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マウリツィオ・ポリーニ(Maurizio Pollini,1942〜、イタリア)

 
実績:1960年第6回ショパンコンクールで優勝
かつては鮮烈かつ極上のピアニズムで正確無比・完全無欠の演奏を聴かせてくれた「ミスター・パーフェクト」
現在はその面影は跡形もない(悲しすぎてこれ以上コメントできない)

この「ショパン弾きのピアニスト」のページでは、各ピアニストのこれまでの活躍を振り返りながら、 その演奏の特徴についても詳細にレビューを書いていますが、他のどのピアニストのページでも、 ピアニスト毎に、その根底に流れる 不変の特徴があり、デビュー当初からたゆまぬ成長を続けていることを前提として書いています。

ところがポリーニの場合はそうはいかないところに悩ましさがあります。 というのも、残念なことに現在のポリーニには、かつての完璧・鮮烈なポリーニの面影が跡形もないからです。 当サイトを開設した2002年当時、既にポリーニの技術的な衰えは進行しつつありましたが、 それでも今後、立ち直りに一縷の望みを託してポリーニの動向を祈るような思いで静観していました。 しかし結果的には立ち直りどころか、技術的な衰えはますます進み、 既にポリーニの復活は期待できないことが確定的となったため、 こうしてこのページを大幅に更新する決意をしました。

僕はポリーニのデビュー当時、まだこの世に生まれていなかったこともあり、 ポリーニの登場がクラシック音楽界にいかに大きな衝撃を与えたかが具体的には分からないのですが、 その鮮烈で完璧なテクニックから想像するに、相当なインパクトであったことは間違いなさそうです。 既に15歳でショパンのエチュードOp.10, 25全曲をプログラムに入れて、地元イタリアのミラノで 演奏会を開き、その圧倒的な完成度で聴く人に新鮮な衝撃を与え、「天才少年」として一部では 知る人ぞ知る存在だったようです。

僕たちはポリーニの演奏の究極に磨き上げられた鮮烈・痛快極まりない演奏からは、 ピアニストとしてのキャリアは順風満帆だったのではないかと想像しがちですが、 実は決してそんなことはなかったようです。 ポリーニのコンクールの初登場は1957年ジュネーブ国際音楽コンクールだったようですが、 そこで第2位となっています (第1位はマルタ・アルゲリッチ、余談ですがこの時代は男女別だったらしいです。 ピアノはスポーツ競技ではないのに、やはり音量や手の大きさ等、男性に有利であることを考慮した設定なのでしょうか)。 ポリーニは翌年にも同コンクールに再挑戦していますが、そこでは1位なしの2位で 天才ポリーニにしては不本意な結果に終わってしまいました。 最終的に1960年の第6回ショパン国際ピアノコンクールでそれまでの借りを返すことを誓ったわけですが、 名建築家だった父親は「今度のショパンコンクールで優勝できなかったら、ピアニストではなく建築家にさせる」 と言っていたそうです。これはポリーニにとっては大きなプレッシャーになっていたことは想像に難くありません。

しかし最終的に、ポリーニは1960年の第6回ショパン国際ピアノコンクールで、聴衆の圧倒的な支持を得て 優勝しました。満場一致、審査員全員一致とも言われており、その時、審査員長を務めていた アルトゥール・ルービンシュタインが「技術的には我々審査員の誰よりも上手い」と絶賛したのが 彼の優勝を確定的にしたとも言われています(当時、ルービンシュタインは名実ともに、 ショパン演奏の圧倒的な権威で、その発言の影響力は絶大だったことが想像されます)。 「でも、この発言には「技術的には」という保留が付いているではないか」、 「裏を返せば音楽的には大したことがないということではないか」という反論も容易に想像できますが、 それは的外れと言うものです。ルービンシュタインを含め、ピアノで頂点を極めた人であれば誰でも、 技術的な才能がピアノを演奏する上でいかに重要であるかを知っていますし、 ポリーニの鮮烈で並外れた完成度を誇るテクニックは、他のピアニストを大きく引き離しており、 それ自体が無二の大きな魅力にもなっていたことを雄弁に物語っています。 それほどポリーニのテクニックは当時から他の追随を許さないほど突出していたということだと思います。 この時、ポリーニは弱冠18歳で、これはショパンコンクール優勝の最年少タイ記録で、 当時は新記録でした (他に18歳での優勝は1975年クリスティアン・ツィマーマン、2000年ユンディ・リの2人がいます。 但しユンディ・リはコンクール開始時17歳だったため、厳密に言えば「最年少」という点ではユンディ・リが僅差でトップではあります)。

ポリーニは、これで父親からピアノの道を断念させられることもなく、 ルービンシュタインという当時のショパンの大権威をも味方につけ、 順調な第1歩を歩み始めたかに思われました。 EMIにもショパンのピアノ協奏曲第1番(パウル・クレツキ指揮、フィルハーモニア管弦楽団)の録音を行い、 いよいよ活動が始まるかと期待したファンの方も 多かったのではないかと思いますが、その録音の後、ポリーニの活動はぱったりとストップしてしまいました。 ポリーニの身に一体何が起こったのか、一時は死亡説まで流れたほどの空白の期間だったそうです。 しかしその間、ルービンシュタインやミケランジェリからも教えを受け、指揮法も勉強するなどして、 自分のピアノ演奏をさらに高めようと努力していたようです。 しかし、この空白の期間は多くの書き手によるポリーニ史の中でもほぼ一様に「謎」とされており、 現在入手できる正規の情報からはその詳細を知ることはできないようです。

