ショパン・スケルツォ CD聴き比べ
おすすめ度・第1位:ヴラディーミル・アシュケナージ(p), ロンドン盤, 1976-84年録音おすすめ度・第2位:マウリツィオ・ポリーニ(p), DG盤, 1990年録音
1.所有音源
ピアニスト | レーベル | 録音 | ランキング |
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アラウ | フィリップス | 1984年 | ★★★ |
ルービンシュタイン | RCA | 1959年 | ★★★★ |
アシュケナージ | 英デッカ(ロンドン) | 1976-84年 | ★★★★ |
ポリーニ | ドイツ・グラモフォン | 1990年 | ★★★★ |
リヒテル | メロディア | 1977年 | ★★★ |
カツァリス | テルデック | 1984年 | ★★★ |
ルービンシュタイン | EMI | 1932年 | ★★ |
ヴァーシャリ | ドイツ・グラモフォン | 1965年 | ★★★ |
フランソワ | EMI | 1955年 | ★★ |
ブーニン | EMI | 1995年 | ★★★★ |
2.短評/感想(CDジャケット写真は、所有CDのものです。現在発売のものとは異なることがあります)
ショパン・スケルツォも、私が聴いた限り、これといった決定版にはまだ巡り合えていないです。
期待していたポリーニの演奏があまり良くなかったのが最大の原因でしょうか。
みなさんのお薦めの演奏、是非教えてください。
クラウディオ・アラウ(p), フィリップス盤, 1984年録音 | |
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ベートーヴェン弾きとして評価の高かったアラウは、ショパン演奏でもレコード界ではそれなりに評価
されているため、購入したものなんですが、僕はこれを買った中学生当時、彼の名前は知っていても
演奏スタイルまでは知らなかったんです。いわば「ネームバリュー」が購入の唯一の動機だったんです。
演奏はというと…
非常に遅いテンポで一つ一つのフレーズを淡々と弾いています。真面目ですが面白くもおかしくもない
感じで、取りたてて論じるほどの演奏ではないような気がします。地味でつまらないんですよ。
実は僕自身のショパン・スケルツォとの出会いは第1番以外は、この演奏だったんです。で、「ふーん、
ショパンという人も面白くない曲を長々と書いたもんだねー。」と1人で呟いていたんです。実は第1番
はホロヴィッツのめちゃ切れ味鋭い名演で覚えたので、第1番のインパクトとのあまりの違いに驚いたんです。
そこで中学生当時、僕はショパンのスケルツォといえば、もう第1番しか頭になかった、というのが
今にして思えば不思議な事実だったのです。ああ、このCD、もう1度聴きたいとは思わないなあ。
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アルトゥール・ルービンシュタイン(p), RCA盤, 1959年録音 | |
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それから約一年半後、高校入学と同時に購入したルービンシュタイン・ショパン全集の中の1枚。はっきり言って
衝撃でした。アラウの演奏がデフォルトとなっていた当時の僕にとって、ルービンシュタインの弾く
スケルツォは超特急なみのテンポでカミソリのような切れ味でした(笑わないでください!!)。第2番、第3番でみせる
スタインウエイフルコンのゴージャスでブリリアントな音色が僕を虜にし、その強靭な打鍵と豊かなロマンで
スケルツォの各曲に豊かな生命の息吹を吹き込んでいくような、イマジネーション豊かな演奏でした。
その感動は到底言葉で表現できるものではなく、これを聴いて僕の高校時代のピアノ観が変わったと言っても
過言ではありません。これとほぼ同時に聴いて覚えたバラード全曲とともに、僕の高校時代は、バラード・
スケルツォとの格闘の時代となったわけです。ルービンシュタインのスケルツォは、特に第2番、第3番が
優れているようで、某氏のおっしゃっていたような「気の抜けたサイダー」とは程遠く、極めて強靭な
打鍵で気合の入った豪快な演奏でした。是非みなさんにも聴いてもらいたい演奏です。但し特に第2番では
独自のアレンジが加わって通常の楽譜と違った音を弾いている箇所が多いのは気になります。
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ヴラディーミル・アシュケナージ(p), ロンドン盤, 1976年〜1984年録音<<推薦>> | |
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いつもアシュケナージの演奏で僕が感心するのは、細部までゆるがせにしないその丁寧さ。それは
彼の生来の真面目な性格によるもののようです。この演奏も実に輝かしく磨きぬかれた美しい音色で、バランスのよく
きめの細かい表現を実現しており、その純度、質ともに最高のショパン演奏に安心して身を委ねることが
できます。ショパンはスケルツォ4曲に暗く激しい情緒を盛り込んだはずですが、アシュケナージは
これらの激情の部分も決して「品」を失うことなく、適度に控えめな表現でさらりと演奏してみせます。
