「残光」




ケビンが失踪したと聞かされたのは、彼が居なくなってから一週間も過ぎてからだった。

心当たりは全て探したが見つからないと告げる電話越しの声から疲労を感じた。
「もしかしたら、お前なら何か知らないかと、思ったんたんだが」
ロビンの口調は俺が何かしら知っているとでも言わんばかりだ。
「申し訳ないが全く心覚えはないな。とりあえず俺も今からそっちに向かう」
「いや、それには及ばない。探せる範囲は全て調べた」
やや暫らくしてロビンは俺に聞いてくる。
「お前の所には、行ってないのか?」
ロビンの言葉に無性に苛立ちを覚えた。
「いや、何年も会っていない」
受話器の向こうから落胆の気配を伝わる。
「そうか、もし何かわかったら連絡をくれないか?」
「見つけたらすぐ連絡するよ。俺のほうでも探してみよう」
疲れた声で頼んだと聞こえたが電話を切った。

最後に会った時の寂しそうな瞳を今でも憶えている。
まだ年端も行かぬ子供をロビンはかなり厳しく育てていた。
あの時も、確かスクールでの事をマダム・アリサに楽しそうに聞かせていたときだ。
クラスで流行っている他愛ないゲームの事、友達がいかに上手かを彼なりに説明していた。
“ケビン、君はそのゲームでは勝った事はないのかい?”
いかにも楽しそうな話だったのでつい、聞いてしまった。
“うーん、アルバートの次ぐらいには強いよ”
負けず嫌いなところはロビンそっくりだ。
“ケビン、スクールは勉強をするところだ”
傍に居たロビンの口調は険しい。
“そんなゲームの勝ち負けの競うよりやるべき事があるだろう”
“…はい、ダディ”
先程までの子供らしさが陰に隠れる。
“ロビン、何もそんなに厳しく言わなくても良いじゃない?”
さり気なくマダム・アリサがなだめる。
“仮にもロビン家の嫡子なのだから余計な事をする時間はない”
毅然とした態度のロビンにはさすがにマダム・アリサも何もいえなくなる。
“さあ、お喋りはそれぐらいにして部屋に戻りなさい”
従順な態度を取ってはいてもケビンのロビンに対する嫌悪は俺にもわかった。
それが幼い彼を見た、最後の時だった。

部屋を出た。
当てがある訳ではなかった。ただ、何もしないでいる事は出来なかった。
脳裏に浮かぶのは彼の姿。凛として幼く、大人でありながら子供のままの彼。
雨に濡れて凍えては居ないか?
夜の暗さに泣いては居ないか?
独りの孤独に震えて居ないか?
風を読み、雲を見る。彼の記憶を辿るように歩き続ける。



俺の足は遠い昔、マダム・アリサと、ケビンを連れて出かけた公園に向かっていた。
そこに残されていた思い出は余りにも微かで、自分の機械の部分が憶えていたのだろう。
あの頃のケビンはまだ幼くて、ロビンの屋敷とこの公園が彼の世界の全てだった。
大きすぎるマスクを小さい手で支えながら、落ち葉やトチの実を拾ってはマダム・アリサや俺に
持ってきた。時たま姿を見せるリスのためにショートブレッドを大きな木の根本にそっと置いて
いたりもしていた。あの頃のまま、公園は静かにたたずんでいた。時間が止まったかのようだ。
ケビンと遊んだ大きな木も残っている。懐かしさに思わず笑みが零れる。
枯葉が幾層にも積もり、葉を落とした木々は心に郷愁を誘う風景だ。
何世紀にも耐えてきたような巨木となった幹に手を当ててみる。
普通の人間には感じ取る事の出来ない、幹を流れる電気信号を拾い取る。
遠い日の記憶の中のケビンも、今の自分と同じようにこの樹に触れていた。

ケビン。
今、お前はどこにいる?

ケビン。
お前は、何を求め、彷徨う?










「―――ウォーズマン」

いつの間に、それともずっと、ずっと前からそこに居たのか。
後ろから名を呼ばれ、振り向く。
闇に抱かれているような、漆黒のコートを羽織ったケビンが俺を見詰めていた。
「よかった、ここに来ていたのか。さぁ、屋敷に帰ろう。ロビンが心配している」
ロビンの心配が杞憂に終わり、いささか拍子抜けをしたとはいえ、安心した。
が、突然ケビンは甲高い声で笑う。
「心配?あのダディが?そりゃ心配だろうよ。
 なんてったって、大事な大事なロビン家の跡継ぎが突然の家出だもんなぁ」
そう言い切るとまた、耳障りな笑い声を上げる。
「ケビン…」
何とも言えない、嫌な感じがする。
クックックッと喉を鳴らすイヤらしい笑い声が収まるのを待った。
一瞬、これがあのケビンなのかと思ってしまうぐらいだ。
「子供みたいな真似をするもんじゃない。さっさと屋敷に帰るんだ」
手を差し伸べる。
幼かった頃のように、俺の手を握り締めてくれる、そう思っていた。
「あそこに戻る気なら無い」
俺の手を取ることもなく答える。
「一体どうしたんだ?何か気に要らないコトでもあるのか?」
フン、と鼻を鳴らす。あぁ、幼い時も拗ねると同じように鼻を鳴らしてたな。
「言ったろ。俺は二度とあの牢獄に戻る気は無いんだ」
吐き捨てる口調。一体どうしたというんだ。
「確かにロビンは厳格な父親かもしれないが、それを牢獄などと言うもんじゃない。
 君に期待しているからこそ、まぁ多少は厳しくはあるが…」
ちゃんとロビンを弁護してやれないのが辛いところだ。
「兎も角、ロビンは君を酷く心配してる。いい子だから、帰ろう」
なだめすかそうと、再度差し伸べた手を強く引き取られる。
ロビンに似たマスクが俺の目の前に迫る。
「いつまでも俺をロビンマスクの息子として接するのは止めてくれ。
 俺は、ケビン―――ケビン・マスクだ」
マスクの奥から彼の蒼い瞳が俺を捕らえる。
「ウォーズマン、ダディの事はいい、もう聞きたくない。
 貴方にとって俺は、ロビン・マスクの息子でしかないのか?」
ケビンの声は震えていた。