1960年ショパンコンクール優勝直後にEMIに録音したショパンのピアノ協奏曲第1番のレコード以来、 大沈黙を続けていたことになりますが、その沈黙を破ったのは1968年で、同じEMIに ショパンのポロネーズ第5番、第6番、ノクターン第4番、第5番、第7番、第8番、バラード第1番 を録音し、楽壇への復活を遂げました。 1960年録音のショパン・ピアノ協奏曲第1番の演奏は18歳の少年の演奏とは思えないほど 究極のコントロールを得た完璧な演奏で、ポリーニが少年時代からただ者ではなかったことを知るに 十分な演奏ではありますが、表現の振幅が小さく淡々と弾き進めていくような演奏で、 正直物足りない印象も否定できず、 現在出回っているショパンのピアノ協奏曲第1番の他のピアニストの録音と比較して突出している印象は全くありません。 しかしその8年後にEMIに録音した、ショパンのポロネーズ第5番、第6番、ノクターン第4番、第5番、第7番、第8番、バラード第1番 の演奏は8年間の録音技術の向上も一因にはあるかと思いますが、 それ以上に、同じピアニストの演奏とは思えないほど、表現に深みと幅が増しているのが聴き取れます。 硬質で磨き抜かれた音色が鉄壁の技術的コントロールを得て、1音1音究極の粒立ちで立ち上がる演奏で、 そこには得難いショパンの「歌」があり、彼がピアニストとして大幅な成長を遂げたことを はっきりと実感することができます。 2枚のレコードの内容を比較するだけで、この8年間の長きに渡る沈黙について語るのは危険であることは 認識しつつも、 それ以外の情報がないため、ここでは演奏内容からその8年間のポリーニの成長を推測してみることにしました。

ポリーニはその後、世界一の名レーベル・ドイツグラモフォン(以下「DG」)と契約を結び、 ストラヴィンスキーのぺトルーシュカからの3楽章、プロコフィエフのピアノソナタ第7番、 ブーレーズの第2ソナタなどを収めたレコードで鮮烈なデビューを飾ります。 大理石を思わせる硬質かつ均質な美音、強靭な打鍵と驚異的に正確なテクニックで、 これら難曲の現代音楽が見事な造形美を伴って明確に立ち上がる様はただただ唖然とするばかりで、 精密機械もかくやと思わせる完全無欠で気合の入った入魂の演奏は、痛快極まりなくエクスタシーとも言えるものです。 このレコードはポリーニのDGデビュー盤として現在でも大きな話題になるほどの名盤で、 ポリーニ本人も相当に気合を入れて録音に臨んだのではないかと思われます。

そして続く第2弾のレコードは他でもない、ショパンのエチュードOp.10&25全24曲盤でした。 このレコードの新譜発売当初、ジャケットのタスキには「これ以上何をお望みですか」と印字されていたと 言われています。当時、LPレコードの一般的な価格は日本の平均的なサラリーマンの月収の10分の1から5分の1ほど であったと言われていますが、これを見て、買わないわけにはいかないという気にさせられた方も 多かったのではないかと想像されます。 ある意味、これ以上購入意欲をそそられるキャッチコピーはないとも思いますし、 僕らこの演奏内容を知っている人から見れば、これ以上、この演奏の内容を 簡潔かつ的確に表現した言葉は思い浮かばないほどです。 このショパンのエチュードは発売以来40年以上経ち、技術的に優れたピアニストが次々に台頭してきた現在でも、 技術的にこれを凌ぐ演奏はないと評されるほど、圧倒的な完成度を誇る鉄壁の牙城として 不動の地位を保ち続けています。

ポリーニのレパートリーはバロック、古典派、ロマン派、近現代、現代と時代的に極めて幅広いものですが、 1985年頃までは自分の信念に基づき特定のレパートリーにこだわりながら、 比較的狭い範囲で磨き上げられた究極の完成度の演奏を披露していました。 そのため、名声や人気と比べて録音は少なく、自分で納得した録音だけをリリースしていたようです。 ポリーニの過去の録音や演奏会プログラムを見る限り、アシュケナージやルービンシュタインのような ジェネラリスト的なタイプではなく、独自の信念によって厳選した作品で磨き抜かれた演奏を聴かせる ミケランジェリに近いタイプであることが分かります。特にポリーニのプログラムは、他のピアニストと比較して 現代音楽の占める割合が大きいのが特徴と言えます。 その一方で、一般に名曲とされる(悪く言えば「陳腐」とも言える)作品を敬遠する傾向が見られ、 ショパンではワルツを演奏しないことでも知られ(と言っても、後に作品34の3つのワルツを録音し、 ポリーニ爺さんは一体どうしちゃったのか?と心配にもなりました)、 チャイコフスキー・ラフマニノフなどのロシアものは一切弾かない頑固さも持ち合わせていました。