そこに物足りなさを感じる向きもあるのでしょうが、とにかく感極まってそのまま大暴走することの
多い現在のヴィルトゥオーゾ・ピアニストの中にあって、実にバランス感覚に富んだ真摯なアシュケナージ
のアプローチは、単なるお手本を超えた、最高のショパン解釈であり、演奏です。
その意味で、ショパン・スケルツォの完全無欠の演奏の筆頭に挙げたいのが、この演奏という訳です。
5点満点を与えていないのは、ややスケールが小さく、緊迫感を欠くところが歯痒いから。
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マウリツィオ・ポリーニ(p), DG盤, 1990年録音<<推薦>> | |
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1990年というと、もう既にポリーニの超完璧な演奏が期待できなくなった頃。このスケルツォもやや
期待外れの感はありましたが、それでも、やはりポリーニ。聴かせどころはしっかり聴かせてくれます。
秀逸なのは第3番で、ややアクの強い表現にはいささか戸惑うものの、強烈な印象を植え付けるヴィルトゥオジティ
に満ちた豪快にして精緻な圧倒的名演奏です。これだけとれば、申し分ないものの、第1番、第2番、第4番は、
完璧主義のポリーニにしてはやや冴えない内容となってしまっており、泡立つタッチで瑞々しい美観
を湛えたアシュケナージの名演奏に一歩譲らざるを得ない感があり、ポリーニファンとしては残念この上ない演奏内容と
なってしまっています。これを聴いて僕はショックのあまり、半年間再起不能に陥りました。
逆に言えば、それまでのポリーニの演奏がそれだけ素晴らしすぎたということです。
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スヴャトスラフ・リヒテル(p), メロディア盤, 1977年録音 | |
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スラブ人は情にもろいと言われますが、リヒテルほど自己の芸術に対して厳しく凛とした解釈を
聴かせてくれるピアニストはいないと思います。このスケルツォ全曲は、彼のまとまった数少ないショパン
演奏として貴重なものであるばかりでなく、レコード芸術誌のレコードアカデミー賞をも受賞して
います。ショパンという作曲家が旺盛なロマン主義に対抗し、独自の路線を孤独に突き進む、孤高の
ピアノの詩人だったことが分かるような、古典的なショパン演奏がここにあります。過度の感情・虚飾
を可能な限り排し、純度の高い古典器楽曲としての整然としたピアノ曲を聴かせるという姿勢を
4曲を通して貫いています。僕を含め、そこに物足りない思いを抱くのは、リヒテルのピアノの奥の
深さを知らないためなのでしょう。でも、もう少しパッションが欲しいなあ、僕としては…
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シプリアン・カツァリス(p), テルデック盤, 1984年録音 | |
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カツァリスといえば、ベートーヴェンの交響曲(リスト編曲版)の全曲録音を行った唯一のピアニストで
とかく、その超絶技巧が話題になりがちですが、ショパン演奏においては、想像力豊かな極めてユニークな
演奏を聴かせてくれます。このCDはバラードとともに収められており、1985年ショパンコンクールにおける
ディスク大賞を受賞した誉れ高い名盤です。このことからも分かるように、彼は従来のショパン解釈の
基本を踏まえながらもそこに独自の味付けを施すことに成功しています。それまで誰もがきづかなかった
内声部を浮き彫りにしたり、さりげない1フレーズを強調してみせたり、独自のユニークな解釈を
披露して僕たちをハッとさせてくれます。それでも、何故か、この人の演奏は、パワーが足りない感じ
がして、アシュケナージ同様、中途半端な印象がぬぐい切れないです。
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アルトゥール・ルービンシュタイン(p), EMI盤, 1932年録音 | |
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ルービンシュタインの結婚の年に録音されたスケルツォ。彼は既に45歳。この後、1934年の大変革
の年以前のいわば「荒れた」演奏として現存する貴重な音源です。もう何とも形容しがたい、その疾風のような
激しくも荒々しい演奏には息を飲み、言葉を失います。旺盛な表現主義、ロマン主義時代の只中に生まれた
彼の中に培われた溢れるばかりの表現意欲がみなぎった演奏で、もうやりたいことはこちらに伝わってくるのだが、
指がついていっていないです。これを単なる怠慢と取るか、才能の現れととるかは微妙なところですが、
僕は、「才能だけは超一流で努力が足りない演奏」という認識で、これこそが、ルービンシュタインの
若かりし頃の才能の証であると信じます。彼の怒号が聞こえてくるような荒れ狂った激しい演奏です。
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タマーシュ・ヴァーシャリ(p), DG盤, 1963年録音 | |
