「SnowDome」



ベットで見た夢は楽園の夢だった。

朝靄が立ち込める中、まだ眠りについているベルリンの街を走る。
俺の少し後ろからはレーラァが自転車に乗って伴走してくれる。
冷たい空気を思い切り吸い込み、規則正しいリズムで走る。
俺の足音と自転車のタイヤが軋む音がアスファルトに響く。
徐々に朝日が昇り、薄暗かった町並みが生き返ったように浮かび上がる。
見慣れた光景が俺の目の前を過ぎていく。
変わらない毎日。

シャワーの後は簡単な食事。幾つになっても黒パンの酸っぱいのに慣れない。
毎朝、レーラァは俺が我慢して食べるのを分かっててザワークラフトを皿に盛る。
レーラァはコーヒーにラム酒漬けの氷砂糖を入れて飲む。
甘い香りが俺の方にまで漂ってくる。俺はコーヒーに少しだけ牛乳を入れる。
食事の間にする会話は今日の訓練のメニューと家事の分担。
変わらない毎日。

午前中はトレーニングと称しての庭の手入れ。
かなり広い敷地だから少しでもサボるとすぐに荒れ放題になる。
この屋敷には2人しか居ないから交代で芝を刈ってもひと仕事になる。
大きく枝を広げた木々も適度に剪定してやらなければならない。
2人しか居ないからこそ手を抜いたりは出来ない。
太陽の日差しが木々の間から降り注がれる。
変わらない毎日。

遅い昼食の後は実戦形式のスパーリングを中心のトレーニング。
2人で使うには広過ぎるトレーニングルーム。もう何年もこうして練習をしてきた。
レーラァの右肩が少しだけ上がるのはフェイントの左ジャブから始まるコンビネーション。
逆に後ろに少し溜めを作るのは軸足を狙ったローキックからのコンビネーション。
半歩利き足を引くのはタックルからのグランド狙い。
スイッチングからのハイキック。レバーブローとアッパーの連携。
わずかな癖から先の先まで技が見えてしまうが、それでも鍛錬は繰りかえす。
変わらない毎日。

薄闇が屋敷を包む頃、トレーニングを切り上げる。
夕食にはレーラァのお好きなウィンナーと俺の好物のチーズは欠かさない。
食事の会話は今日のトレーニングの反省と明日の簡単な予定。
それでも俺たち2人には充分な団欒。食事の締めくくりにはいつものコーヒー。
変わらない毎日。

食事の後は子供の頃からの習慣で暖炉の前で本を読む。
傍らのソファーではレーラァも何かしらの本を読んでいる。
夜が深まるにつれ、時間の密度が増してくる。屋敷を静寂が支配する。
本のページをめくる音と柱時計の針の音が交互に聞こえるだけだ。
やがて時計が11回鐘を鳴らす音が聞こえてくる。
それを合図にお互いにお休みを言い、それぞれの寝室に戻る。
変わらない毎日。

今日が終わり、今日が始まる。
レーラァと暮らしてきた、変わらない毎日。
小さな箱庭にも似た閉ざされた空間。
これまでも、これからも、変わらない毎日。
眠りから覚めれば、そこにはレーラァが居る。
終わることの無い、変わらない毎日。

目覚めたくない。

硬いベット、白い壁、リネンのカーテン、消毒液と、腐臭と、血の臭い。
ここはベルリンからは遠すぎる。
わずかに見える窓の外はどこまでも青い空に一筋の飛行機雲が浮かぶ。
心に大きな穴が空いたままだ。
声にならない呻き、もう聞こえない足音、とうに枯れ果てた涙。

目を閉じて、姿を思い浮かべる。
ここにはもう、レーラァはいない。
あれは2人だけの楽園だった。
変わらない毎日、閉ざされた楽園だった。


戻る
戻る