No.51
私の細腕人生

― 今日一日を精一杯生きようと ―



渡 邊 悦 子


渡邊 悦子(武高30会会員)
WATANABE, Etsuko

 旧姓青木。1952年王子保中学校、1955年武生高等学校を卒業。1958年結婚、主人と家業の餅屋を営み、3人の子供と8人の孫に恵まれ、細腕人生を歩んでいる。(福井県越前市在住)


 

幼少の頃から

 私は昭和11年(1936年)、秀峰・日野山を仰ぐ南条郡王子保村(現・越前市)で生まれました。幼い頃のことは、詳しくは覚えていませんが、王子保国民学校に入学した当時は、日本が大東亜戦争へと突入した頃でした。村から男の人が何人も見送られて戦地へ出征。学校では勉強などは殆どせず、戦時の食糧難に備えてでしょうか、「イナゴ」採りや避難訓練、校庭では「サツマイモ」を植えたりして「非常時」の時代を過ごしました。そして終戦になったのは3年生の時、10歳の夏でした。

 終戦で、世の中が一変しました。身近なことでは4年生から国民学校が小学校へと変わりました。ジープに乗ったアメリカ兵が時々村を通り過ぎたり、新憲法の施行や婦人の参政権など大きな変革の波が押し寄せるなか、王子保中学校を終え、武生高校に入学しました。

 でも、毎日汽車で通学したあの3年間は、「紫 式部」も仰いだ日野の秀峰が、汽車の動きで刻々と変わるのが楽しみでした。国鉄の駅の名前も「わうしお(王子保)」。あの響きが、いま、とても懐かしく想い出されます。

 戦時中10年、そして戦後の70年を、どうにかここまで過ごし、ようやく80歳を迎えることができました。お蔭様で多彩なメンバーの「武高30会」のお友達と、楽しい日々を過ごさせていただいております。


武生の餅屋に嫁いで

 昭和33年(1958年)当時 、武生市の善光寺通りにあった「餅のあめこ」へ取り持つご縁があり嫁ぎました。以来57年、お蔭様で3人の息子に恵まれ、男の子5人、女の子3人と、計8人の孫が、いま学齢期から社会人へと成長、それぞれ元気に育ってくれて感謝しております。

 男の子供たち3人はそれぞれ独立しましたが、どうしたご縁か、カップルがインターナショナルで、長男から順に、奥さんが米国、日本、韓国とバラエティ豊か。それぞれの持ち味を活かし「英語塾」、「デザイン」などで、家業とは別の道を今のところは歩んでおります。でも長男の孫がまだ小さかった頃に「外国人」と呼ばれていじめられ、可愛そうな一時期もあり、祖母の私としては胸の痛むことも度々ありました。

 さて、わが家の家業「餅」の商いは、朝が早く、時には4時の「餅つき」から始まります。お正月から始まる四季の慶事、冠婚葬祭など、お蔭様で「餅」一筋にこの60年、家族でひたすら走り続けてきました。武生餅業組合の記録によれば、「あめこ」の創業は天明2年(1782年)との記録があり、二男が小学5年の頃「あめこは、老舗のわりには、ちっとも発展しないなあ……」と。しかし食べもののなかでも、特に「お餅」は、わが国の古来より今につづく伝統の「食」。本来の「素材と製法と味」を守り次世代に継承することも、私達の役割の一つではないかと思ったりしております。


  
包装紙の全体(元の色) 包装紙の一部(白黒化)



俵 万智さんのこと

 「寒いねと 話しかければ 寒いねと
   答える人の いるあたたかさ」     俵 万智。

 三男が中学時代、机を並べて一緒に学んだ「マッチャン」のことを、よく話してくれたことは、私にとっても懐かしい想い出。「文芸春秋」の「平成百人一首」に選ばれたとき頂いた「思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ」の色紙は、今も自宅に飾っています。私にとって「答える人のいるあたたかさ……」は、私の姉や弟、子供や孫たち、そして約60年このかた「おつき合い」をしている「30会」のお友達であると思っています。「まあ、高校からのお友達?!」と皆様驚かれますが、何とも嬉しい限りです。


80歳を迎えて

 聞くところによりますと「日本人の好きな言葉」のベストファイブは、第1位が「努力」、次いで「忍耐」「感謝」「誠実」「根性」だそうですが、嫁いでからこの方、良くも悪くも私に「ピッタリだなあ……」と、思っています。

 娘時代、「織屋と餅屋へは嫁にいくな」との諺のあることを聞いてはいましたが、このことをしっかり守っていれば、私の人生も、いま少し変わっていたのかも……と、思ったりしたこともありました。

 しかし、何はともあれ、何処におろうとも私や家族が健康であることが第一。神仏に願い、感謝しつつ、「今日、一日を精一杯生きよう……」と、日を重ねて今日に至りました。

 さて、そろそろ黄昏てきました私の人生ですが、目下のところはまだ幸い健康にも恵まれていて、主人や子供たちの健康と、孫たちの成長を見守っていけることが私の「生き甲斐」でもあります。まだ食事も美味しいし、車を駆って行きたい処へも行けることも本当にありがたく、うれしいことです。

 生きていくということは、人に出会い、さまざまなことに遭遇し、鍛えられ、時には涙し、時には感動したりして、強くなること。その課程で人は少しずつ育って行くのでしょうか !

 さまざまな出来事や、「一期一会」の出会いを大切にして、これからの人生を、できれば少しゆっくりと味わいつつ「楽しみたい」と願っております。