ポリーニの演奏の特徴については改めて述べるまでもないとは思いますが、 大理石を思わせる研ぎ澄まされかつ磨き上げられた硬質かつ均質で透明な音色が特徴で、 強靱かつ正確無比な演奏技巧によって鉄壁のコントロールを得て、 一点の曖昧さも残さずに作品の隅々まで光を当てて完全再現していく、 極上の完成度を誇る演奏が大きな特徴です。造形感覚に秀でており、 明晰で彫りの深い立体的な構築物を築き上げるような演奏スタイルはまさに圧巻という他なく、 まるで精巧なイタリア工芸品を見ているかのようです。 難所でも一糸乱れぬ恐るべき演奏技巧が一段と冴え、痛快極まりない演奏となります。 その一方で、ラテン民族特有の「明るさ」が彼の演奏のもう1つの特徴となっており、 これは彼がイタリア生まれであることと大いに関係があると思います。

このようにポリーニの演奏の特徴は、ショパンの演奏に必要とされる資質と 若干距離があるようにも感じられますが、上記のポリーニの演奏の特徴はそれ自体、 有無も言わさぬ説得力を生む要素を伴っており、鮮烈なショパン演奏を実現しています。 ポリーニが優れたショパン弾きであることは、何よりショパンコンクール優勝の実績が 物語っているとも言えますし、録音を聴く限り、 少なくとも1985年頃までは世界で屈指のショパン弾きであったと思われます。

繰り返しますが、かつての完璧主義者だったポリーニは安易な録音を拒み続け、 常に私たちファンの期待を裏切らない、いや期待を上回るレコードをリリースし続けてきており、 完全に「量より質」という信念に基づいて録音活動を行っているピアニストでした (その意味でクリスティアン・ツィマーマンに近いものがありました)。 1990年以降は技術的に急激に衰えて、それとともにその確たる信念が崩れてしまったのか、 次々に期待外れの録音を大量にリリースするようになってしまい、 現在の僕にとってポリーニは全く関心のないピアニストになってしまいましたが、 僕が把握している限り、ショパンの作品を 収めたDG盤で現在入手可能な国内盤は以下の通りとなっています。

@エチュードOp.10&25(全24曲)
A24の前奏曲Op.28
Bポロネーズ集(第1番〜第7番)
Cピアノソナタ第2番、第3番
Dスケルツォ第1番〜第4番、子守歌、舟歌
Eバラード第1番〜第4番、前奏曲Op.45、幻想曲Op.49
Fノクターン第1番〜第19番
Gピアノソナタ第2番、ワルツ第2番〜第4番(Op.34-1〜3)、マズルカ第22番〜第25番(Op.33-1〜4)、即興曲2番、バラード2番
H24の前奏曲Op.28, マズルカ第18番〜第21番(Op.30-1〜4)、スケルツォ第2番

@〜Cまでがポリーニの全盛時代の完全無欠の録音です。 この頃のポリーニの演奏は常に鮮烈で何を弾いても素晴らしく、 その割に録音が少ないことに歯痒い思いをしていたファンも多かったと思います。 この頃のポリーニは、自分に乗り越えられないかのような高いハードルを設定して、 そこに到達できたものだけを決定的名演の記録として残していくという自分に厳しい姿勢で 録音に臨んでいたことが伺われますし、その必然的結果として、 同一作品の再録音などもってのほかと考えていたのではないかと思われます。

@ショパンのエチュードは録音後40年以上を経た今もなお、決定的名盤の誉れ高く、 燦然と光り輝いていますし、A24の前奏曲も、実にコントロールの効いた冴えた音色で、 劇的な短調の作品を表現の軸に据えて最後まで有無も言わさずに聴かせてしまう圧倒的名演です。 Bポロネーズ集は正確にリズムを刻みながら明快で大柄で完成度の高い王道の演奏を聴かせてくれて見事です。 Cピアノソナタでは完璧な技術はそのままに音色に柔軟性が増し、鮮烈でありながらも奥行きを感じさせる 素晴らしい演奏を聴かせています。 しかし、Dスケルツォ集になると「あれ?」と思うような変調があり、 かつての鮮烈なピアニズムのポリーニを期待して聴くと肩透かしを食わされます。 そしてE〜Hにかけては、急な坂を転げ落ちるように、かつての完璧主義者のポリーニの面影はどこに、 というような演奏に成り果ててしまっています。

1985年〜90年頃を境に、ポリーニは明らかに変わりました。 かつては冷徹で完璧で一点の曖昧さも残さない明晰なピアニズムがポリーニの最大の特徴でしたが、 最近は温かく情熱的で細かいことにこだわらない大らかな演奏(それにしてもバランスが悪い) となりました。これを好ましい変化だと思う人もいるようで、以前のポリーニよりも最近のポリーニの 方が好きだという人も少なからずいるようですが、これは僕にとって大きな驚きでした。 かつては徹底的に磨き上げられたレパートリーだけを慎重に録音するというポリシーで、 その妥協を許さない厳しい姿勢からは、同一曲の再録音など想像もできなかったのですが、 最近のポリーニは同一曲を複数回録音し次々にリリースしていて、 一体、ポリーニはどうなってしまったのか、かつての厳しさ、プライドはどこに行ったのか、 頭は大丈夫だろうか、と心配にもなってしまいます。

