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重いドアを開けるとライトを落とした店内から僅かにジャズが流れて来る。
古い映画のワンシーンのようにピアニストが女性らしい繊細さで鍵盤をたたいていた。
俺の視線に気付いたらしく、彼女はわずかに顔を上げて微笑んだ。
普段は賑やかに飲む方が性に合っているが、どうしようもなく一人になりたくなる時もある。
ここは誰気兼ねなく、自分の中の孤独と向き合うことの出来る貴重な空間だ。
いつも座るスツールの隣に珍しく先客がいた。
この店に来るには少々早すぎる年頃の子供だ。
彼の前に置かれたグラスはグラデェーションのかかったオレンジ色の液体で満たされている。
薄暗い店内の中では目立ちすぎる金髪と、明る過ぎる翠色の眼をしていた。
俺が席に座るのを気にしないフリをしているが、こちらを盗み見てる気配は消せないらしい。
「今夜は何を召し上がられます?」
親しげな笑顔のバーテンダーが注文を聞く。
「あぁ―――そうだな、今夜は軽目で、スティンガーを頼む」
「かしこ参りました」
笑いながらバーテンダーは棚に並べられた酒瓶から
フォアローゼズとミントリキュールを取り出し、シェイカーに注ぎ込む。それに氷をいくつか。
トップスをはめ、両手で包み込みながら酒の声を聞くような仕草でシェイカーを小刻みに
振るい、徐々に体全体でその振りを大きくさせていく。
氷と火酒の性交によってカクテルは生まれる。グラスに注がれるのは愛液にも似た媚薬だ。
ミントとウィスキーの薫りがお互いを抱き締めあうように口に広がり
甘い、下心の蜜の味が広がる。独り寝を決めた夜に飲むには罪深いカクテルだ。
舌に滑らかな愛撫を繰り返すカクテルを飲み干す。
喉に落ちていく快楽を楽しんでいるのを興味深そうに眺めている視線に声を掛けた。
「坊主、そんなに俺が気になるか?」
気付いていないとでも思ってたのか飛び上がって驚いてる。
「い、いえ、そういう訳じゃありません」
一生懸命に頭を大きく左右に揺らす。女だったらカワイイ仕草なんだけどなぁ。
幾分身を小さくして、目の前のグラスに残っているオレンジの液体を一口飲み下している。
「まぁ、こんな目立つモノを頭に付けといて気にするなって方が無理な話だよな」
ただでさえデカイ図体をしている上に傷だらけの禍々しい角が天に向かってそそり立っている。
俺にとっては勲章であり、背負い続ける十字架でもある二本の捻れた角だ。
「そうじゃなくて、あの、“外”で超人を見た事がなくって―――すいません」
ペコペコと何度も頭を下げる。見ているだけでこっちが疲れてしまいそうな勢いだ。
「あのなぁ、男はそう簡単に頭を下げたり、謝ったりするモンじゃない」
「は、はぁい」
無理やり“すいません”の一言を飲み込みながら返事を返してくる。
シドロモドロしながらも好奇心を隠そうとしない。
どうせ今夜は独りだ、時間潰しにはもってこいのオモチャを見つけた。
「女でも引っ掛けにきたのか?」
どう見てもそんな器用な真似が出来るとは思えないが聞いてみる。
「違います!!レーラァとの…ま、待ち合わせです」
顔を真っ赤にしている。いいねぇ、実に初々しい。初デートかも知れないな。
「待ち合わせねぇ、ふーん」
この店に目を付けた所はなかなか見込みはあるが、身丈にあっていないのはマイナスだな。
「なんですか、何かおかしな事がありますか?」
どうやら俺のニヤケた顔が印象を悪くしているらしい。まぁ、いい。訂正するのも面倒だ。
「気にするな。スケベなおっさんが、ちょっとイヤラしい事を想像していただけだ」
「―――は?」
今度は目を真ん丸くしてる。
いやーホントにかわいいねぇ。この分だと相手のレーラってのはどう考えても年上だな。
こんだけ若いのを捕まえたとなると、相応の好きモノだな。
「子供にゃ理解できない事だよ。まぁ、知りたいんだったら教えてやっても構わんがな」
最上級の下心を込めた視線で見つめる。
「いえ、遠慮しておきます」
ほぉお〜、一丁前に警戒心はあるみたいだ。これこそ弄り甲斐があるってもんだ。
「んン?何だ随分と慎み深いな。超人が相手じゃ不安か?」
ワザとらしく、値踏みするように視線を泳がす。
こういうカワイ子ちゃんの扱い方は、愛しのベルリーナで充分経験済みだ。
たっぷりと時間をかけて品定めをしてやると、ようやく視線の意味に気付いたらしい。
耳まで真っ赤にしながら、俺を睨み付けてくる。
「差し出がましいようですけど、からかうのは程々にした方がいいですよ」
いつもは物静かなバーテンダーが俺を窘めながら、空のグラスを取り替える。
「おっと、これは失礼。そんなつもりは無かったんだがね」
俺のイタズラなど、すっかり見透かしていたらしい。
「お代わりをどうぞ」
差し出されたカクテルグラスは鮮やかなグリーンに輝いていた。
それも、俺の本質を付いてくるような名前のカクテルだ。さり気なく嫌味な事をしてくる。
「そんなに俺は“悪い”男か?」
だがバーテンダーは何も言わず、苦笑いしか返してこない。
俺が思っていた以上に、言葉の度が過ぎていたようだ。
グラスの中のミントの香りが鼻をくすぐり、唇に触れる甘い誘惑の味が口に広がっていく。
「わかった、わかった。謝るよ」
こうゆう時はさっさと非を認めるほうがこじれる事がない。
「坊主、悪かった。ちょっと悪ふざけが過ぎた」
膨れたままの頬で、俺との距離は置いたままだ。
言い訳を言っても聞いてくれる気配はないし、こりゃ相当嫌われたらしい。
ま、坊主がどんなに機嫌を悪くしようと構いはしない。
どうせ今夜はレーラとやらに可愛がって貰れるんだろうからな。
俺は独り、冷たいベットに戻るとしよう。
「―――さ、て、と、それじゃ悪者は退散させてもらうとするか」
席を立ち、俺の知らないナンバーを奏でるピアニストにキスを投げかける。
彼女は何も言わず、ただ微笑を俺に返すだけだった。
扉に手を掛けながらつい余計な一言を言ってしまう。
「坊主!人間だろうが、超人だろうが“ヤる事”は同じだから気が向いたら声を掛けてくれよ」
閉まりかけた扉の向こうでバーテンダーの渋い顔が見えたが気にしないことにした。
店を出て、ビルの谷間に切り取られた夜空を見上げた。
遠い昔、黒い森の中でアイツと見た星を探したが
あまりに地上は明るすぎて、在る筈の星を見ることが出来なかった。
ジェイドのアホッぷりを書きたかったんですが
牛先生を出したが為に比重が傾いてしまいました。
もう、牛先生大好き。メロメロですよ。
実は“マティーニ”から徐々に時間を遡っていってます。
今回ジェイドが酔っていないのは子供だから。
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