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ここには見渡す限り、地平線まで続く砂漠と圧倒的な絶望があるだけだった。
―――――静寂は、一発の砲撃で破られた。
砂漠の闇夜の中を何台ものR75サイドカーが走っていた。
サンドカラーに塗装された車体には白いペンキで椰子と鉤十字が描かれている。
シートに跨っている兵士は戦闘帽を目深に被り、防塵マスクをし
防砂マフラーを鼻の上まで引き上げ顔の殆どを覆っていた。
車体の取り付けられたサイドカーには、MG34機銃を抱えた兵士が同じように
マフラーをキツく首元に巻きつけ血の気の失せた顔で真っ直ぐ前を見詰めながら
座席に深く身を沈めていた。
お互いに一言も口を利こうとはしなかった。
否、言葉を交わすことなど出来なかったという方が正しいだろう。
今の彼らは、イギリス兵に狩り出された狐だった。
ヘッドライトの中に浮ぶ轍は大きくうねり、何度も車体をふらつかせた。
月明かりの中でハンドルを握り続けるには強靭な精神力と
何よりも運を味方に付けるしかなかった。
砂礫をタイヤが踏み度に車体が跳ね上がる。
身体全体で押さえ込むが気休めにもならない。
フルスロットルで走り続けている為、エンジンは悲鳴を上げていた。
だが、アクセルを緩める事は出来ない。
一瞬でもスピードを落とす事など出来なかった。
防塵マスク越しに聞こえる、背後からの止む事のない怒号と砲撃。
耳を襲ってくる音は獣の咆哮にも似た胸を突き上げるエンジン音と
仲間達が死の間際に上げる断末魔の声。
先行するバイクが巻き上げる砂塵で殆ど視界の利かないマスク越しに映るのは
“戦場の女王”マチルダU戦車からの閃光と人形のように手足をもがれ、宙を舞う人影。
大きく車体が揺らぐのは着弾の振動か自分の震えかさえ判らないでいた。
果ての見えない暗闇と、いつ撃たれるか判らぬ恐怖に、知らず声を上げていた。
腹の底から込み上げる死への恐れと、生き延びる為の焦り。
そして頬を切る、刃にも似た夜風。
全てが神経を狂わさんばかりに襲い掛かってくる。
ハンドルを握る指は強張り、腕は痙攣を続けていた。
果ての見えぬ、世界の深遠に向かっているかのように…
今、彼の背を抱きながら供に走るのは、青白い顔をした黒衣の神。
こんな所で死にたくない!!―――
生きたい、生きたい―――――生きたい!!!!!
また一台、砲弾の餌食となり、夜空を紅く染め上げていく。
口から飛び出してしまいそうなくらい心臓が激しく脈打つ。
背中を流れる汗は止まる事を知らない。
歯の根が合わぬ程の恐怖に全神経が悲鳴を上げていた。
一瞬のまばたきさえ命取りになるような気がしてならなかった。
眼球の奥がチリチリと痛み、涙が溢れるのは砂のせいではない。
機関銃から吐き出される焼けた銃弾の雨。
背中越しに迫りくる、死への足音。
そして――――――光の矢は、彼らを射抜いた。
どちらの声とも付かぬ悲鳴。
幾つもの弾が鉄の車体を貫いていく。
肩を、腕を、頬を、灼熱の刃が切り裂いていった。
薄れゆく意識の中で…あの人の事を想った。
ハンドルを握っていた手から力が抜けていく。
オートバイは支えを失い、大きく左右に蛇行しながらも走り続けたが
その数秒後には大きな爆発音を轟かせ、鉄の車体は宙を舞った。
またひとつ、生命の炎が、砂漠に消えた。
1941年5月15日 “ブレビティ”作戦
ドイツ軍第15装甲師団第15狙撃兵旅団第15オートバイ狙撃大隊は
アフリカの月の下、イギリス軍第22近衛旅団にハルファヤ峠を奪回される。
イギリス軍の攻撃から、逃げ延びる事が出来たドイツ兵は15名だった―――
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