1938/07/12 14:40


バッファローマンの身体を無造作に背中から突き抜けた銃弾はいくらか勢いを失いつつも
マルスの肉体にも軌道を刻み付け、微かな火薬と吐き気を催す血の臭いを立ち昇らせた。
「来ると思ってたぜ、プロイセンの鬼」
マルスの胸に突き刺していた鉤爪を引き抜いて、足元に転がせていた頭部を掴み取ると
切り落とされた己の首口に乗せた。流れ落ちていた鮮血が沸騰したかのように泡立ったかと
思うと、腐った肉塊だった顔は元の褐色の肌を取り戻り、首筋にはうっすらとした傷跡を残って
いたが、それも見る間に消えてなくなった。
「子供相手の見世物としてはまぁまぁの演出だな」
未だ火薬の臭いが残る銃を手にしたままブロッケンは無造作にバッファローマンに近付くと
焦点の会わない瞳でこちらを見ているマルスに向けてグローブを嵌めていた手を差し出した。
「さぁ、さっさとその子を渡せ。そうすればお前の命ぐらいは見逃してやろう」
クラッシュキャップの下から見上げる視線は冷たく、その顔には表情は存在しなかった。
「残念だが、それは聞けない話だな。すっかり気に入っちまって手放したくないんだよ」
片手でマルスを軽々と抱え上げると、シャツに黒い染みを広げる胸の傷に口を触れた。
「この坊主とは“血の契約”を交わしてあるんだ」
裂傷から流れ出る温かい血がバッファローマンの口角に吸い上げるのを、その腕に抱かれ
ながらマルスはフィルムを見るように眺めた。
バッファローマンの喉が上下に動き、血が啜られる毎に、心臓が凍りつきそうになる。
「それぐらいにしろ、大喰らいにも程があるぞ」
言い終わらない内に、ブロッケンマンは引き金を引いた。
トグルの跳ね上がる音は早く、長く、棚引かれ、鐘を鳴らしたかのようなメロディにも聞こえた。
銃口から火花を螺旋の軌道を描きながら8発の銃弾はバッファローマンの頬肉を抉り
象牙色の骨と薄桃色の脳漿を撒き散らし、遅れて飛んできた火薬とバッファローマンの血が
マルスの目の前で赤い閃光となって輝く。
振り注がれる血肉と硝煙が、マルスに何度目になるか知れない絶望を味わせていた。
至近距離から撃たれ、顔の半分が吹き飛ばされたというのに、それでもバッファローマンは
立ち続ける事を諦めず、またその腕に捕らえたままの少年を手放す事もしなかった。
ブロッケンマンは弾を打ちつくしたルガーを投げ捨てると、右手からあの禍々しい青白い光の
刃を噴き上がらせた。まるで陽光を集めたかと見間違う瞬間にその手を振り下ろすと
バッファローマンの太い腕を易々と切り落とされ、支えを失ったマルスの身体は大地に
投げ出された。受け止められる事なく、乾いた砂埃が舞い上がった。
だがブロッケンマンはその姿に一瞥もくれずに一歩、大地を蹴った。
地表を滑走するかの如く、黒衣の死神は距離を縮めると右手を真っ直ぐに差し出したまま
バッファローマンの首を正面から貫くと、そのまま縦に刃を引き下ろす。肉塊を切り、骨を砕く
音が波動となって肉体にめり込んだ青白い剣を振るわせた。血が霧の如く四散し、目に映る
景色を赤く変え、埃を含んだ空気は腐敗臭を撒き散らしひと呼吸ごとに肺の奥底に沈殿する。
「お前の子供騙しが通用するとでも思っているのか?」
吐き捨てるように、ブロッケンマンは霧に向かって低く呟くと、大気が揺らぎ景色が歪んだ。
「最初の一手は年配者に譲るのが礼儀だからさ」
赤黒い霧は急速に収束したかと思う間もなく、醜く、巨大な笑い顔を作り出した。
「面白いことを言う。実力の無い奴ほど口が達者と言うは本当だな」
そう言い放つと、宙に浮かぶ顔に向かって心底愉快そうに笑顔を返す。
しかし返り血と陽光に晒された滑らかな頬は白く、眼差しは冷たいままだった。
「三文奇術師風情で、私に声を掛けてもらえただけでも感謝するがいい」
光の刃を煌めかせた右手を頭上に掲げると、足元の血と汗で斑模様に汚れたマルスの胸に
その手を深々と突き下ろす。突然の衝撃に身を除け反らし、口の端から血の泡が溢れ出た。
「な―――ッ、何で?」
マルスの舌は痺れ、言葉が喉に詰まる。逆流する血が気管に押し寄せ、鼻から流れ落ちる。
指先は激しく痙攣を起こし、焦点の定まらない目でブロッケンマンを見つめた。
その視線に応える様に目を曳き細めると心臓を手で掴み出し、枯れ草の上に叩き付ける。
湿った音を立てて心室に残っていた血を吐き出す臓器をブーツの堅い踵で踏み潰した。
「“血の契約”が出来るのは自分だけだと思っているのか?」
力なく横たわるマルスの肢体を爪先で蹴り上げる。しかし肉体の重みも感触も一切は無く
切っ先は乾いた大地をいくらか削り取るに過ぎなかった。
視線を上げる。
いつの間にかブロッケンマンの周りを取り巻いていた赤黒い霧は消え去り、入れ替わるように
目の前には、捻れた角を紅く濡らしたバッファローマンが立っていた。
「それじゃアンタには坊主との契約を破棄してもらうぜ」
僅かに右足を後ろに引くと大地の感触を確かめるように2度3度と蹴り上げる。血を滴らせる
ロングホーンは真っ直ぐにブロッケンマンの心臓を狙っている。
「あの子は元々、私のモノだ」
再び、白刃と化した右手を構えるとバッファローマンの心臓に焦点を合わせた。
どちらも一突きで仕留める為に、息を詰め、踏み出す瞬間を待った。
風が凪いだ。

刹那、磨き上げられた鋼鉄の爪が大地に突き刺さり、漲る殺気を制した。


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