1941/05/25 05:10


「ジェイド伍長、これから貴殿を移送することになった」
モーニングコール代わりに渋い顔をしたイギリス兵が、俺を眠りの淵から呼び覚ました。
ぼんやりとしながら掻き合わせていたコートから顔を上げて太陽の高さを見ようと
イギリス兵の背後に広がる藍色の空を伺うと、薄い朱を引いたような姿しか見えない。
空気もいくらか冷たく感じるところをみると、まだ朝の時間と呼んでいい頃合だろう。
「移送?こんな朝早くに?」
はっきりとしない頭で周りの様子を確かめる。
横たわっている俺の前に立つイギリス兵の目は、寝不足からか落ち窪み、険しい顔をさらに
きつい表情に作り上げていた。彼の背後には同じような顔付きの幾分年若い兵士が二人
緊張した面持ちで、銃口をこちらに向けながら立っている。仕方なく、上体だけ身を起こした。
「もしかして今朝のモーニングティーは貰えないのか?」
「時間が無い。さっさと準備して頂こう」
しかめた顔を変えることなく、俺を見下ろしたまま答えた。
準備するような物といったら9本のタバコと残り少なくなったチョコレート缶しかない。
縛られたままの手でポケットの上から中身を確認すると、ワザとのろのろと立ち上がった。
「では、御同行願おう」
左右から銃口を向けられたままに粗末な寝床を後にした。
薄墨を流した色の空には、白い月がゆっくりと姿を消そうと身を屈め
地平線から少しばかり昇った太陽は、すでにその炎の舌を長く伸ばし始めていた。
未だ熱のない光に足元の影は長く長く伸び、まるで死神の葬列を思わせた。
そんな事をボンヤリと思いながら硬い砂を踏みしめる。
「いったい、どこまでつれて行くんだよ」
先行するイギリス兵に聞いてみても返事はない。
回答をもらえないまま停められていたデザートシヴォレーに押し込まれる。
俺を挟むように左右に図体のでかいトミーが乗り込んだお陰で、ただでさえ狭い車内で
まったく見動きが取れないうえ、手は縛られたままなので窮屈このうえない。
ドアが閉められると、エンジンは不機嫌に唸りながら岩だらけの道を走り始めた。
サスペンションが死んでいるのか面白いぐらい揺れる車内であちこちに体をぶつける。
もっとも両隣の兵士がクッション代わりになってるので、主に天井の被害が酷かった。
車は砂塵を巻き上げ、小一時間ほど走っただろうか。
窓から入り込む砂に顔をまんべんなく黄色に染めた頃、車は徐々に速度を落とし始めた。
何とか目を開けて場所を確認しようと思ったが、視界に入ってきたそいつを見た途端
ここが何処か解ったしても、それは無意味なことだと悟った。
見渡す限りの砂の上で、巨大な翼を広げたDakota.MkVが俺の到着を待っていた。

シヴォレーが車輪を砂に食い込ませながら動きを止めると同時にドアが開かれる。
無理な体勢で座らせられていたせいで身体の節々が軋みを上げていたが、車から解放され
背筋を伸ばすだけでも、かなり楽になった。
既に気温は暑くなり、剥き出しの頬に乾いた空気は刺すように痛い。
顎を引き、足元から照り返す日差し越しに、砂漠に不釣合いな彩色のダコタを見遣った。
「随分と遅かったな」
耳に覚えの声が飛び込んできた。視線を声のした方に動かす。
主翼の脇に停められていたシヴォレーの後部座席のドアが開き、降りてきたのは予想通り
ケヴィンだった。しかし、この炎天下で鉄仮面を被る奴の気が知れないとは思ったが
マスクマンなのだから仕方ないのか…。
相変わらずヨレヨレのバトルドレスのまま、明らかに不機嫌そうな足取りでこちらに来る。
「こっちに来い」
奴の声は、低く唸るような声だった。今更逆らうつもりもなく、素直に従うことにした。
ザリザリとした感触がブーツの裏から伝わるほど地盤は固く、影は黒く、濃く、浮かぶ。
何の為に急に移送が決まったのかわからないが、俺のお供がケヴィンである以上
容易に逃げる事も出来ないし、あまり良い予感もしなかった。
ダコタのプロペラは勢い良く砂埃を立て、巻き上げられた砂を頭から被る。
後ろには相変わらずイギリス兵がふたりして俺を小突きながら付いてきていた。
先にダコタに乗り込んだケヴィンがドアのすぐ脇で俺を待ち受けている。
だが開けられたドアの中は暗く、獣の口内を覗き込むかのような不安な気持ちにさせられた。
「もたもたするな、さっさと乗れ!」
半身を出し、俺のコートの襟を手荒く掴むと強引に引きずり込まれる。
取って付けたかと思うようなシートしかない機内は、どう見ても快適な空の旅には縁遠そうだ。
壁に沿ったシートに適当に腰を下ろす。どうやら俺の小突き役のイギリス兵は乗らないらしい。
「グライダーに押し込まれなかっただけ有り難いと思え」
ドアを閉めながらケヴィンが答えるのと、ほぼ同時にエンジンの回転音が大きく激しくなった。
すぐに整備されてない荒地を鉄の固まりが唸りを上げ走り出す。
岩盤の上を加速するのに比例して、シートに座っているのが困難になる。
舌を噛まないように顎が痛くなるほど奥歯を噛み締めた瞬間、振動が消えた。
ガタガタと壁に身体をぶつける痛みから開放された代わりに今度は内臓のせり上がる
感覚に襲われる。いくらか胃液が戻り、口の中が苦酸っぱくなった。
「この機内は狭いんだから、間違っても吐くなよ」
俺の顔色に気付いたケヴィンに先に釘を刺された以上戻す事は出来ない。
少しでも気分を紛らわそうと覗いた窓からは黄色い大地しか見えなかった。
それは果てがあるのかさえも見届けられないほどの一面の砂漠だった。
さっきまで乗っていたシヴォレーがあっという間に豆より小さくなったかと思うと
すぐに砂粒に同化してしまい、全く見分けがつかなくなってしまった。
「お前は砂が珍しいのか?」
呆然と外を見ている俺をケヴィンが面白そうに見ていた。
「まぁいい。あと1時間もすれば俺の任務は終了だ」
ポケットから時計を取り出して時間を確認しようとした、まさにその時だった。

ダコタの高度を上げ続けるエンジン音の遠くから、覚えのある響きが聞こえてきた―――




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