1985年〜1990年というとポリーニはまだ40歳代半ばで、技術的な衰えは老化現象では説明できず、 何らかの事故、あるいは障害が体に起こったのかもしれませんが、真相は全く知りません。 その頃の技術的な衰えに、今度は老化まで加わり、ポリーニはこの年齢のピアニストの平均から見ても 技術的に弱いピアニストになってしまいました。 ポリーニのかつての鮮烈なピアニズムを生演奏で聴くことなど、今となっては望むべくもありませんが、 例え少なくてもそれが記録として残っているのが我々にとっては大きな救いです。 こんなことになるのなら、若かりし頃、ポリーニはある程度妥協の上、 もっと沢山の録音を残してほしかったと思うと残念でならないです。 しかし、それは結果論というものかもしれません。 安易な録音を拒み続け、妥協を決して許さない自分に厳しい姿勢があったからこそ、 あれほど完璧で鮮烈なピアニズムで皆を唸らせる名演を聴かせてくれたのだと思います。 ピアノ演奏という行為において、これほど痛快、鮮烈でエクスタシーとも言える瞬間を 味わえるのだということを実演で示してくれたポリーニの名は、音楽史に永遠に刻まれると思います。 少なくとも40歳代半ばまでのポリーニは1世紀に数人の逸材だったと思っています。 そんなポリーニにありがとうと感謝の言葉を捧げたいと思います。

2002/10 初版
2014/04/15 全面改訂

ポリーニ・ディスコグラフィ(所有CD)

◆ストラヴィンスキー・ぺトルーシュカからの3楽章、プロコフィエフ・ピアノソナタ第7番他(1971年録音)

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1960年第6回ショパンコンクール優勝後から約8年間の謎の沈黙の期間を経て、著しい成長をして再び楽壇に帰ってきたポリーニが、 DGとの契約を結んだ直後の初録音となったもので、DGデビュー盤です。精密機械でさえ不可能と思われるかのような鋼のような強靭にして正確無比なテクニック、 硬質で磨きぬかれた音色、現代音楽に対する研ぎ澄まされた鋭敏な感覚、卓抜な構成力と造型感覚など、彼の卓越した資質がいかんなく 発揮された演奏です。比類なき究極の完成度、その凄まじいばかりの気迫に圧倒され、危うく気を失いそうになるほどのスゴイ演奏ですね。 デビュー盤ということで、自分の真価を世に知らしめようという強い意志と意気込みが感じられ、そうしたものがこの演奏に 独特の緊迫感とエネルギーを与えているのだと思います。ポリーニの気合の入った入魂のデビュー盤です!

◆ショパン・エチュードOp.10,Op.25(1972年録音,73年度レコードアカデミー賞)

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「これ以上何をお望みですか」…これはこのレコード(LP盤)の新譜発売時、ジャケットのタスキにコピーされていたものだそうですが、 本当に、「完璧」という言葉はこのような演奏を形容するための言葉なのだな、と思わずにはいられないような、圧倒的完成度を 誇る演奏で、当サイトのCD聴き比べコーナーのエチュードのページでも一押しの決定盤として紹介している名盤です。 硬質で骨格の太い音色、正確で強靭なテクニックで、剛直とも思えるほど超イン・テンポで直線的に 弾き進めていきます。 過度の抒情性を徹底的に排して厳しい客観性に貫かれており、一貫して古典的均整美、構成美に重点が置かれている ようですが、そこにはポリーニのただならぬ気迫がみなぎり、聴く人はそのエネルギーにまず圧倒されてしまうのではないかと思います。 しかし、そのような第一印象とは違って、細部をより深く聴いてみると十分に表情豊かであり、十分計算し尽くした上で慎重にルバートを取り入れているのが 聴き取れます。とにかく、ショパンのエチュードで作品10,25の全24曲と通してこれほど高い水準の完成度で弾き通された演奏を収めた CDは未だに聴いたことがないです。ショパンのエチュードの決定盤としての評価を与えられることが多い歴史的名盤で、 ショパンのエチュードを語る際にも、ポリーニの演奏史を語る際にも、必ず引き合いに出される名盤なので、気に入る/気に入らない にかかわらず、持っていて絶対に損のないCDだと思います。

◆シューマン・ピアノソナタ第1番、幻想曲Op.17(1973年録音)

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シューマンの名曲「幻想曲ハ長調Op.17」と、演奏される機会の少ない「ピアノソナタ第1番」が収められた初期のアルバムです。 幻想曲では、鋭くシャープに立ち上がる純度の高い瑞々しい音色で、和音の響きのバランスが入念に計算、コントロールされています。 この曲の雰囲気を出すために、残響を豊富に取り入れた録音も素晴らしいと思います。 音の処理の仕方においても、少しの曖昧さも残さず、明晰にして確かな構成感を感じさせながらも、各フレーズには微妙な陰影を織り込み、 シューマン独特の詩情、ファンタジーにも不足のない演奏に仕上がっています。 また「ピアノソナタ第1番」では、卓抜なリズム処理と確かな構成力で全く隙のない見事な演奏に仕上がっており、この曲に 秘められた魅力を再発見させてくれる秀演と言えると思います。この頃のポリーニの演奏様式なら、何を弾いても 立派な曲に聴こえてきそうで、改めてポリーニの類まれなピアニズムの一端に触れる喜びを感じさせてくれる演奏だと思います。

