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「先生、お待たせしました」
「あぁジェイド、呼び出してすまなかったね。まぁそこに座りなさい」
ラーメンマン先生に促され、ソファーに腰をおろす。ここは日本駐在超人用の事務局の一室。
数日前にHFから直々に連絡があり、呼び出されたところだ。
俺は超人オリンピック以来、俺は日本で暮らし始めた。ベルリンには帰っていない。
そう…今の俺には帰るべき場所はない。
「先生、本日のご用件は何でしょうか?」
「そう慌てるでない。お前の性急さはドイツ人的合理性ではないよ。まずは一服してからだ。
インスタントコーヒーしかないがそれで良いかな」
「あ―――はい、ありがとうございます」
目の前に差し出されたカップを受け取り、一口飲む。黒い液体は何の味もしなかった。
俺が昏睡状態から目を醒ました時、傍らにいたのはラーメンマン先生だった。
俺が望んでいる人はあの日、目の前から消えたままだ。
「身体の調子はどうだね、腕のリハビリは順調かね」
「はい、もうしばらくすれば通常のトレーニングに戻っても差し支えないようです」
「それはよかった。一時は日常生活に支障を来たしかねない重傷だったからな」
ラーメンマン先生は、すこしカビ臭い香りのするお茶を美味そうに飲んでいる。
「どうだね、日本での生活も少しは慣れてきたか」
「えぇ、先輩達も何かと気に掛けてくださってますし、親切な人も多いですから」
「そうか・・・お前が心穏やかに過ごしているのであれば、それで結構」
俺の言葉を聞いて満足そうに目を細め、また一口お茶を飲む。一体、何の為の呼び出しか
見当がつかない。悪行超人も不思議なことにナリを潜め、今は平和そのものだ。
「ジェイド」
「はい、何でしょう」
「お前を呼び出したのは他でもない」
手にしていた茶器をテーブルに置くと、真っ直ぐに俺を見据えた。
「―――ブロッケンJr.の事だ」
その名を聞くだけで胸の鼓動が速まる。雨の中、足音だけ残して消えてしまった貴方。
俺の手元に残されたのは血に濡れた徽章だけだった。
「お前はまだ、彼を師と思っているか?」
「当たり前です!!俺にとってあの人以外、レーラァはいません!」
手に持っていたカップを握り締めた。
「超人でないとしてもか?」
「超人だろうが人間であろうが関係ありません。今の俺があるのは、あの人がいたからです」
「そうか…これは愚問だったようだ」
茶器にお湯を注ぐ、独特な香りが再び立ち込めた。
「先生、それでレーラァがどうしたのですか!?」
「私がお前に渡したブロッケンJr.の徽章はどうしてる?」
「それならココに」
首から下げている銀の鎖に服の上から手を置く。あの日から肌身離さず持ち歩いている。
「よろしい。実は一昨日だが、連絡があった」
「レーラァからですか!?」
ゆっくりと時間をかけてお茶を飲む。
「それで、もしお前が自分を未だ師と認めてくれるのならば屋敷で待っていると言付かった」
「レーラァは、レーラァは御無事なのですね!!」
「それは自分の目で確かめてくるのが一番だろう?お前の師から直々のお呼び立てだ」
胸がドキドキしている。俺は、帰るべき場所を与えられた!
「それにしても、この私もHFでは教鞭を取った身なのだから多少なりとも
お前の師であったつもりだったが、ブロッケンJr.には敵わないようだな」
「―――!!お、俺、別にそういう意味で言ったのではありません!」
みるみる顔が真っ赤になっていく。
「わかってる、わかってる。全く、お前のそういう所はブロッケンJr.そっくりだ」
小さく笑い、残っていたお茶を飲み干した。
「さて、それでは早速ベルリンに行くがいい。当座の引継ぎは私のほうで手配しておくから」
「は、はい!!」
早く、早く―――レーラァ、貴方に会いたい。
思えばレーラァと暮らした時間はなんと濃密な刻であっただのだろう。
敷地に足を踏み入れた途端、胸の鼓動は抑えきれないものになっていた。
石造りの屋敷には冷え切った空気が漂っている。
それは人の気配を一切感じさせる事が無く、俺を不安にさせた。
廊下を進み、レーラァの寝室の前で立ち止まり、オークの扉を押し開ける。
部屋の中では、ベットから身を起こし、血の気のない白い顔が俺を見ていた。
すこし肉が落ち、一回り身体が小さく見える。
「ジェイド、よく来てくれた」
昔からの変わらない笑顔が俺を迎える。
あぁ…俺は、どんなに、どんなに貴方に会いたかったか。
震える足を進め、ベットの脇に行く。
レースのカーテンが陽光を、モザイクのようにレーラァに降り注ぐ。
どれほど永い時間が、俺と貴方の間に流れたのだろう。
手を伸ばし、手に、頬に、髪に触れる。
貴方は今、俺の目の前にいる。夢でも幻でもない、貴方がここにいる。
「―――逢いたかった。」
何故、なんで貴方がそんな事を言うんですか?
そのセリフは、俺が貴方に言うべき言葉なのに。
何万回唱えたか知れない言葉を簡単に言わないで下さい。
貴方の言葉は俺の心を惑わせる。気持ちに歯止めが効かなくなる。
貴方を求める想いが止まらなくなる。
心が貴方で満たされていく。溢れる涙が頬を流れる。
「…ジェイド、何故泣く?」
頬に触れる俺の手に触れる貴方の手は弱々しく、力強く、振りほどく事も出来ない。
「会いたくて、逢いたくて、でも、もしかしたらレーラァが俺を望まれていないのかと思って
逢いたいのに怖くて、どうしようも出来なくて…」
涙は止まらない。二人の手の上を幾つのも滴が濡らしていく。
「俺は、お前を傷付けてしまったか?」
「いいえ―――レーラァは何も悪くありません」
繋がっているのは手だけではない。痛い程の貴方の優しさが俺の中に流れてくる。
「お前は、なにも言わずに消えた俺を許してくれるのか?」
貴方がいなくなってから、俺の世界はモノトーンと化していた。
「何故そんな事を言うのです」
貴方がいる。それだけで世界が目を覚まし、色彩が息を吹き返し甦る。
「レーラァには何かしらのお考えがあっての事と思ってました」
俺の答えを聞き、ぎこちない笑顔で俺を見詰める瞳には菫色の霞が漂う。
鎖の先の、血に汚れたままの徽章を取り出し、互いの指を絡ませる。
「…持っていてくれたのか」
「レーラァから頂いたもので、何ひとつ手放したモノなどありません」
少し驚いた顔をしながらも穏やかな微笑を俺に向けた。
「良くない癖だな」
「いいえ、そんな事はありません。
こうして、レーラァから頂いていた命をお返しする事が出来るんですから」
湧き上がる想いは止める事は出来ない。
「レーラァ、お願いです。二度と俺の前から居なくなったりしないで下さい」
握り締めた手に力を籠めた。
もう、この手を二度と離しはしない。
貴方は俺の命、俺の世界、俺の全て。
この世の終わりが来ようとも、俺はこの手は離しはしない―――
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