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枯葉を落とすリンデンバウムの回廊を通り抜ける俺達親子に声を掛ける者などいなかった。
いくらドイツの英雄と囃し立てようと、“死”の代名詞たる我が一族に近付きたくないのだろう。
だが、気にはならない。畏怖される存在である事が誇りでもあるのだから。
「今日はまた一段と冷え込むな」
グローブを填めた手を擦りながら、灰色の空を見上げて親父が呟いた。
「そりゃあ、スペインに比べたら真冬みたいなもんだろうが、もう戻って一週間も経つだろう」
親父はお気に入りのカフェで休みたいが為の愚痴を言ってるだけだ。
「今日こそは屋敷にいっしょに帰ってもらう約束だ。俺は寄り道なんか認めないぞ」
親父がカフェ・アインシュタインに名残惜しそうな視線を送ってはいたが、コートの裾を引き
無理やり通り過ぎようとした時、カフェの扉を派手に押し開けながら飛び出して来た男は
こちらに驚く隙を与えないかとするように親父を両手で捕まえると軽々と持ち上げた。
「変わりなさそうだな、ブロッケン!相変わらず血の気のない顔をしてるナァ」
それは相手がプロイセンの鬼ではなく、恋人を抱えるかの如く、愛情を込めた仕草だった。
親父を高々と持ち上げる体躯の男は見間違いのしようがなかった。
「レオパルドンか!一体、いつポーランドから帰った来た?」
周りの人目を気にしない親父は、されるがままの格好で、レオパルドンの豊かな黒髪を
楽しそうに両手でクシャクシャに撹き混ぜる。
「あんたがスペインから戻ったと聞いて飛んで来たんだ、変わりなさそうで何よりだ」
笑いながら答え、親父を地上に開放すると今度は俺を捕まえようと両手を差し出して来たので
慌てて数歩、後ろに飛び退いて逃げた。
「俺は親父やあんたと違ってオーバーな愛情表現は苦手なんだよ」
捕まえられない場所から俺が片手を差し出すと、抱き上げるのは諦めてくれたらしく
親愛の情を込めて、ゆっくりと握手を交わした。
「何を恥ずかしがってるんだJr.。昔はあんなに喜んでたじゃないか」
ニヤニヤと笑いながら、親父は俺の脇腹を肘で突付くのを振り払った。
「それは子供の時のことだ、大昔を引き合いに出すなよ」
親父の入れるチャチャを相手にするのは本当に疲れる。
「ところでブロッケン、近い内に屋敷に戻る予定はあるか?」
親父に乱された髪を手で梳き直しながらこちらに顔を向けた。
「何たる奇遇だ。今夜は可愛い息子の相手をしなきゃならないんで、これから帰るところだ」
笑いながら親父は右手で俺の尻を軽く叩く。これ位のイタズラでは怒るのもバカバカしい。
「そうか―――それなら丁度良かった」
レオパルドンのハシバミ色の瞳が細められる。こんな顔をする時は面倒な事がある前触れだ。
「ちょっとばかし預かって貰いたいモノがあるんだ」
「おっと!悪いが、女ならお断りだから」
俺が言う前に親父が牽制した。
確かに、この前預かったというか、押し付けられた娘はレオパルドンに捨てられたとわかると
あるありとあらゆる物を投げ散らかし、我が屋敷の秩序を大いに乱したばかりだ。
あの時の我家の惨状を知っているハズなのに、それでも一向に気にしていないらしい。
「イヤ、この間のジャジャ馬みたいな小娘じゃない、子供の超人だよ」
「子供だとぉ?…どこで仕込んだ種だ」
親父といい、レオパルドンといい、女には節操がないのだから可能性としては大いにあり得る。
「残念ながら俺の落とし種じゃない。ズデーデンで帰り仕度をしてた俺ん所の師団に転がり
込んで来たんで、思わず拾っちまったんだよ」
「レオパルドン―――それならお前が面倒見ればいいだろう?」
親父の言い分は至極もっともだ。
「ところがどっこい。こいつはあろう事か、俺を名門ブロッケンと間違って来たんだよ」
そういうと、カフェのテラス席に向かって手を振った。
「俺としては探し人にちゃんと送り届ける良心がいくらか残ってたんで、はるばるベルリンまで
連れて来たんだ。ともかく面倒みるかズデーデンに送り帰すかあんたが決めてくれ」
レオパルドンの手招きで席からやって来たのは、真っ直ぐに伸びた背筋に長い手足を持った
遠目からもバランスの良い体をした、ひとりの少年だった。
顔立ちは幾らか幼いながらも戦闘超人としての資質を満たしているのは一目で分かった。
だが少年の最も目を引く特徴は陽炎のように揺らめく、透けるような金髪と翠色の瞳だった。
「ほら、彼らが正真証明のブロッケンだ」
遠慮がちに近づいてきた少年の肩を引き寄せると、レオパルドンは少年の髪を梳きとかした。
緊張しているのだろう。頬を真赤にしていながら、唇はうっすらと紫色に染まっていた。
「坊や、君の名前は?」
瞬時に親父の顔からは先程までのくだけた表情は身を潜め、戦闘超人の顔つきに変わった。
「はい、ジェイドです」
少年の返答を聞きながら、値踏みするように爪先から髪先まで何度も見直す。
「特殊訓練は受けていたのかね」
「…いえ、人間の子息としての就学のみです」
「何故かね?」
親父は怪訝そうに眉根を寄せた。超人でありながら訓練を受けてないなど在りえない事だ。
「その、僕は元々捨て子だったらしく、はっきり超人と分かる前に両親に貰われたんです。
ですから両親も、生前は僕を人間の子供として育ててくれました」
「生前というと、君の養父母は亡くなられたのか」
少年の言葉に引っかかる物を感じ、つい口を出してしまった。
「家族でプラハへの移動中に、事故で・・・ふたりとも天に召されてしまいました」
そう言うとこちらに向けていた目を閉じた。
髪と同じ色の睫に僅かに涙が浮かぶと少年のアイラインを縁取った。
その姿は超人とは思えない程にか弱く、傷つき易い幼子そのものだった。
「―――すまない、気の毒な事を聞いてしまったな」
俺は少年の打ち拉がれた肩に手を掛けたが、慰めの言葉は見つけられなかった。
まだ成長途中の小さい肩が悲しみに耐えようと震えているのが手のひらに伝わってきた。
「よし、レオパルドン。この子供の面倒はJr.がしてくれるらしいぞ」
「え…おい、親父!何を勝手な事決めるんだ!!!」
驚いて、いつもの調子で張り上げた怒鳴り声に、目の前の少年の肩がビクリと萎縮する。
「何だ、文句があるみたいだなぁ」
いつの間にか普段の涼しい顔に戻った親父は、にんまりと俺を眺めて笑う。
「そりゃ確かに、この子は不幸な経験をしてるが、捨て犬を拾うのと訳が違うんだぞ!」
「なら尚更だ。この少年は超人だ、お前の言う通り、素性の知れぬ野良犬などではない。
だったら私たち大人が同じ超人として保護するべきじゃないのか?」
親父の言葉を聞きながら、目の前の涙に洗い流された強張った濡れた翠色の瞳を見た。
瞬きもしないで、大きなその眼は俺の姿だけを写していた。
「わかったよ…とりあえず今日のところは俺が面倒を見るよ」
「よかったなぁジェイド。行儀よくして、ブロッケンとJr.の言う事を聞くんだぞ」
レオパルドンは笑いながら、少年の淡い金髪がグシャグシャになるまで撫でた。
この少年なら、今まで押し付けられてきた娘達より、よっぽどマシだ。
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