◆シューベルト・「さすらい人」幻想曲、ピアノソナタイ短調D.845(1973年録音)

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シューベルトの「さすらい人幻想曲」は、しばしば多くの腕達者なピアニストが自分の腕を披露するために演奏する機会の多い曲 ですが、実は究極の難易度と言うわけではなく、ポリーニは全く曲の難易度など意に介さない様子で、落ち着いたテンポで まるでツェルニーの練習曲でも弾くように余裕しゃくしゃくと弾き進めていきます。一点一画ゆるがせにしない音楽作りは ポリーニならではのものですが、デビュー盤やショパンのエチュード集のような張り詰めた緊迫感は若干影を潜め、感情を セーブすることによって、もう少し柔軟な音楽作りを心がけているように感じます。2曲とも、ポリーニならではの構成美、 均整美が光る演奏で、余裕を持って弾きあげられていく楽想1つ1つには、瑞々しい美感と格調高い気品が感じられる 見事な演奏だと思います。

◆ショパン・24の前奏曲Op.28(1974年録音)

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エチュード集で圧倒的完成度を誇る演奏を聴かせてくれたポリーニがその次に世に問うことになったショパンの作品が、この 「24の前奏曲」でした。基本的にはそのエチュードの延長線上にある演奏で、客観性を重視して、暗く激しい短調の作品を 表現の核心に据えて全体を通しての求心力を保ち、交互に現れる穏やかな長調の作品を、より穏やかに美しく聴かせるという この作品の本来あるべき演奏様式で演奏しています。劇的で緊迫感のある、あるいは悲壮感漂う短調の作品と、穏やかで美しい長調の作品が これほどくっきりと美しく対照されながら、交互に織り成していく演奏は非常に少ないと思います。 この演奏に関しては、ルバートがなくて情緒がない、とか感情を完全に削ぎ落とした無表情な演奏だ、との評価も時々目にしますが、 僕は決してそのようなことはないと思います。細部をよく聴くと、必要なテンポルバートは十分行われていますし、 音を論理的に組み立てるポリーニならではの才能が極めて自然な形で現れた名演奏だと思います。 40分が本当に短く感じられる演奏で、ショパンの「24の前奏曲」のあるべき姿に最も近い演奏だと僕自身は思っています。

◆ショパン・ポロネーズ第1番〜第7番(1975年録音)

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イタリア人ポリーニによるショパンの祖国ポーランドの民族舞曲ポロネーズの演奏。確かにポロネーズ特有の郷土色、民族色は あまり感じられず、インターナショナル化した普遍性の高いポロネーズという印象です。 硬質で芯の太い逞しい音色で、威風堂々とした大柄で確かな構成力のポロネーズ演奏を聴かせてくれます。 ダイナミクスの幅も極めて大きく、楽譜を見ながら注意して聴いていくと、楽譜に書かれてあるfとffの音量をキッチリと デジタル的に弾き分けていたりします。こういうところ、 いかにも精密機械と言われるポリーニならではのもので、思わず笑わされてしまいました(不謹慎な!)。 譜面通りに音にすることにかけては、これ以上のポロネーズ演奏はおそらくないでしょうね。 演奏内容の面では、現在出回っているポロネーズ集の中では、ルービンシュタイン盤と互角かな、と思います。

◆ベートーヴェン・ピアノソナタ第28番〜第32番(1975〜77年録音)

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ベートーヴェンの後期ピアノソナタ集は、彼が長年に渡るピアノソナタ作曲の経験の末に行き着いた最高到達点として しばしば認識されますが、ポリーニはこの精神世界を自分のものするべく、30代半ばにして本格録音に取り組みました。 三大ソナタ等、名曲と呼ばれるタイトル付のピアノソナタから取り組み始めるピアニストが多い中、あえて後期のソナタから 着手したのは、独自の審美眼をもとに、レパートリーにこだわりを持ち続けるポリーニならでは、と言えると思います。 ここでも、ポリーニは硬質で(硬すぎるきらいはありますが)逞しく骨太の音色、揺るぎない構成力とバランス感覚と 鋼のようなテクニックを武器に、 ベートーヴェンのピアノソナタを、まるで強固で精巧な立体建造物のように構築していきます。 ただ、表面的には全く隙がなく美しく彫琢されてはいるものの、音色の変化には乏しい感じで、ベートーヴェンが 最終的に到達した深い精神性を表現するまでにはまだ若干の距離があるようにも感じます(これはこれでものすごく 素晴らしい演奏なのですが…)。

◆ブラームス・ピアノ協奏曲第2番(アバド指揮ウィーンフィル, 1995年録音)

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◆シューマン・交響的練習曲Op.13&アラベスク(1981,83年録音)