その声に、気付いてしまった。

遠い春の日の午後、陽の光を浴びていた天使。
あの時から俺の心はずっと囚われたままだった。

風が落ち葉を巻き上げる。



風が巻き上げた落ち葉が、二人の間を距離を縮める。



ケビン。

ケビン。

ケビン。

「――――――――――」

口から零れ落ちた言葉が心の枷となる。

「…聞こえない、もう一度言ってくれ」
言うべき言葉でなかった。
「聞こえなかった、聞こえなかった!ウォーズマン、もう一度言ってくれ」
搾り出す、呻きのような声を俺に投げかける。
「いい加減にしないか」
禁忌を犯した俺の罪を彼に償わせてはいけない。
彼を、光ある場所から俺の闇に引き込んではならない。
ふいに、ケビンはマスクを外した。
普段日の光を浴びることのない素顔を覆うように、豊かなブロンドが零れ落ちる。
「貴方の大事な言葉を、こんなマスク越しで聞くなんて出来ない」
真っ直ぐに俺を見詰める蒼い瞳。
「もう一度、俺に聞こえるように言ってくれ」
心が張り裂けそうだ。
狂おしいまでに愛おしい。

俺は今、目の前に天使を見ている。

「ウォーズマン」
ケビンの指がゆっくりと俺の仮面を外す。
俺は身動きせず、彼にされるがままにさせる。
俺の素顔を見れば彼も気付くだろう。
この醜い獣に憐憫を抱きはすれ、彼の幻想は醒めるだろう。
人の形をしたカラクリの獣、歯車と配線が絡み合った醜悪な素顔。
瞬くこともない剥き出しの眼球が、機械の中で余りに生々しい。
それを、白く細い指が、俺の配線と基盤をなぞる。
「俺は、貴方を想う事で生きてきた」
俺とケビンの間には何も遮るものはない。
「俺の声は聞こえるかい?」
幼い子供のような仕草で俺に頷く。
マスクを外された俺の声はまるで他人のようだった。
胸の内に湧き上がる感情の波が俺を押し潰しそうになる。
俺は、こんなにも、彼を抱き締めたいと思ったことはない。
手を伸ばせば彼のベルベットのような頬に触れる事もできるだろう。
2人の間の空気が電気を帯びたように震える。
彼の心を、こんなに近くに感じている。
「ケビン」
俺を見詰めるブルー・サファイヤの瞳。
「俺は醜いバケモノ、異形の者だ」
「違う!!何故、貴方は自分を貶める?」
彼の顔が激昂に歪む。それでも美しい造形を壊すことはない。
「ケビン、君には分からないだろう。俺はこの世の最も汚れた場所で生きてきた。
 本当ならこんな風に言葉を交わす事だってしてはならない事だ」
モーターの心臓が軋む。
生身であれば彼の生きる世界に近付けたのだろうか?
機械であれば彼の生きる世界を知らないで済んだだろうか?
充分だ―――もう、充分だ。
残酷な神が俺達を見ている、交じり合う事が出来ない俺と彼を。
「君は余りにも純粋だ。俺が傍にいるだけで君を穢してしまう」
「そんなことは無い!!俺は、貴方ほど美しい魂は持ち合わせてはいない」
震える声が答える。
「君を俺の世界に引きずり込む気はない」
この世の、純粋なモノで出来ているお前に触れることは出来ない。
「俺は、たとえ世界の果てでも、貴方と居られれば、それ以上望むものは無い」
お互いの呼吸が絡みつくほど、顔を寄せている。
彼の瞳に吸い寄せられ、視線を外す事さえ出来ない。
「俺は貴方の隣に居たいだけなんだ」
綺麗な、夜明け前の色をした瞳から、溢れる光。
天使の涙はなんて美しいのだろう。
キラキラと、蒼い瞳から溢れる水晶たち。
「俺の隣にいるのは死神だ。君の席は用意していない」
ケビンは静かに瞳を伏せる。長い睫毛が涙に濡れていた。
一筋、静かに零れ落ちる涙。
切なさが俺の心を締め付ける。
天使の流れるままに頬を濡らす涙を唇で拭い取る。
僅かに肌に触れる唇から彼の熱を感じる。
「さぁ、皆が待っている。君には居るべき場所がある」
ケビンのマスクを装着してやる。髪先1つ傷付けぬように。
乾かない涙を受け止めながらケビンのマスクの留め金を掛けた。
俺だけの天使。
もう、誰も天使の素顔を見ることはない。
「俺はどんな時でも君を見護っている」
「―――気休めなど言わなくてもいい」
俺から顔を背け、驚くほど強く俺を押しのける。
「ケビン、帰ろう」
「俺が帰る場所は、求めているのは、貴方の隣だけだ」
暗い声で彼は答える。
「次に会うまでに貴方の指定席にいる死神は追い出しておいてくれ」
そう言うと、ケビンは走り出した。
その姿は風よりも早い。
あっという間に木々の間に後ろ姿は消えていった。
止めることが出来なかった。

彼の最後の言葉が耳に残っていた。
「俺が、貴方の死神になってやる」
その時が来たら、俺は彼を受け入れることは出来るだろうか…




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