1941/05/24 16:50


口の中に入り込む砂を吐き出すのは何度目になるか数える気も失せた。
配給された水の表面に死んだ羽虫が浮かんでいるのを指で摘まみ出し、カップの水を飲む。
摂取必要量には全く足りなかったが、湿り気を与えられた舌がようやく俺のいう事を利く気に
なってくれたらしく、何とか動かす事が出来るようになった。

地平線に太陽が姿を隠し、西の空では、星を引き連れ夜が、空を覆い尽くし始めていた。
再び来る寒さを思い、コートの襟を掻き合わせながらポケットの中のタバコを確認する。
1本、2本、3本、4本、5本、6本、7本、そして8本。
配給のたびに増えていくタバコが部隊と離れた時間を俺に思い知らせる。
いま部隊は―――レーラァは、どうしているだろう。
あの夜の戦闘で俺が死んだと思っているかも知れない。
だが、最悪の状態で生き延びた。
「起きてますか?」
今晩の当番らしいイギリス兵が声を掛けてくるのを体を動かす事無く、視線を動かし見る。
鼻と頬を真赤に火脹れにした、ソバカスだらけの顔が警戒心のないままに、すぐ横に居た。
「食事です」
砂が唯一の具材のような味のしないスープと乾燥しきったパンを乗せたトレーを手にしていた。
さすがにイギリス兵の食事らしく、見るだけで食欲を失わせるメニューだ。
食事の為、縛り付けられていたロープが解かれ、久しぶりに両手に血が満足に巡る。
「なかなかの前菜だな、ところで今夜のメインデッシュは何が出るんだ?」
まだ少し痺れの残る手を伸ばしてパンを取り、齧ると口いっぱいに砂の味が広がる。
「信じられないでしょうが、我々一般兵も貴殿と同じものを食べているのですよ」
スープを一息に飲み干し、皿をトレーの上に戻した。
「道理で、ミントジュレップもサマープティングも見当たらない訳だ」
「我が中尉殿も同じことを言ったらしく、当番がぼやいてましたよ」
そう言いながらポケットからタバコを取り出し、1本抜き取りと俺に差し出した。
これで俺の所有物は9本に増えた。
受け取ったタバコを仕舞うのを見届けると、俺の両手をまたロープでひとつに縛る。
「キツくないですか?」
あまり器用そうでない手付きで結び目を作っている。
こんなロープぐらい引き千切って逃げることなど容易い事だ。
ここハルファヤからならカプッツォまで、道1本で辿り着けるし、闇夜に紛れる事も可能だ。
目の前の、気の良さそうなイギリス兵には、ちょっとの間寝てて貰えば済む。
頭を下げたまま2度、3度と結び直す彼の後頭部に狙いを定める。
「僕、超人レスリングが好きで…戦争が始まる前は、興行があると聞くと隣町まで見に
 行ったりしたんです。もちろん一番のお気に入りはサー・ロビンでしたけど、まさかこんな
 砂漠の真ん中で、大好きな超人をロープで縛るなんて、あの頃は思いもしませんでした」
彼は顔を上げることなく、結び目を作り直す。
「この戦争が終わったら、また試合を見に行きたいです」
そう語る彼の表情を見ることは出来なかった。

ようやく満足できる縛りが出来たらしく、体を起こした。
望むことなく、この世の果てに送り込まれた俺より幼い顔をした兵士が俺を見上げた。
その目は澄んだ空の様に青く、まっすぐに俺を見ている。
ここに居るのは憎むべきトミーではない。
何故、俺は…超人でありながら、護らなくてはならない人間と戦わなくてはならないのだろう。

「名前を、教えてくれるか?戦争が終わったら、試合のチケットを君宛に送るから」
不意に、頭で思うより早く、言葉が口から滑り落ちた。
「ほ、本当ですか!?約束ですよ!戦争が終わったら、絶対に行きますから!」
一瞬驚いた表情を浮かべた後、日焼けした顔をさらに赤くし、満面の笑みを見せてくれた。



戦争、戦争、戦争―――――俺の戦場は四角いリングではなかったのか?




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