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たっぷりの砂糖を溶かし込んだエスプレッソを口に入れると、深く焙煎された豆の香りが 喉の奥から鼻を抜けていき、舌から流れ落ちたコーヒーは少しばかりの酸味を残した。 街は朝の喧騒から落ち着きを取り戻し、午前中の騒々しくも穏やかな時間を過ごしている。
鼻腔の残り香を吐き出しながら、スカーフェイスは目の前を過ぎていく人波を眺めた。
ジェイドは生真面目なもんだから毎日パトロールを飽きもせずする訳だが、そんな義務もない
スカーフェイスは最近のお気に入りのカフェで、のんびりと過ごしていた。
半分ほど飲んだカップをテーブルに置くと、下敷きにしたまま座っていた燕尾を引っ張り出す。
少し皺がついてしまったのを指でしごき平らに伸ばしていると、視界の片隅に忘れようがない
物体が自分に近づいてくるのが見えた。
「よぉ不健全なる青少年、奇遇だな」
見間違いようのない二本の角を揺らしながらバッファローマンは隣の椅子に腰を下ろした。
「何勝手に座ってんだよ」
相変わらず下心を隠しもしない笑顔を振りまきながら、カウンターの中からこちらの様子を
探っているウエイターに向かってホットココアを注文した。
「空いてる席が他にもあるだろ」
「それなら、どこの席に座ろうと俺の勝手だ。お前の膝の上でないだけありがたいと思え」
脇に抱えていた付箋だらけのファイルの束をごっそりとテーブルの上に放り出す。
「ジャマくせぇ荷物を持ち歩くなよ。仕事はもっとスマートにこなすもんじゃないのか」
「バカ者、誰のせいでこんなに書類を持ち歩いてると思ってるんだ。…まったく、HF出身の
はねっ返りの保護者ともなると関係各所に提出せにゃならない書類が腐るほどあるんだ」
そう言うとでかい手でワザと音を立てながらファイルの山を叩く。その勢いで貼り付けてあった
付箋の幾つかが剥がれ飛んだ。
「たとえ書類上に不備が無くたって、お前の素行の悪さは有名だからな。その為に下げなくても
いい頭下げて折り合いをつけてやってる教師に、お前は感謝の念は持たないのか?」
「何度も言ってるけどナ、俺は一度だって面倒見てくれなんて頼んだ覚えは無いんだよ」
「一緒に住んでるなら少しはジェイドを見習って、いい子になっても良さそうなもんなんだがなぁ」
鼻息を荒く文句を垂れるスカーフェイスに、一冊のファイルを抜き出すと投げて寄こした。
「賢いお前ならその書類の内容をちゃんと理解できるだろうからしっかり読んどけ」
別にバッファローマンのいう事に従うつもりは無かったがファイルの表紙をめくって見た。
そこには彼が勝手に住まいとしている、ジェイドのマンションがある地域の役所に提出すると
思われる公的証明書類が事細かに挟まっていた。
「いつの間にこんなモン作ったんだ…」
「日本に駐在してる超人はみんな役所に届け出る決まりになってんだよ。どうだ?よかったら
戸籍抄本の写しもここにあるが、試しに見てみるか?」
ファイルの山から何冊か取り出すと、バサバサとめくりながら目当ての書類を捜している。
しかし、d.m.pの超人が子供が生まれたと正直に役所なんかに届け出をする訳もないから
出生証明書やなんかは十中八九、超人委員会かHFのでっち上げたに違いない。
「おぅ、あったあったぁ―――あ」
ファイルから書類を取り出そうとしたバッファローマンの手が止まる。
「…これは見ないほうがいいな」
若干、声のトーンを落としながらファイルを閉じると注文していたホットココアが乱雑に置かれた
テーブルの上の、わずかばかりのスペースに慎ましやかに並べた。
「なんだよ、その言い方は。気になるじゃねぇか」
スカーフェイスはファイルを取ろうとしたが、バッファローマンはファイルの上に確固たる意志を
持って乗せた手を退かすことも渡す素振りも見せなかった。
「俺が自分の戸籍を見るのに何の問題もないだろ?」
「確かにお前の言い分に間違いはないが、後悔して構わないなら見せてやらんでもないが…」
そう言うと珍しく眉根を寄せて渋い顔を作って見せる。
「なんだよ、自分から見るように誘っといて土壇場で見せない方がおかしいじゃないか」
苛つきながら手を伸ばすとバッファローマンからファイルを強引に奪い取った。
「待て、先に文句を言わないと誓ってから読まないか!」
慌てて取り返そうと身を乗り出すより先に、スカーフェイスはその書類に目を通してしまった。
「―――はぁあ?!」
間の抜けた声と、怒りのあまり脳卒中を起こし兼ねないほど血管が切る音が同時に響いた。
「…だから言っただろう」
プルプルと揺れてる指先から書類を取り返そうと手を伸ばした途端、グシャッと丸められた。
「申請すれば幾らでも手に入るからそんな事しても無駄だぞ?」
「無駄とかじゃねぇよ!それより、なんだって俺がテメェの子供になってんだ!」
握り固めた書類の玉を超近距離からバッファローマンに投げつけた。
「ちゃんと読め。子供じゃなくて養子扱いになってるだろう」
紙玉を除けずに顔に当たるがままにさせたのは、なけなしの良心の呵責からか。
「なおさら性質が悪い!だいたい公式文書の偽造は100%犯罪じゃねぇか!!」
スカーフェイスの顔は怒りの臨界点を超えて赤黒い色に変わってる。
突き刺す視線を無視しながらバッファローマンはホットココアを一口飲んだ。
「お前の言い分は正しい。だが超人委員会のやってる事に文句を言ってると、素行の悪いお前
なんかは適当な理由をつけられて、超人ホイホイに放り込まれちまうぞ。悪いことは言わん。 養子の件は便宜上のことだと思って諦めろ。それとも俺の“息子”は恥ずかしいか?」
「―――…ったりまえだ、このエロ爺ぃ!」
スカーフェイスは髪が逆立てながら怒鳴ってみたが、どうやら逆効果になってしまったようだ。
目の前に座る“義理の父”は、新しい悪企みを思い付いたのだろう。ニヤリと笑いかけてきた。
その笑顔に邪悪な気配を感じ取り逃げようとしたが時遅く、燕尾を掴んで引き寄せられた。
「なんだ、恥ずかしがる事はないだろう?…なぁ、スカーフェイス?」
子供に言い聞かせるかの如く優しい声で語りかけてくる。
皆まで言わなくても、バッファローマンの次の言葉は容易に想像出来よう…
「何ら世間の目を気にすることなく、俺はお前を部屋に連れて行くことが出来るんだぞ」
口の端につけたココアを舐めとった舌を意味あり気にスカーフェイスに向けて動かす。
その赤く尖った舌先は、余計な心配をさせるには充分な威力があったとみえた。
哀れな燕が上げた絶叫には、ビブラートが見事に掛っていた。
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