家系譜こそ供養の出発点
家系図作成は先祖供養の出発点です。供養の道案内をしてくれる地図(あるいは羅針盤)のようなものです。日本人は熱心に先祖供養をしてきましたが、総称して「ご先祖」と言っても、具体的には誰を供養してきたのか分かりません。ただ、漠然とやってきたにすぎないのです。
細木数子さんは先述の本で次のように述べています。
早死にした父親の兄弟姉妹だとか、祖父が愛人に生ませ認知だけしている子供がいて、若いうちに亡くなっているとか、たいていの家で、まだ祀られていない先祖が一人や二人いるものです。……そうした人たちも含めてきちんとした家系図を作ると、あなたが祀って供養しなければならない先祖がはっきり見えてきます。(『幸せになるための先祖の祀り方』)
先祖からの影響が80パーセント以上であると前述しましたが、そうであるならば、先祖供養は「因果の流れを変えるための唯一の方法」であり、具体的にどういう名前の先祖がいて、いつ亡くなったのか、つまり先祖の命日を知ることは、当然ながら必要です。
逆に、今まで先祖供養をしてきたと言いながら、肝心な先祖の名前も命日も知らなければ、果たして自分はやってきたと言えるでしょうか?たとえば、自分は孫を愛していると言いながら、肝心な孫の誕生日を忘れているとしたらどうでしょうか。孫を愛していれば、当然関心を持ちますし、孫のことを知ろうと努力します。何も知らなかったら、愛してこなかった証拠のようなものです。先祖に対して名前や命日を知らないことは、それと同じなのです。
従来の先祖供養が、もし単なる形式や形だけであったとしたら、どんなにお金をかけようと、ほとんど供養してこなかったと同じなのです。どのような先祖がいたのか、そしていつ亡くなったのか、先祖を探すことが究極の供養なのです。愛することは、知ることからはじまります。
よく「うちは由緒ある家柄でもないし、偉い先祖がいるわけでもないから先祖を知りたくない」と言う人がいます。しかし、これほど先祖を冒涜した言葉はありません。先祖の価値を、単に身分や社会的貢献度だけで決めてよいものでしょうか。身分や出自がどうであれ、私をこの世に生んでくださっただけで充分ではないでしょうか。
子供を育てるということは、いつの時代でもたいへんなことです。私たちの先祖は、幾度となく戦争や飢饉を経験してきました。自分はボロを着ても子には着るものを与え、自分が食べたいものも子や孫に与えてきたことでしょう。親が子を愛する愛は無条件です。完全無私の立場に立たなければ、親としての愛を全うできるものではありません。
仏教学者暁烏敏(1878〜1954)が詠んだ歌に「十億の人に十億の母あらむも 我が母にまさる母ありなむや」とあります。世界に、人の数だけ母はいますが、私の母は私を産んで育ててくれただけで「世界一」のはずです。そのような親子の愛で結ばれている先祖を、仮にも身分や出自で価値判断することなど、到底できるはずがありません。
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