄港。妹(鯖江在住)とクルーズで種子島へ。夜は船内のダンスホールへ。でも、ぜーんぜん踊れず、これは基礎から習うしかないと、ダンスレッスンに通うこととなりました。だんだん踊れるようになるし、楽しいし、とうとうディナーパーティでソロデモ出演、ルンバを踊っちゃいましたね。やったー!

  


 何10年間も教えた側(何を教えていたかは後ほど明かします)が、教えてもらう側に。公民館のレッスンは安上がりだけど上手くなれないと悟り、毎週個人レッスンに通いました。

その昔(大学生の頃)、ジルバとブルースとワルツは踊ったことがあったかしら。今はもう、いろんなダンスが流行っているようだけど、わが社交ダンスも、スタンダードのワルツ、タンゴ、スローフォックストロットと、ラテンのルンバ、チャチャチャ、サンバのステップで結構汗を流しております。…… いつまで??

  


 ソロデモ出演のアルバムが出来てきて、見せて見せてに応じていますが、20歳も若く見えると100人が100人とも驚きの声を上げてくれるので、この年齢になって受験勉強並みの努力の甲斐があったかなと思えたりして。

次は登山のことになりますが、74歳にして山陽新聞社の登山入門講座に入れていただきました。座学と実地登山が交互にあり、修了登山は立山縦走ということで、ちょっと無理かなと思ったけど、やれば出来るもんですね。もちろん立山にも登ったし(懐かしの北陸を往復して)、ほかにも岡山近郊の山々、大山、蒜山、六甲山などいろいろ登り、本格登山とまではいかないけれど、修了後は即 SCMC(山陽カルチャーマウンテンクラブ)に入り、ほぼ月1回の山行を実施出来ています。



 何故山登りを始めようと思ったのか? それは、その前に、久方ぶりに昔のゴルフ友達を倉敷カントリークラブに誘ったとき、私もそれなりに飛ばせる方だったのに、ドライバーおいてかれるばかり。彼女、聞けば本格的な山登りで足腰が鍛えてあったのでした。

 ゴルフを始めたのは、もう30年以上も前のことです。車に乗ってばかり、人間足腰から衰えるのは分かっていたので、外で運動しなければで、一番身近なのがゴルフでしたね。でもいろんな意味で一番難しいかも知れません。

足腰を鍛えるのが目的なので結果はどうでもいいという訳にもいかなくて、覚えるというか、出来るようになるまで四苦八苦、それからもまた四苦八苦。一つの理由は、半年頑張ってそこそこスコアがまとまるようになると、半年は他のことに必死にならなければならなかったことが、今の状況つまりH.C.に助けられても月例で勝てない有様に間接的に結びついているのかも。その頃、毎年何を頑張っていたのでしょうか。


 お筝(こと)を習い始めたのは10歳。戦後間もない頃で、鯖江でピアノのある家は2軒しかなかったと記憶しています。結局70年近くも筝と三味線を弾いて、歌ってきたことになる筈なのですが、ゴルフとダンスに熱中し過ぎて、この5年近く、本業のほうが留守になってしまいました。あんなにいろいろ犠牲にしたり、無理したり、ライフワークと信じて励んで来たのに。

あちらこちらで、一生懸命教えながら、毎年演奏会を開催しながら、自分でもよくやったかなと思います。勉強もし、練習も頑張り、行動してました。やっぱり第1優先でしたし面白かったですよ。岡山天満屋カルチャーお筝教室や、クラボウ早島工場の寮などでも教えたり、大阪では若い指導者を指導したり。因みに喫茶店のライブ、駅コンなど、ひょっとすると私がその走りかも知れませんね。1950年に新居浜市で「新樹会」を起ち上げて以来、四国松山城や岡山後楽園にてのイベント開催など、ほんとにいろいろやって来ましたよね。

でも今は、ゴルフもダンスも山行も辞められなくて、出来る限り続け、前向きで上を目指します。そして私の“本命”でもある邦楽については、長生き出来ればまた異なった形で(?!)とも考えています。

時には、脳と身体どちらの衰えにも愕然とすることもあるけれど、気にしないことにしています。これを読んで下さる皆様の長生きの手助け(?)になれば、うれしいです。 
 おわり。