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ヴァーシャリの弾くショパンは、その自然な音楽性とセンスの良さが最大の聴きものです。
殊更大袈裟な自己主張もヴィルトゥオジティもなく、一瞬にして聴く人をCDプレーヤーの前に釘付けにする要素は
あまりないかもしれませんが、ショパンの詩情を心の底から飾らずに歌い、その至福の一時を僕達に授けてくれるこの人の
ショパン弾きとしての才能はまさしく「ショピニスト」と呼ぶに相応しいものだと思います。
真実のショパン演奏は、超絶技巧でも大音量でもハッタリでもなく、センスの良いさりげない
ルバートと音の中間色の微妙な使い分けによって生まれるということを、この人は、その演奏を通して聴く人に
伝えているようです。
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サンソン・フランソワ(p), EMI盤, 1955年録音 | |
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モノーラル時代も終わろうとしていた1955年に録音されたフランソワのショパン・スケルツォ全曲盤。その晩年の屈折した
情緒が支配するポロネーズ集とは違い、ここでは、彼本来の抜群の即興性による感興に従って、己の信じる道をひたすら
突き進んで行きます。その感情移入の激しさには息を飲むばかりです。ショパンがこれらのスケルツォに託した
暗く鬱積した感情を、フランソワは極めて直情的に表出していて、その猛り狂う激しさが殊更共感を呼ぶ名演奏と言えます。
オーソドックスとは言えないにしても、ショパンの真実の声が聞こえてくる稀有の演奏といえると思います。
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スタニスラフ・ブーニン(p), EMI盤, 1995年録音 | |
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ブーニンはショパンコンクール優勝後、我が国で大ブームを巻き起こしましたが、そのわりにレコード界での
評価が今一つで、録音の機会やレコード売上に恵まれず、失望しているファンも少なくない
と思います。このスケルツォ全曲に関しては、磨きぬかれた鋭い音色と鋭敏な感性に支えられた、切れ味鋭い名演です。
スケルツォの速いパッセージはブーニンの技術的、音楽的な長所が十分に発揮されており、まずは水準を大きく
越えていることは間違いないです。僕など、スケルツォ第1番の冒頭の鋭い不協和音と、きめの細かい
粒揃いのパッセージの抜群の切れ味を耳にして、ひとりでに鼓動が高鳴るのを覚えました。長年、ショパン
・スケルツォの決定版の不在に大きな失望を抱いてきた僕に、大きな希望を与えてくれたからです。しかし、
聴き進めていくうち、至るところに恣意的な「ブーニン節」が登場し、首をかしげる箇所があまりに多い
のには閉口しました。そんなことはしなくても、その技巧と研ぎ澄まされた音色、鋭い打鍵で
普通に演奏すれば、絶対的なスケルツォの決定版になっていたのに、と僕はひどく失望したんです。
本当に優秀な演奏だけに、余計なことをやりすぎたことが返ってマイナスになっているのが何とも皮肉です。
本当に惜しいです。音楽的には僕のストライクゾーンからはちょっと遠い演奏です。抜群にうまいのですけど…。
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3.演奏時間比較
ピアニスト | レーベル | 録音年 | 第1番 | 第2番 | 第3番 | 第4番 |
---|---|---|---|---|---|---|
アラウ | フィリップス | 1984年 | 11'19'' | 10'23'' | 7'59'' | 12'05'' |
ルービンシュタイン | RCA | 1959年 | 9'04'' | 9'45'' | 7'14'' | 10'57'' |
アシュケナージ | 英デッカ(ロンドン) | 1975-85年 | 9'49'' | 9'47'' | 6'37'' | 10'04'' |
ポリーニ | ドイツ・グラモフォン | 1990年 | 9'30'' | 9'52'' | 7'25'' | 10'36'' |
リヒテル | メロディア | 1977年 | 10'24'' | 9'42'' | 7'27'' | 11'36'' |
カツァリス | テルデック | 1984年 | 9'41'' | 9'44'' | 7'21'' | 10'39'' |
ルービンシュタイン | EMI | 1932年 | 8'18'' | 8'11'' | 6'26'' | 9'33'' |
ヴァーシャリ | ドイツ・グラモフォン | 1965年 | 9'15'' | 10'14'' | 7'33'' | 11'20'' |
フランソワ | EMI | 1955年 | 8'31'' | 10'12'' | 6'44'' | 11'55'' |
ブーニン | EMI | 1995年 | 11'00'' | 10'35'' | 7'53'' | 11'32'' |
更新履歴
2005/03/01 「演奏時間比較」追加