人生七転び八起き
― 絵画が空しさを埋めてくれた ―
岩 壁 清 子

岩壁 清子(武高30会会員)
IWAKABE, Kiyoko
旧姓草桶。1952年武生第一中学校、1955年武生高等学校を卒業。同年、東京都国立市の叔母宅に下宿し都内の出版社に勤務。1959年に結婚。大阪府枚方市に転居のあと1男2女の母に。1973年神戸市東灘区に転居。1995年1月阪神淡路大震災で自宅が全壊。1996年秋、神戸市西区に新築移転。このころより「日本画」を習い始め、2015年5月、兵庫県日本画家連盟展にて「知事賞」を受賞。(兵庫県神戸市在住)
はじめに
絵を描きはじめたのは神戸。海外勤務ばかりだった主人が戻ってきて、金沢に転勤。もちろん単身赴任。というのも、上の娘の学校で苦労したので、下の娘はエスカレーターの私学に。息子は大学生。お金もかかるとなれば、一つの財布を二つに分けなければなりません。
アルバイトのチラシをみて出かけたのがきっかけで、準社員として、冷凍食品の開発を行っていた雪印開発センターへ。最初は「煮たき」だけのはずが、仕事にも慣れ、新製品を創るのがとても楽しい12年
間でした。そのお蔭で、企業年金も僅かですが頂いております。阪神電車で通勤、夜はフリーだったので、中之島(大阪)の朝日カルチヤーに「油絵」を習いに行きました。たったの2時間でしたが熱い授業でした。殆どが「ヌード」ばかり……。しかも、生徒さんは会社帰りの男性ばかり。また、モデルも画学生らしく、ちゃんとしっかり意思を持った凄い子ばかりでお見事。体にはショーツの跡さえないのです。一方、描く男性たちも真剣そのもの。昼間の仕事熱心そのままにキャンバスに向かうのですから、目の色が違っていました。
阪神淡路大震災
1995年1月に突然襲った阪神淡路大震災。見事にわが家は全壊しました。ここに至っては、仕事だの絵だの処ではありません。しばらくは「薬大」の寮に……。次は郊外の三田(大阪はいっぱいでダメ)でホテルに仮住まい。主人は、車でホテルと壊れた神戸の家とを往復するうちトラックと正面衝突(居眠り運転)し、幸いに双方とも車だけの事故で済みました。どうにか郊外で新しい家での生活が始まったら今度は私が入院。そして息子の急死……。全く、これまで想像もしなかった日々を過ごすことになってしまった私……。ぼんやりと過ごす毎日の空しさを紛らわすため、病院の図書ボランテイアを数年続けましたが、やはり、やりようのないこの「空しさ」を埋めることはできませんでした。
日本画との出会いと知事賞
そんな中、「日本画」との出会いとなったのです。「油絵」より家を汚さずに済むので、月に2回、市の教室に1年通いました。それが今もOBの集まりとして、続いているのです。
日本画は、和紙、膠(ニカワ)、岩絵の具(鉱物)が材料。勿論、和紙は、越前和紙今立の友人 岩野邦子さんの処で融通していただき本当に感謝しております。美しい岩絵の具と膠とを、思案しながら大皿に溶かすのは楽しいもの。でも家の中の整理整頓はメチャクチャ。いつも家族には申し訳なく思っています。
描く題材は、主人の趣味でもある草花や野菜など。どこへも出掛けずとも、鮮やかで描きたくなるものが手に入ります。日本画にすっかりはまり、かれこれ15年余。2015年5月、兵庫県日本画家連盟展で、図らずも「知事賞」をいただき、武高30会の親友・岩本美代子さんが駆け付け、観にきていただきました。
神戸オリックス球場で素敵な出会い
神戸の郊外の静かなわが家の近くには、オリックスの球場があります。「オリックス」といえば「イチロー」。その彼がオフになると、トレーニングをやりにここに来るのです。近くの寮に住む若い選手を相手に、ある日の帰り道、色白の選手が地面に座り「ストレッチ」しているので、「あれっ?
イチローさん」と訊ねたら「ハイ」。通りがかりの二人づれ女子学生の他は誰もいません。彼女たちが写真を撮ろうとすると「写真は止めて……」と制したので、それならとバッグからとっさにスケッチブックを取りだしスケッチを始めました。
すこし描きだすと若い選手が「似てる…! 」。「どーれ! 絵の先生?」「私、いま習っている最中。写真がだめならスケッチはいいですか?」「うん」「じゃ、サインいただけます?」「いいよ」。
それからは、時たま道端で会うと、変な「おばさん」とでも思われたか、「奥さん、イカリのおまんじゅう好きですか?」。私から「チョコレート食べます?」に「ありがとう!
」と言って、リュックに入れたりと、フランクな素顔を垣間見た思いでした。
わが家の庭にも
さて今日も、わが家の狭い庭に「もず」がやってきました。四十雀、メジロ、ジョウビタキなど、多くの鳥が訪れてきます。主人が「野菜の無農薬栽培で虫が集まるからでは?」と言いますが、自然と人工との違いを見分ける鳥たちには感心するばかりです。
ふるさとを離れ約60年、人生の後半でアクシデントにも遭遇しましたが、今、鳥の通う棲家にもようやく安息の日々が…。「人間万事塞翁が馬」ではありませんが、自分の信じる道を歩み、過去の体験を明日に生かしたいと思います。

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