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用語集


高野山真言宗

真言宗は弘法大師空海(776〜835)が唐(今の中国)で密教(秘密佛教)を授かり、日本で開いた宗派です。紀伊の国(今の和歌山県)にある高野山を根本の道場に選び、高野山を中心としてその教えを全国に広めました。その後、根本的な教えは変わらないのですが、細かく分派して、本山がいくつかあります。高野山真言宗の本山は高野山、東寺派は東寺(京都)、豊山派は長谷寺(奈良)、醍醐派は醍醐寺(京都)などあります。後は色々と検索してみてください。


高野山

高野山は、弘法大師空海が真言密教の根本道場として開創された聖地であります。古来より日本人は山上に浄土がある山上他界観により、山を聖なる場所として捉えられてきました。さらには、死者の遺骨を壺などに入れ、寺院や墓に祀る遺骨信仰と合わさり、高野山は日本人の総菩提所として、宗派を問わず信仰されてきました。
現在では信仰と観光の両面から、毎年たくさんの方々が参拝されています。平成16年には、「紀伊山地の霊場と参詣道」(高野山・熊野・吉野)としてユネスコの世界文化遺産に指定され、海外からも高野山へと参拝されています。


弘法大師

お大師さまは、宝亀5年(774)6月15日に、讃岐の国(今の香川県)で生まれました。幼名は真魚(まお)といい、両親は地方の豪族でした。幼少の頃から、母方の叔父(儒学者、伊予親王の侍講)から学問を受け、周りから将来を期待されていました。

延暦7年(788)、叔父と共に都(長岡京)に上り、18才になると大学へはいりました。この頃の大学生のほとんどは国家の役人になるために勉学していました。真魚さまは、儒教・道教・歴史・文学を学ぶ中で、特に仏教に深い関心を寄せていきます。そして、立身出世のための大学で学ぶことに疑問を感じ、人生の目的・意義についての答えを得るために、大学を去り、周囲の反対を押し切って、仏道修行の道を選ばれました。

様々な厳しい修行を積み、20才の頃に河内国(大阪)槇尾山寺(まきのおさんじ)で、勤操(ごんぞう)僧正より得度を受け、剃髪して僧侶になりました。はじめは教海(きょうかい)と名乗り、次に如空(にょくう)と名乗っていました。22才の頃、東大寺戒壇院において具足戒を受け、この時に初めて空海(くうかい)と名を改めたのでした。

24才の時には、『三教指帰』(さんごうしいき)を書きました。これは、儒教・道教・仏教の思想を比較し、大乗仏教が一番すぐれていることを論じました。しかし、ある日、大和国(奈良)の久米寺(くめでら)で密教の根本経典『大日経』(だいにちきょう)に出会い、その教えを直接学ぶため、唐(中国)に渡る決心をされました。

延暦23年(804)、31才の時、念願が叶い、留学僧として入唐されました。様々な教えを学びながら、翌年の6月、長安の青龍寺(しょうりゅうじ)恵果和尚に巡り合い、正統の真言密教を受け継ぎました。延暦25年(806)、わずか2年で帰国され、日本に正統なる密教の新しい風を吹き込みました。

天皇・朝廷からの信頼も厚く、弘仁7年(816)、高野山を開創されました。弘仁14年(823)には、東寺(京都)を賜り、密教の仏像も数多くつくられました。書物も数多く書かれ、土木、教育、社会活動などにも大きく貢献されました。

承和元年(834)、宮中(京都)に真言院がつくられ、そこで真言密教の秘宝にて、天皇家の安泰・国家の平和・国民の幸せを祈願して、翌年正月から7日間御修法が行われました。これが宮中後七日御修法(ごひちにちみしゅほう)の始まりといわれています。

承和2年(835)、62才の時、高野山に身をとどめ、永遠に生きる決意を固め、3月21日、入定されました。それから、86年後の延喜21年(921)、弘法大師のおくり名を賜りました。そして、今でもお大師さまは高野山の奥之院におられ、人々の幸せを願っておられるのです。


護摩

護摩は梵語で供養する意味がありまして、仏前に火を焚いて行じる修法であります。当寺でも毎月お不動様の縁日である28日に護摩を行っています。
インドでは昔、バラモン教がその修法を最初に行っていました。その目的は、お供物を祭壇の炉の中へ投げ込み、それらが火炎・煙となって天に昇り、天の神々へと届きます。天の神々はそれに答えて人々の願望を叶えてくれるといった信仰でありました。
それが弘法大師により日本に伝えられると、広くは国の平和や仏法の興隆を願うために行われたり、先祖供養や自分の煩悩を焼きつくし菩提心を起こすといった様々な護摩の修法が今日でも行われています。

当寺では毎年10月28日は不動尊大祭として、1年の中で最も大事なお祭りに当たります。護摩とお経の力により参詣者のお願いごとをお祈りいたします。また新年になってから、初めて行われる護摩を初不動・初護摩といい、お不動様のお力によりこの1年が良い年でありますようにお祈りいたします。ほとんどの場合、護摩のご本尊様といえば、お不動様でありますが、他の仏様をご本尊様にする場合もあります。

お不動様のお姿は常に火炎を身に纏っています。弘法大師はその火は智慧の炎であり、あらゆる障害を焼きつくし、障害を屈服させてまで人々を救うと述べております。そういった状況により、人々の間にお不動様に対する信仰が広まっていったのでしょう。当寺のお不動様は平安時代の作と云われていますので、その時代よりずっと私たちの願い事を聞き、見守っておられるのです。


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