「NightMare」




満月の夜には全てがゆっくりと狂っていく。





月明かりに照らされた公園に彼は立っていた。
深紅の鎧を身にまとった彼は、夜の中でまるで人形のように見える。

―――見るつもりは無かった

だが、一度惹きつけられた光景からは目が離せなかった。



彼は身につけているモノはいつもの鎧ではなかった。
それは、赤い、紅い、鮮血。
濡らりと、月明かりを浴びながら、彼は血を身にまとっていた。
月の光を浴びて、地上の月に姿を変えたナイフが振り下ろさせる。
深く、深く、彼の白い肌に飲み込まれていく銀の月。
キラキラと煌めきながら吹き上がる血。
表情一つ変えずに、彼は自分自身を斬り付けていた。





なんて、美しい悪夢。



血に塗れた彼は傷口に指で触れるとゆっくりとその中に指を差し込む。
その感触を確かめるように、硝子の様な瞳は閉じられている。
寒気が走るその光景は時間が止まっていた。
彼が己の肉の内側から血を掻き出す姿は、おぞましく美しかった。

脳が痺れた。


吐き気を催すほど、深紅に染まった彼は神々しかった。

ゆっくりと彼の瞳が開かれていく。無機質な目に月明かりが反射する。
視線が合う。
その視線は俺を咎めるものではない。ただ、俺を見ていた。
俺は見るつもりは無かったのだ。それに、後ろめたい事をした訳ではない。
そう思った瞬間、理性が戻る。
彼は俺に視線を向けている今も血を流し続けているのだ。

「止めろ、死ぬ気か!!」
駆け寄り、彼の手に握られたナイフを取り上げる。
それは血塗られ、妖しい光を放っていた。
彼の体には無数の古い傷、新しい傷が幾重にも付けられていた。
「もう、ヤメろ!!」
急いで脇の下に手を回し、止血点を抑える。
銀のナイフの先からは生暖かい血の匂いが立ち昇る。
彼の血が俺の体を包み始める。甘い、血の香り。
「何をするのですか?」
あまり表情豊かではない彼だが、明らかに困惑している。
「何をって、バカか?自分のしていること考えろ!!」
着ているシャツを脱ぎ、裂きながら包帯代わりに彼の身体に巻いていく。
彼は身体をされるがままにされても何も言わない。
いや、指先からは彼の戸惑いと、憤りが伝わってくる。
「止めてください、コレぐらいの事は何でもありません」
腕に巻きかけたシャツを取ろうとする。
「取るな!自分で自分を切ったりするのがコレぐらいのことか?」
怒鳴りつけながら彼の目を見る。変わらない、硝子の瞳。
「…私は強くならなければならないのです」
震えるような、それでも自信に満ちた声が答える。
「こんな風に血を流した分だけ、私の身体は私の願いを叶えてくれるのです」
薄い唇から零れる言葉が俺の頬の上を転がり落ちる。
「あの方が言ったのです。痛みを感じることは罪だと」
硬質な瞳の奥に燐火が浮かぶ。
「痛みはネガティブな感情です。あってはならないモノです」
彼の瞳には今、俺の姿が映る。
だが、彼の見詰める先にいるのは俺ではない、男だ。

「でも、本当はお前はソレを求めてるのだろう?」

思わず、言葉が零れ落ちる。
俺の言葉に彼は身動ぎ一つしなかった。
青白い燐火は閃光を放ち、俺を見詰め返す。
徐々に瞳は熱を持ち、感情の波が湧き上がってくるのが伝わる。

血塗られた悪夢、お前の求めるソレは超人として求める強さか?

それとも師の後を追う弟子の従順か?

または求めても得られない者への想いとの決別か?



彼の許されない感情の奔流はどこに行くのだろう。





月だけが俺たち二人を照らし、闇に浮かび上げている。

「肉体の傷と痛みは放っていれば癒せます」
消え入りそうなぐらい小さく、ためらいがちに言葉を選ぶ。
「ただ、心の瑕はどうすれば癒せるのですか?」
いつの間にか彼の瞳の燐火は消え、かわりに涙が浮かぶ。
「私は痛みを捨ててきたのです。なのに、こんなにも心が苦しい」
彼の双眸から零れるのは水晶より透明な涙。
「幾ら心を傷つけても、強くなれないのです」
咽び泣く彼の涙と血の匂いが混じりあい、眩暈がする。
脳髄を刺激する官能の世界が手を伸ばせばそこにある。
だが触れることは出来ない。
それは新たなる闇への始まりの扉だ。

「私は、強くなりたいのです」

ただ一人の男の、全ての言葉を信じた少年。
その彼を救えるのはただ一人の男だけ。
完結された無限の世界。
誰も彼の悪夢を終わらすことは出来ない。

彼自身が気高い、悪夢の王なのだから。



華のような血の香りを吸い込む。

俺の手には月の光を浴びたナイフ。
目の前には、キラキラと光る血と水蜜糖の涙。
冷たい瞳には俺の姿が浮かんでいる。
俺の瞳には血塗れの闇の王が写されているだろう。
「お前は、強いよ」
大きく振りかざし、彼の胸に銀の三日月を衝き下ろす。
たちまち、鮮血がほとばしる。



彼の瞳は一瞬大きく見開かれ、そして微笑んだ。





肌が粟立つ。

恐怖ではない。


歓喜が俺の心を貫いた。





俺の理性が狂い始めるのは満月のせいだ。






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