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異常なほど徹底的に完成度にこだわり、細部に至るまで一点の曖昧さも残さず究極に磨き上げられた超名演です。 ポリーニがこのレコーディングに異常なほどのこだわりを持っていたのは、その録音に要した日数のデータが物語っています。 演奏の内容は…鋭く立ち上がる研ぎ澄まされた音色は凄まじいほどの明るい光彩を放っており、シューマンの交響的練習曲の各変奏の 性格的特徴を極めて明快に弾き分けていきます。シューマンの「歌」や「ファンタジー」の表現も十全で、細部への尋常でないこだわり から生まれる表現の奥行きと幅は、幅広いデュナーミクとアゴーギクから必然的に生み出されています。しかも、シューマンが 本作品に盛り込んだ複雑なポリフォニー的手法を、彼は完全無欠の技巧で完全に解きほぐし、各声部を明快に弾き分けて コントロールしており、その透明感溢れる演奏からは本作品のテクスチュアが見事なまでに解きほぐされて、そこに新たな光を 当てて再構築していくように聴こえてきます。ポリーニの妥協を許さない厳しい姿勢と作品の深い読み、そしてそれを 演奏に完全に反映させていく圧倒的なテクニックとが渾然一体となって生み出されたシューマンの交響的練習曲の決定盤的な 名演奏と言えると思います。って、何か分かりにくい説明になってしまいましたが、一言で言って、「素晴らしすぎる」演奏です!

◆ショパン・ピアノソナタ第2番・第3番(1984年録音, 86年度レコードアカデミー賞)

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エチュード集、24の前奏曲、ポロネーズ集に次ぐ、ポリーニ久々のショパンアルバムで、当サイトのCD聴き比べコーナーのピアノソナタ のところでも、管理人の一押しの推薦盤として紹介しているものです。前出のシューマンの交響的練習曲のCDまでは、 ポリーニの「変化」はまだ表面的にはほとんど現れておらず、相変わらず硬質な音色と正確なテクニックで作品に鋭く切り込み光を当てる 演奏ばかりでしたが、このショパンのピアノソナタでは、音色面で若干の変化が聴き取れます。相変わらずシャープで研ぎ澄まされた音色 ですが、そこに柔軟さが加わって奥行きが深くなったように感じられるのは、当時としては「好ましい変化」だったのだと思います。 強靭にして正確無比なテクニックも全く後退せず、ショパンの難曲ピアノソナタ2番、3番(とくに3番は難易度が高い!)でさえ、 本当に余裕をもって一点一画きっちりと音にして音の建築物を築き上げていく様は見事というほかないと思います。それに加え、ピアノ ソナタ第3番の第1楽章第2主題のカンタービレや提示部の終結部、第3楽章等では、柔らか味を増した音色で優しく愛撫するように ゆったりとした「ショパンの歌」を聴かせてくれる演奏で、その流れの美しさは格別のものです。この演奏を聴いて、 完璧主義者ポリーニがこれから先どこへ行こうとしているのか、強い興味と関心を持った方も多かったのではないかと思います。 いわばポリーニの変化を知る意味でも、ショパンのピアノソナタ2番・3番の素晴らしい演奏としても、是非、聴いてほしい 演奏です。

◆シューベルト・ピアノソナタ第21番D.960他(1985年録音)

◆ベートーヴェン・ピアノソナタ「テンペスト」「ワルトシュタイン」「告別」(1988年録音)

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実にシャープで研ぎ澄まされた感性のベートーヴェンです。「ワルトシュタイン」の第1楽章は、今まで聴いたことがないほどの 超特急テンポで、凄まじい推進力で聴く人をぐいぐいと引っ張っていくような鋭くアグレッシブで痛快な演奏となっています。 難曲になればなるほど冴えるポリーニの表現力が全快の演奏で、3曲ともそのようなポリーニの資質がいかんなく発揮された 名演奏です。特に「ワルトシュタイン」の第1楽章、第3楽章、「テンペスト」の第1楽章などのシャープで切れ味鋭い演奏は 見事という他なく、他の追随を許さない圧倒的な名演奏と言ってよいと思います。 ただそれと同時に、「ワルトシュタイン」などで若干コントロールを失いそうになったりパッセージの音の不揃いが気になる箇所が あったりと、従来のポリーニでは考えられなかった「危なっかしさ」が現れているのは、少々気になる点ではあると思います。 ピアノの音色は「硬質」というよりもむしろ「鋭角的」という感じがします。明らかにこの頃からポリーニの演奏様式は 変わってきています。完璧主義者、天才ポリーニは一体どこへ行こうとしているのか、そうした苦悩が凡人の僕にも伝わって くるような、そんな演奏です。(しかしこの演奏は本当に素晴らしいです!)

