ハーケンクロイツ ~ドイツ第三帝国の要人たち~

ニクラス・フランク

ハンス・フランクの息子

〔旧東ドイツ〕

『父』ニクラス・フランク著

ニクラス・フランク

「――母は、ヒトラーに感謝していた。我が家では、特別に安価で物を買えたからだ。痩せこけた男たちがロバに座らされるのを見て、私は笑い転げた。ロバが後ろ足を蹴り上げると、彼らは振り落とされる。

男たちは、のろのろと起き上がる。ドイツ人は何度も彼らを座らせ、ロバの尻をたたいた。なんと素晴らしい午後だったことか。私は将校たちとココアを飲んだ。」

ニクラスの父、ハンス・フランクはヒトラーの腹心で、ナチスが占領したポーランドの総督として、ゲットーと強制収容所を管轄していた。ニュルンベルク裁判で、人道に対する罪に問われ、絞首刑となった。

「私はもう何年も、学校に招かれれば、いつでも訪問しています。そして、両親を批判した自分の著作を朗読しています。有意義な時間ですよ。まず最初に、生徒たちはショックを受けます。あえて汚い言葉を使って、父を非難し、私のように親を愛せない人間もいるということを教えるからです。タブーを破るわけです。そうやって、親を愛し、親を頼り切っている若者たちの心に働きかけるのです。私の両親がしたことを包み隠さず話すと、たとえ自分の親でも愛せなくなることは有り得ると、若者たちは納得します。もちろん、私は――特殊なケースです。フランク家の人間として生まれたんですから。非難されるべき人間は、たとえ自分の親でも非難しなければいけません。」

「――あなたの死の様子を想像した。絞首台への道は恐怖だっただろう。看守から看守へと追い立てられ、汗が背中から尻へと流れ落ちる。足首に鎖を巻かれたあなたは、足を引きずって歩く。そして太古から行われてきたように、両腕を縛られる。あなたは、3つの絞首台が並ぶ高い壇を見上げる。絞首台の下には黒いカーテン。あなたを隠すのは、どのカーテンだろう。彼らはあなたに13階段を上らせ、ずきんをかぶせて首に縄をかける。あなたの首が折れたおかげで、私は救われた。そうならなければ、あなたは私は洗脳していたかもしれない。欧米の公文書館であなたの人生の残骸を発見できる私は幸運だ。誰のウソにも惑わされずに調査することができる。しかし、どんなに深くまで調べても典型的なドイツの怪物しか見つからない。」

「聴衆が多くても少なくても構いません。そんなことは、どうでもいいんです。繰り返し、繰り返し朗読する。たとえ、それが自分にとって大きな負担であってもです。毎日、たくさんの若者や高齢者の前で、私は両親を断罪しています。そうするに値する人たちだと、自分に言い聞かせています。――私は自分を含めてドイツ人を信用していません。以前高齢者の集まりで朗読したあと、私はこう言いました。『みなさんが私の朗読会に来てくださったのは、素晴らしいことです。でも正直に言うと私は、あなたがたを誰ひとりとして信用していません。経済状況が悪化したら、みなさんは、またあの当時のような考えを持ち、強い指導者に従うかもしれません。少数民族を排除し、投獄するかもしれません。そんなことはないと誰が言い切ることができるでしょう。強制収容所は作られなくても、あちこちで殺人が起きるでしょう。そうやって、ドイツ人自身の雇用を守ろうとするのです。私はそれを危惧しています。』」

生徒「兄弟姉妹はどんな考えを持っていましたか?」

「私は5人兄弟でしたが、今年の3月に最後の兄弟が亡くなりました。その兄だけが、私を支持してくれました。調査結果を見せるたびに、こう言ったものです。『お前は、父さんの犯罪を証明してくれた。それでも、私は父さんを愛している。』

私には、もう一人兄がいました。私が本を出したとき、その抜粋が雑誌に掲載されたのですが、その兄は、掲載されるやいなや、編集者にこんな手紙を送りました。『弟のニクラスは大ウソつきです。何一つ真実ではありません。弟は、いつもわが家のやっかい者でした。』

常々『父さんより長生きしたくない』と姉の一人は言っていました。父が処刑されたのは46歳のときです。姉は母と同じブリギッテという名で、ガンを患っていました。そして、もっと長く生きられたのに、46歳のときに自殺してしまいました。

最年長の姉は、夫と南アフリカに移住しました。人種隔離体制を支持していたのです。その姉と、最後に電話で話したときのことです。私が、元気かと尋ねると、こんなことを言い出しました。『600万人のユダヤ人を焼却したとすれば――1人を焼く時間はどれくらいか、計算してみたのよ。結果は、たった1.6秒。だから全部でっち上げだ』と。その姉は、南アフリカで亡くなりました。こうして私一人が残されました。」

聴講者「涙が出ました。本当に感動しました。…すみません。子ども時代の出来事が、こんなにも、あなたを傷つけてしまった。あなたの奥さんとお子さんは、それを埋め合わせてくれましたか?昔失ったものを取り戻すことはできましたか?本を書くのに、力を貸してくれましたか?最後に、前向きな話を聞きたいのです。」

「私は妻を愛しています。妻も、こんな私を愛してくれます。私たちには、すばらしい娘もいます。残念ながら一人っ子ですが。娘には、すでに3人の子どもがいます。孫はよくやってきて、時には『家庭内テロリスト』と化します。孫がいなければ、私はもっと太っていたでしょう。そんな幸せの中にいても、私は心の奥底で、意識しているのです。『父母を敬いなさい』という戒めは心得ていても――その戒めに、どうしても従えない自分がいることを。朗読会では感情を抑えているので、終わったときは、ほっとした気分になります。ほかの子どもと同じように、私も、両親の愛情を強く望んでいたのです。これまでの30年のように、私はこれからも、新しい事実を探し続けます。そうせずにいられないのは、父について、何か1つでも、肯定的な事実を期待するからです。誰か、ユダヤ人かポーランド人の命を救ったとか…。しかし、まだ何も見つかりません。」

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