〜ケビンマスク〜




彼は、自らを醜い黒い獣だと言った。
だが俺は、彼ほど美しい黒い獣など知ることは無かった。

彼は何も語らない。
俺が欲しいのはたった一つの言葉だけなのに。
それは永遠に得ることは出来ない。
彼の瞳は何も語らない。
俺が見たいのはただ、微笑みでいいのに。
それは永遠に向けられることはない。

求めても、求めても、求めても、指の隙間から零れる水のように俺には手にする事はない。

母よりも、父よりも、近くに感じていた。
朝靄を掻き分け歩く足音を、花霞に憂いを帯びた横顔を、夕霧の中に立つ後ろ姿を。
春の風の中で、夏の日差しの中で、秋の雨の中で、冬の闇の中で。
彼の名を呼び、この手で触れ、声を聞きながら胸に顔を近付ける。
心音に耳を澄ませ、微かなオイル臭を感じながら、彼の顔を見詰める。
何も語らず、ただ、背中に手を回して俺をやさしく抱きしめてくれる腕。
朝焼けの中、中天の下、夕暮れの中、星明りの下、彼の黒い腕は俺を包み込む。
心臓が同じリズムで脈打つのを胸に感じながらも彼の心は閉ざされている。
二つのマスク越しに聞こえるお互いの呼吸音。俺を見詰める紅い瞳。
その瞳に映るものは、俺に似た男。

求めても、求めても、求めても、彼の心を俺は手にする事は出来ない。

俺の手を引いてくれた指であの男の手に触れたのだろう。
俺の名を呼ぶ声であの男の名を呟いたのだろう。
俺の声を聞きながら、耳朶に触れるあの男の声を思い出していたのだろう。



俺をやさしく抱きしめてくれる腕を望むことは出来ない。
せめて、この鎧が彼の代わりに俺を抱き締めてくれる事を願おう。
この黒い鎧は、永遠に、俺だけを包み込む。




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