動物との係わり
― 西山公園に動物園を建設 ―
一 力 光 男

一力 光男(武高30会会員)
ICHIRIKI, Mitsuo
旧姓中山。1952年鯖江中学校、1955年武生高等学校を卒業、同年鯖江市役所に勤務。土木課、計画課などに在籍し1982年計画課長。この間、市の街造りの企画や下水道、公園、道路など、建設事業を担当するとともに、西山動物園の建設事業を指揮する。1996年産業部長を最後に退職。現在は家業の酒店を営みながら、時折、旅行・温泉・ゴルフなどを楽しみつつ過ごしている。(福井県越前市在住)
市長の特命
当時の鯖江市長 山本治氏(故人)から市長室で受けた命題は、「鯖江に動物園を造ることにする。場所は西山公園で、動物は北京動物園から贈られるので準備に取り掛かるように・・・」。このような命令を受け、トテツもないことと思った。元来、鯖江の街造り構想には動物園は無かったからである。
それは、昭和58年(1983年)の春のことだった。私は当時計画課長として、下水道や公園や道路などの事業に汗していたころであり、新たな仕事として加わることとなった。早速、動物園の建設に取り組む事となる。北京から贈られる動物は、レッサーパンダ雄雌2頭の他、丹頂鶴、リス猿、手長猿などと決まった。
動物の受け入れ
私を含めた職員3名が北京動物園に出向き、動物の確認と受け入れの契約を行った。動物のことで北京まで出張することは、私の人生で想定外のことではあったが、日中友好事業の一つでもあることが実感できた。
鯖江と北京は、めがね産業の技術者研修やスポーツ(駅伝、少年野球など)の交流など、以前から大変親密な関係にあり、このときの動物贈呈はまさにその交流の証でもあった。
昭和59年(1984年)、レッサーパンダを含む動物たちが大阪空港に到着する事となった。私はその引き受けのため、空港に出向き、確認を行った。動物検疫カウンターで動物たちと初対面。一頭ずつ箱に入り、箱の中には食べ残しのリンゴがあった。住み慣れた北京から異国の地に向かう不安を感じながら食べていたのかも知れない、などと思ったものである。
動物の仮住まい
引き取った動物たちを空港から神戸市の王子動物園まで移送し、ここで仮り住まいさせる事とした。動物園構想が出て以来、この王子動物園からは細かいアドバイスを受けていたが、この仮住まいを機に鯖江市の飼育担当者も飼育の手ほどきを受けるため、2名の職員がこの王子動物園に数ヶ月間世話になった。初めての飼育を引き受けてくれた職員には、人には言えない程の多くの苦労があったことを思うと、頭がさがる思いがする。
西山動物園オープン
昭和60年(1985年)春、桜が満開の4月に北京動物園長を迎えて、さらに、多くの市民も参加して盛大に開園した。いろいろなハードルを超えて迎えたこの日は、私にとって、感動の一日でもあった。
傘寿を迎えて
西山動物園が開園して30年の節目を迎えた。2頭でスタートしたレッサーパンダも、その間に40頭を超える繁殖となり、全国の動物園とレッサーパンダの交流・交換を行いつつ優良繁殖に努めているとのこと。開園当時には想像も出来なかったことである。そして今現在、飼育しているレッサーパンダが10数頭になり、手狭い園舎の増築中と聞く。実に感無量である。
傘寿の節目に改めて振り返り、手がけた施設が市民に愛され、喜ばれ、親しまれ、繁栄していることを思うと、当時の苦労も軽くなる。この動物園は、私が経験した50歳代の貴重なもので、傘寿を迎えた今も決して忘れられない、大きな想い出である。

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