「GluhWein」



「おやすみ、ジェイド」
「おやすみなさい、レーラァ」

穏やかに貴方は目を閉じる。明日の朝まで、その瞳に俺が映る事は無い。 
毎晩レーラァが眠りにつくまで、俺はレーラァの冷たい手を握り締める。
静かで規則正しい 呼吸を耳に聞きながら、薄闇の中で貴方の寝顔を見る。 
吐息まで凍りそうな夜の中、俺は貴方だけを見つめ続けている。
耳に痛いぐらいの静寂が支配している屋敷の中で聞こえてくるものは
遠くから聞こえる時計の音と、微かに聞こえる貴方の寝息。
銀糸の如く、闇に浮かぶ一筋の乱れ髪に気付く度に、俺の心臓は痛いくらい締めつけられる。
貴方が居る。それだけで俺の心は震える。
夜が深まるほどに、昔の事を思い出す。 
子供の頃、悪夢にうなされる事が多かった俺の為に、毎晩安心して眠るまで横に居てくれた。
浅い眠りを繰り返していた時でも握られたレーラァの手が、俺が独りではないと教えてくれた。
貴方が、俺を満たしていた。
今、貴方の薄い唇が静かに呼吸を繰り返すたびに、酷く気持ちが落ち着かなくなる。 
誰も触れる事の無い武防備な寝顔が、俺の心を掻き乱す。

「―――ジェイド」
名を呼ばれ、顔を上げる。薄闇に隠された横顔は、眠りの淵から目を覚ましていた。
「はい?どうされました。」
ここに居るのを確かめるように、握ったままの指に力を込める。
「いや、なんだか寝付けなくてな。」
そう言いながら閉じられていた瞳をゆっくりと開き、俺のほうを向いて笑いかける。
心臓が早鐘を打つ。霞がかった紫の瞳が俺を見つめる。
「―――そ、それでは、何か温かいものでもお持ちしましょうか?」
夜の中で見る笑う貴方は、まるではじめて会った頃のように弱々しく見える。
「ん、そうだな…頼めるか?」
乱れてもない夜着を直しながら体を起こし、小さく頷く。
「構いませんよ。少々お待ちくださいね」
重ねていたレーラァの手の離し、台所に急いだ。

冷え切っていたコンロに火を熾す。
ミルクパンに赤ワインとオレンジジュースを入れ、シナモンとグローブを少し。
沸騰しないように気をつけながらコンロの小さな火を見つめていると、不思議と胸の動悸が
静かに穏やかになっていった。熟れた果実のような薫りが台所に漂い始めると、パチンッと
ガスを切って、マグカップにたっぷりとアツアツのグリュ―ワインを注ぐ。
仕上げに蜂蜜をスプーンに一杯混ぜる。 子供向けの甘い味付けがレーラァのお好みだ。
冷めないよう、溢さないように急いでお持ちする。
「お待たせしました」 
不安定に揺れるグリュを捧げるように差し出した。
「あぁ、ありがとう」
 ベットから体を起こし、俺の手からマグカップを受け取る指先は氷のように冷え切っていた。
「熱いのでお気をつけ下さいね」
「わかってる、心配しなくても大丈夫だ」
 マグカップから白い湯気の立つ、深紅のワインに口を付ける。
「!!・・・っつ」
微かに眉根を寄せる。ややすると、瞳の縁がうっすらと潤んでいた。
ちょっとばかり恨みがましい視線を、俺とマグカップの交互にくれている。
「だ、大丈夫ですか!?」
困ったような表情をしながら口元に手を添え、マグカップに視線を落としていた。
どうも言ってるそばから、その舌先に火傷をしたらしく、口に含んだワインを持て余している。
「―――少しだけ、じっとしてくださいね」
レーラァの首筋に手を添え、心持ち顔を傾けながら、唇を合わせると静かに舌を差し込む。
途端に俺の口いっぱいに熱く甘いグリューワインが流れ込んでくる。
喉に熱の痛みを感じながら二度、三度と喉を動かし溢さないように気を付けながら飲み干す。
口に残っていた一滴まで舐め取るとゆっくりと唇を離した。
「もう大丈夫、ですよね?」
レーラァの唇に少しだけ残ったワインが室内で光を帯びていた。
ふき取ろうと手を伸ばすより早く、それに気付いたレーラァが手の甲で拭い取った。
「ジェイド、あんまり意地の悪いマネはするな」
項に触れたままでいた、俺の手を解き外す。
「え、意地の悪いって?」
「だから、その、今みたいにワザとだなぁ…と、ともかくイタズラじみた行為の事だ」
そう言うと、残りのいくらか冷めてきたグリューワインを一気に飲み干した。
「いいな?―――それじゃ、おやすみ」
枕元のテーブルにマグカップを置き、ベットに身を横たえると、紫の瞳が閉じられた。
やがて、いつもの規則正しい呼吸音が聞こえ始める。
深い眠りについた貴方の横顔をみつめながら、唇に、舌に残る体温を思い出す。
口には蜂蜜よりもっともっと甘く、俺を蕩けさせる香りが残ったままなのに。
安らかに寝息を立てる寝顔が俺の心を掻き乱す。今度は俺が寝付けなくなる番だった。


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