◆シューマン・シェーンベルク・ピアノ協奏曲(アバド指揮ベルリンフィル、1989年録音)

◆リスト・ピアノソナタロ短調他(1989年録音)

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これは他者の追随を許さない圧倒的な名演奏だと思います。ピアノソナタロ短調は、作品と真正面から向き合い、 作為やハッタリのない正攻法のアプローチで、堂々と弾き進めていきます。リストの作品演奏にありがちな小手先の技に 走るような演奏とは対極にあるような演奏です。ポリーニの演奏はどこまでも真摯で、生来の恵まれた演奏技巧を、作品の本来 あるべき姿を打ち立てるために使っており、無意味に暴走することは決してありません。そういう意味では、これは 品行方正の大横綱級の名演奏と言ってもよさそうです。ただ、ポリーニの「変化」を思わせる要素も多々あります。 余白に収められた「灰色の雲」等の小品では、ポリーニの現代音楽に対する造詣と優れた感覚が作品の傾向と見事にマッチし、 ポリーニの研ぎ澄まされた感覚が最良の形で発揮された名演奏になっていると思います。

◆ショパン・スケルツォ第1番〜第4番、子守歌、舟歌(1990年録音)

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ポリーニのショパンアルバムは当時多くはなかっただけに、次に何を取り上げるのか興味は尽きることがなく、スケルツォの新譜が出る という情報が入ってきた時は、期待で胸を躍らせた記憶が甦ってきます。しかし…僕が求める究極の完成度の演奏ではありません でした(笑)。切れ味はイマイチで、フレーズの運び方の強引さばかりが耳についてしまい、「そんなはずでは…」とショックを 受けずにはいられなかった、というのが初めてこの演奏を聴いたときの僕の状況でした。「そりゃ、ショパンのスケルツォなんて、 誰が弾いたって難しいだろうよ、ポリーニも神ではなくて人の子なんだな、今回は調子が悪かったんだな」と独り言を言って 自分に言い聞かせてはそれを慰めにしていました。いつも完璧すぎる演奏を聴かせて毎回僕に 新鮮な驚きと衝撃を与えてくれた俊英ポリーニが、ただの温厚なだけのおじさんになってしまった、というのは信じたくはなかったの ですが、この悪い予感が的中しませんように、とただそれだけを祈りつつポリーニの演奏活動を見守ることにしました。 念のために言っておくと、一応これでも平均的な水準以上の演奏だと僕は思いました。ただ、それまでのポリーニの演奏があまりにも 皆、素晴らしすぎたために期待が大きくなリすぎてしまった結果、期待通りの演奏ではなかったことに対する落胆の度合いも大きかった のだと思います。

◆ベートーヴェン・ピアノソナタ第13番、第14番「月光」、第15番「田園」(1991年録音)

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◆ドビュッシー・12の練習曲&ベルク・ピアノソナタ作品1(1992年録音)

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◆ベートーヴェン・ピアノ協奏曲全集(アバド指揮ベルリンフィル、1992,93年ライヴ録音)

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◆ブラームス・ピアノ協奏曲第1番(アバド指揮ベルリンフィル、1997年ライヴ録音)

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最近のポリーニの新譜CDはライヴ録音の音源から採ったものが増えてきていますね。 このブラームス、一般的な評価は高いようですが、僕はどうも好きになれない演奏です。 管弦楽のバックは素晴らしいのですが、ポリーニのピアノは、芯がなく気合の乗らない音色のようで、この作品の特に第1楽章に 多く現れるトリルの処理のときにリズムが前のめりになったり、和音の響きが薄く各構成音の関連やバランスが悪かったり、 盛り上げてほしいところで淡々と弾き進めるなど、肩透かしを食わされるところが多く、 従来のポリーニからは考えられないほど完成度の甘い演奏に聴こえてきます(これは録音のせいもあると思いますけど)。 ブラームスのこの曲の場合は、もっと重厚で峻厳で凛とした引き締まった演奏を求めたいのですが、若かりし頃のポリーニとは 違い、90年代後半のポリーニにはそのような演奏を求めることは既に不可能になってしまったのでしょうか。 しかし、同じ90年代後半の演奏の中にも素晴らしいものが見られることから、これは、ポリーニ自身の「不調」にも原因が あるのかもしれないです。一聴して自然に聴こえる演奏で、「悪くないじゃん」と思う方も多いようですが、僕たちがポリーニの 演奏に求める(あるいは求めていた)ものとは、大きくかけ離れていることだけは間違いないようです。

◆ドビュッシー・前奏曲集第1巻&喜びの島(1998年録音)

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◆ショパン・バラード第1番〜第4番、前奏曲第25番、幻想曲Op.49(1999年録音)

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90年代も後半になると、ポリーニはもう往年の完全無欠の演奏スタイルから完全に変わってしまいました。このショパンの バラード集、前奏曲第25番、幻想曲のCDでは、柔らかく含みの多い音色で、バラードの情熱的な側面に熱い共感を持ちながら、 一気呵成に弾き進めていきます。細部の検討、コントロールといった微視的な見方をするのではなく、一曲全体を大きな展望で見渡しながら、 極めて大らかな感性で気分の赴くままに演奏していきます。このようなアプローチ、曲の把握の仕方も、従来のポリーニからは 考えられないものですが、技術面での最盛期を過ぎて、これから円熟のピアニストとしての在り方を模索するポリーニの 「迷い」といったものも、(聴き方によっては)感じられなくもない演奏です。その「模索」は本演奏においては必ずしも 成功したとは言えないのでしょうね。その昔あれほど鋭い切り込み方をして完全無欠の演奏をしてくれた俊英ポリーニが、 温厚な好々爺とした一介のピアニストに「変化」してしまったことを、悲しんでいるファンの方々も多いのではないかと 思います。

◆シューマン・クライスレリアーナOp.16,暁の歌(2001年録音)

