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当寺の紹介


プロフィール

こんにちは、藤五郎です。

当寺のプロフィールです。
郵便番号 921−8033
住所 石川県金沢市寺町5丁目5番28号
TEL/FAX 076(242)2825
宗派 高野山真言宗
開基 奈良・平安時代。芋掘藤五郎
中興 元和元年(1615)。快存和尚
交通その1 JR金沢駅から北鉄バス(20・21・22・30番系統)で約15分。バス停「広小路」下車にて徒歩3分。
交通その2 車なら北陸高速道金沢西インター下りる。県道25号線東へ3q約15分。

地図


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拝観案内

当寺の拝観案内です。
拝観時間 9:00〜17:00
休日 法要日
拝観料 500円・中学生以下無料
団体 事前に予約をお願いいたします。
内容 伏見寺の由来、堂内の仏像などを説明致します。

★伏見寺供養塔

供養塔 近年、ご先祖様の供養のあり方も多様化してきました。墓についても個人墓・夫婦墓・家族墓などがある一方で、次の承継者がいないため、自分の墓をつくらず寺で永代に渡って供養してもらえないかという相談も増えてきました。
当寺では、そのような声にも答えて、不安を安心に変えていただけるように、昨年11月に供養塔を竣工いたしました。毎年、正月・盆・彼岸には塔前において総供養して、菩提を弔っています。さらに、詳細を知りたい方は、当寺までご連絡ください。


伏見寺と芋掘藤五郎

その昔、加賀の国石川郡山科の里に芋掘藤五郎という翁がすんでいて、毎日山芋を掘っては神仏にお供えしたり、村人たちにあげたりしていました。藤五郎には奥さんがいます。名前は和子(わご・わこ)或いは美清女(みきよめ)といいます。
生まれは大和の国初瀬の里の長者の娘でありました。長谷の観音様の信仰が厚く、観音様の夢のお告げで、「婿としてふさわしいのは、加賀の国の藤五郎である。」と受けて、すぐさま加賀の国へと向かい、藤五郎とめでたく結婚したのです。

ある日、和子の実家より金が送ってきました。しかし、藤五郎はその価値を知らなかったので、雁(鴨の仲間)を捕まえるために全部投げ捨ててしまったのです。これにはいつも温和な和子も怒り悲しみました。藤五郎はこれならいつも芋を洗っている沢にたくさんあるといって、和子をその沢まで連れて行きました。すると沢には今まで芋に付いていた砂金の山がありました。それ以来、藤五郎は村の長者になりましたが、お金持ちになっても相変わらず芋を掘って過ごしました。
そして、その砂金で仏像をつくり、寺を建てたのが、伏見寺の始まりであります。寺の名前は、建てた場所が伏見という地名であったことから、伏見寺と名づけられたのであります。


金沢と芋掘藤五郎

金城霊沢 前の物語の中で、山芋を洗っている沢が登場してきますが、それが現在の「金城霊沢(きんじょうれいたく)」であります。日本三大庭園の一つ兼六園の南隅に位置しており、加賀百万石の前田公が名づけたと云われています。
そうすると時代的に合わなくなってしまいますが、実は以前の名前がありまして、藤五郎の時には金洗沢(かなあらいのさわ・きんせんたく)といいました。その後、真ん中の「洗」を取り、、この地を金沢と名づけたそうであります。
そのような由縁から、芋掘藤五郎は金沢地名由来の人物としても親しまれているのであります。


行基山と行基菩薩

寺には山号と寺号の名称があります。寺号である伏見寺の名称の由来は前項にて説明しましたが、山号の行基山は何に由来するかといいますと、行基菩薩からきています。
ご本尊様は芋掘藤五郎がつくりましたが、次に仏像に御魂を入れなければなりません。これを開眼供養といいますが、藤五郎は僧侶ではありませんので、探さなければなりません。
ちょうどその頃、この地に大和の高僧行基菩薩が来ていました。これ幸いということで、お願いして見事ご本尊様の眼が開かれたのであります。この由縁がら山号を行基山にしたといわれています。

行基菩薩は、668年〜749年の高僧で、最初は南都六宗の一、法相宗の教義を深く学んでいました。この頃の僧侶はいわゆる学僧で、寺に篭り、経典の研究や書写などが主でありました。一方、行基は、民衆の救済を主に、野外で説法をしたり社会事業(道路や橋などをつくっていたそうです。)をしたりしていました。この時、菩薩様のような存在であることから、行基菩薩と呼ばれたそうであります。
さて、最初は政府も本職でないことを行っている僧侶を放っておきましたが、その影響が大きくなると、ついには弾圧を行いました。しかし、大仏(東大寺)をつくる国家プロジェクトの時には、行基のカリスマ性が必要だということで、協力を要請し、見事その大役を果たしたのでありました。
大仏造営の功績も然ることながら、民衆に対する救済の中で、初めて社会事業を行った僧侶であることも注目すべき点であります。


ご本尊

当寺のご本尊は阿弥陀如来であります。時代鑑定では平安前期頃といわれ、数少ない金銅仏であります。
阿弥陀様の手の形は全部で9種類あります。当寺のは下品中生の印で、説法印の種類に当たります。時代背景では説法印(3種類)→定印(3種類)→与願印(3種類)へと、いわゆる流行が変わっていきました。
定印の阿弥陀様で有名なのは鎌倉の大仏様であります。与願印の阿弥陀様は浄土宗・浄土真宗のご本尊様にも当たりますので数的にも一番多くつくられているかと思います。ですから、説法印の阿弥陀様は時代的にも古く数も少なく、さらには平安の金銅仏となりますと、全国でもこの一仏だけだと云われています。
もし、他にもあれば情報お待ちしています。原則、写真・テレビ撮影禁止となっておりますので、後は実際にお参りにきてください。


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