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高度3000メートルの高みから、空気を切り裂く音が鼓膜を打ち付ける。
巨大な羽虫を連想させるプロペラの音。
比翼の上を時速400q/hで死の影が横切る。
それはプロイセンの十字架を掲げたJu87の群れだった。
独特のサイレン音を脳が認識すると肌は粟立ち、冷たい汗が背中を流れ落ちた。
捕虜として囚われている身の今は、トミーのパイロットを信じるしかない。
後ろ手に縛られたままの掌はじっとりと湿りを帯びている。
窓から上空を仰ぎ見ると太陽を背にしながら鉄十字の編隊が瞬きの速さで迫って来ていた。
息を呑む間もなく、4つの影が高速の金属音と共に左から右に駆け抜ける。
直後に機体の天井から銃弾が貫き、目の前の通信兵のヘルメットからは脳漿が噴出した。
通信兵は激しく身体を躍らせるとグニャリと頭を垂れ、そのまま動かなくなる。
それが合図のように機体は上下に揺さぶられたかと思う間もなく重心が前のめりになった。
「どうした!?早く操縦桿を立て直せ!!」
シートを掴み、揺さぶられる身体を支えながら目の前の壁に向かってケヴィンが叫ぶ。
操縦席との間を阻む壁の向こう側からは断続的な爆発音と甲高い悲鳴が聞こえてくる。
乱気流の中の様に激しく揺れる機内に焦げ臭い煙があっという間に充満した。
「中尉!パラシュートを用意してください、操縦席とパイロットがブッ飛ばされてます!!」
機体は機首をさらに下げ、奇妙な体勢になりながら砂漠へ落下していた。
「糞ッたれ!!―――尾翼もやられてる!機体を持ち直せません!!!」
くぐもった声の悲痛な叫びが機内に響き、死を現実のものにした。
目の前が真っ暗になる。
よりにもよって味方に撃墜されるとは…
もっともスツーカも、まさかイギリス機に俺が乗せられているとは思いもしないだろう。
飛行能力のなくなったダコタは地表へと迫り始めた。
「脱出だ、キャビンを開ける!!ジェイド、落下経験はあるか?」
俺の方に振り向きながらケヴィンが聞いてくる。
「…空も海もない」
自分の顔から血の気が引いているのがハッキリとわかっていた。
心臓が早鐘を突いているというのに、身体中から熱が失われていく。
そんな状態の俺に気付いているのかいないのか、腰のナイフを取り出すと固く結ばれていた
俺のロープを切り放し、壁に掛けられていたパックのひとつを投げ寄越して来た。
「ラッキーだな。お前の処女飛行は砂漠だ」
マスクの下でくぐもった笑いを漏らしながら、ケヴィンはパラシュートを手早く装着していく。
見ただけでは、どこに足や腕を通せばいいのかさっぱり判らない代物なのだが
目の前のケヴィンを手本にして俺も小刻みに震える手で、見よう見真似でベルトを留めた。
「ジェイド、ひとつ良い事を教えてやる。飛んでる間は寝ててもいいが着地だけ気を抜くなよ。
馬鹿みたいに両足を踏ん張らずに地上に爪先が付いたら飛び込み前転の要領で転がれ」
早口にそれだけ言うとドアのロックを解除し、力任せに蹴り外した。
あっけないほど簡単に鋼鉄製のドアは剥がれて機体の後方へと飛び消えてしまい
開けっぴろげになったキャビンに入り込んでくる風が剥き出しの俺の頬に襲い掛かった。
ぽっかりと口を開けたドアの外には何もない空間しか見えない。
「―――GO!!」
どうして良いのかわからないで戸口にしがみ付いている俺に、ケヴィンにしては上品に
俺の背中を思い切り蹴り込み、俺を宙へと放り出してくれた。
奴の行為に対する俺の非難の声は風にかき消され、かつて感じた事のない風圧は
冷たい空気の塊となり、やがて未知のモノへの恐怖となって俺の身体を包み込んだ。
ビリビリと頬を打ち付ける風圧に目を開けているは辛かったが、一度閉じたら
再び目を開ける事が出来ないような気がした。
まるで目に見えない巨大な手が俺自身がおもちゃのように玩ぶ。
無我夢中で肢体を広げて体全体で風を受けながら砂の海に向かってのダイビング。
飛び降りたはいいが、肝心のパラシュートの開き方を聞いていなかったと気付いたのは
ゴウゴウと耳を劈く風の向こうからケヴィンが俺に叫んでいたからだった。
奴の声のする方に体勢を立て直そうと、掴る物もない空間を必死で掻き泳いだ。
「ジェイド、リードを引っ張れ!!」
何のことを言っているのか理解できなかったので、首を廻らしてケヴィンの姿を探す。
どうも今まで気が付かなかったが俺の直ぐ横を降下してしていたらしい。
俺が見つけたのを確認すると、奴は自分のハーネスから伸びているリードを指差した。
「いいか?着地したら俺が行くまで動かずに丸まって待ってろ!」
それだけ言うとケヴィンは俺の目の前で自分のリードを伸ばした。
絹ずれの音がしたと思う間もなく、ケヴィンの身体は上空に大きく飛び上がっていった。
いや、飛び上がった訳ではない。
奴は背中から白く大きな幌を広げて落ちていく俺を見下ろしている。
グングンと俺との距離が離れていき、パラシュートはすぐに小さい点になっていく。
それは俺がその分、地面に近ついているに他ならない。
もう肉眼で砂のうねりが見えるが確認出来そうなぐらいだ。
いくら俺が素人とはいえ、これ以上の落下は地面に激突するしかないと思われた。
慌ててケヴィンがしたのと同じように手に触れるリードを握ると、力を込めて引き伸ばした。
バパッンッ、と低い空砲のような音がしたかと思うと背中のパラシュートが風を受け、開いた。
思いっきり腰骨を掴み上げる衝撃に、口から内臓が飛び出すんじゃないか思われた。
ハーネスが食い込み、股関節と腰に一気に負担が掛かったがその衝撃は瞬間で終わった。
さっきまでの風圧はウソの様に消え去り、緩やかに穏やかに空中を漂う。
スツーカも一度の攻撃で満足したらしく、その姿もサイレンの音も聞こえなかった。
視界に広がるのは見渡すばかりの黄色い砂漠と無限に広がる雲ひとつない青い空。
そして足元には、錐揉み状に落ちていくダコタの炎と煙に包まれた姿が見えるのみだった。
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