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◆ベートーヴェン・ピアノソナタ第22番、第23番、第24番、第27番(2002年録音)

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◆ショパン・ピアノ協奏曲第1番(クレツキ指揮フィルハーモニア管, 1960年録音)

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1960年第6回ショパンコンクールに弱冠18歳にして満場一致で優勝した直後にEMIに入れた録音です。ポリーニの剛直でどこまでも 完璧な演奏は当時から話題になっていたようで、コンクール優勝者を決める審査員会議の席上で、審査委員長のルービンシュタインが、 彼を評して、「技術的には我々審査員の誰よりも上手い」と絶賛した事実が、彼の卓越した技巧を何よりも証明していると思います。 そんなポリーニが18歳当時どのような演奏をしていたのかを知る際に、貴重なデータとなる正規の録音がこの録音だと思います。 ショパンコンクールに優勝しているということは差し引いても、18歳の少年としては考えられないほど、堂々として落ち着き払って いて、着実に一歩一歩前進していく余裕しゃくしゃくの演奏で、しかも完成度の高い演奏に仕上がっているのは注目に値します。 ただ、全体的にピアノが引っ込みすぎの録音のようで、やや変化に乏しく一本調子の演奏になっているように感じるのが惜しまれます。 これは録音のためだけでなく、ポリーニの表現力のためでもあるのでは?と思います。ポリーニは、この後、約8年間の謎の 沈黙の期間を迎えることになるわけですが、その研鑽期間に入る前の演奏を知る意味では、歴史的に貴重な録音と言えると思います。

◆ショパン・ポロネーズ第5番、第6番、ノクターン第4,5,7,8番、バラード第1番(1968年録音)

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上記の約8年間の沈黙の期間を経て、著しい成長を遂げて楽壇に帰ってきたポリーニの復活記念の録音です。 その間、死亡説やピアニスト断念説など様々な憶測が飛び交っていたようですが、それは、「あれほどの栄冠を手にした ピアニストが敢えてその栄冠を手放すような謎に満ちた沈黙を続ける必然性に対して全く思い当たる理由がない」という、 想像する側にとって都合の良い「こじつけ」だったのではないか、とすら思えてきます。後に、その沈黙の期間、ミケランジェリ、ルービンシュタイン といった巨匠のもとで更なる研鑽を積み、指揮法まで勉強していたという事実が明らかとなったそうです。 つまりその沈黙の期間をただの休業期間として無駄に過ごしたのではなく、己の芸術に向き合って深く掘り下げ成長させる、という 明確な目的があったのではないかと僕は思っています。このCDを聴くと、ショパンコンクールの圧倒的な優勝という栄冠に 満足することなく、ピアノ芸術の飽くなき成長、深化を求め続けるポリーニの謙虚にして真摯な態度が感じられるようです。 明らかに前出のピアノ協奏曲第1番の演奏と比べると、さらに表現の振幅が増していて深く完成度の高い演奏になっています。 この後、DGと契約を結び、楽壇の花形、演奏会では常に満員の聴衆を集めるカリスマへと登りつめていくポリーニの 新たなる出発点、人生の門出としての記念碑的な録音と言えると思います。

ショパン・ノクターン全集(第1番〜第19番)

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バラード集以来、ポリーニ久々(約6年ぶり)のショパン・アルバムで、このノクターン全集では、第1番から第19番までを 収録しています。ポリーニの演奏するショパンのノクターンは、「栄光のショパンコンクールライブ」というCDでは、 ショパンコンクール予選で弾いた第13番を、そして、1968年、復活記念となるEMI盤で、4番、5番、7番、8番を 聴くことができましたが、19番までを全曲聴ける機会は、恐らく本CDが初となると思います。 ポリーニが「変わった」と言われて久しくなりましたが、かつての精緻なピアニズムの片鱗を覗かせる 瞬間はあるものの、全体としては細部の検討やコントロールにこだわらない、奔放、情熱的な演奏となっており、 非常にテンポが速いのも大きな特徴です(これは下の演奏時間比較で、他のピアニストの演奏時間と比べていただければ 一目瞭然ですね)。ノクターンでは、微妙な「間」や中間的なニュアンスといったものをもっと大切にして (場合によっては、微妙な「ためらい」も入れて) 精妙かつ丁寧に弾いてほしい、と個人的には思うのですが、これは好みの問題なのかもしれないですね。 カンタービレも常に速いテンポを保ち、前へ前へと直線的に進んでいき、中間部のアジタートなどの部分では 逞しい推進力と情熱の奔流を感じ、これは直情的とも言えると思います。細かい部分にこだわらず 一気呵成に弾き進めていく骨太で力強く逞しい演奏です。 全体的に、ルービンシュタインやアシュケナージと比べると、 技術的にも音楽的にも完成度が甘いと思いますが、今現在のポリーニを知る意味では貴重なアルバムではないか、 と思います。個人的には、もっと早い時期に(20年以上前に)、ノクターン全集を録音してほしかったと 思っており、そこが悔やまれてならないです。かつての正確無比で孤高のピアニズムを誇っていたポリーニ、 このまま終わるピアニストではない、と僕は信じています。

更新履歴
2002/10/** 初稿
2005/07/02 CD評追加(更新中)

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