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季節は初冬を迎えようとしているはずなのに髪を揺らす浜風を暖かく、海を望む丘に腰を下ろ
していると穏やかな時間の流れにまるでサミアドが砂を撒くが如く眠りに誘われる。空を覆う薄 雲は降り注ぐ陽射しを柔らげ、遠くから汐の香りを運んでくる海鳥もどこか眠た気に見える。 「お前がそんなに無防備で居るなんて、珍しいなこともあるもんだな」
声の方に顔を向けた。
漆黒に身を包んでいる声の主は午後の陽気に当てられる事なく相変わらず厳しい目付きをし
ていたが、その手には町中でよくみるコーヒーチェーンのロゴの入った紙袋を下げていた。
「随分と楽しそうにしてるな」
そう言いながら彼の横に腰を下ろすと、袋の中からロゴの印刷された容器をひとつ取り出して
蓋の十字に切れ目の入った部分にストローを突き刺し、手渡してくれた。
「楽しそう?この俺がか?」
袋からもう一つ容器を取り出すと、ガサガサと袋を丸めてゴミ箱に投げ入れた。
「そうだ。後ろ姿を見ていたが、今にも起き上がって踊り出すんじゃないか思ったぐらいだ」
そんな風に見られてたのかと思うとどうしようもなく恥ずかしくなる。照れ隠しにもならなかった
が、ストローを咥えて勢いよく飲み込むと、口一杯に冷たくて仄かに甘いミルクが広がった。
「・・・なぁ、いい加減にコーヒーを飲ましてくれないか?」
傍らで容器の蓋を外して白い湯気を上げる褐色の液体をさも美味そうに飲む彼に、聞き入れ
てくれるはずもない要求を言ってみた。
「俺の目の前ではダメだ。カフェインを摂取するよりミルクの方が栄養価がよい」
分かってはいたが案の定、許可は下りなかった。かつて彼の決めたトレーニングと体調管理の
中で摂取を認められない嗜好品のひとつにコーヒーがあった。
「いい加減勘弁してくれ、赤ん坊じゃあるまいし」
子供みたいに口を尖らせてもマスクの下に隠れて、気付かれる事はなかった。
「文句を言うな。どうせ普段は俺の目の届かないのを良いことに、バカバカ飲んでるんだろう」
そう応えた声は気のせいか、笑っていたような気がした。
「そんな事はない、俺は飲むなって言われてから一度だって口にしてない」
顔を横に向けると自分の方を顔を向けた、彼の紅く透き通った瞳を真っ直ぐに見つめる。
「貴方の言う事に間違いはないから」
「ほう―――暫く会わない内に、随分といい子になったんだな」
黒いマスクの下に隠された素顔に笑顔が浮かんだ気配が伝わってくる。海から穏やかな風が
青いマスクから溢れる豊かな金髪をくすぐるのを振り払い、容器に残っていたミルクをズズゥー と音を立て飲み干した。
「コラ、行儀が悪い。いい子になったんじゃなかったのか?」
そう言うも、彼の紅い目は笑ったままだった。
「別にホテルのラウンジじゃないだろう?そんな年寄りみたいに目くじらを立てるなよ」
空になった容器を横に置き、ゴロリとその場で寝そべる。潮風は暖かく、優しくふたりを包む。
「こんな所で寝たら体を冷やすぞ」
「それはトレーナーとしてのアドバイスか?」
マスクの隙間から目を細め彼の顔を見上げたが、こちらに顔を向ける彼の表情は逆光になっ
て見ることは出来なかった。
「いいや。可愛いお前の事が心配でたまらないだけだ」
「 か、かわいいって…ついにボケ始めたのか?」
予想もしていなかった答えを聞かされ、思わず飛び起きた。そのため、互いの呼吸が聞こえる
ほどに顔を近づける格好になった。だがその距離に、ふたりとも気付いていない。
「全く、お前は言葉遣いは直した方がいいな。別に俺のOSに問題がある訳でもないし
バクった訳でもないから安心しろ。俺は何時だってお前の事が心配でしょうがないんだ」
彼の曇りのない瞳に映し出された自分の姿を、自身が見返していた。
「俺にとって、お前は、何があろうと一番大切な者に変わりはない」
その言葉に胸の奥底が強く、熱く、締め付けられそうになる。
「じゃあ、ダイナスティより、ダディよりも―――貴方にとって俺は大切なのか?」
「つまらないことを聞くな」
きっぱりと言い放たれた言葉に、心が砕けそうになる。潮風が強く吹き、細く輝く金髪を漆黒の
マスクを愛撫するように撫で付けるのを鋼鉄の指先が絡め、彼の紅い瞳は視線を外す事なく 真っ直ぐに蒼い瞳を覗き込んだまま、ゆっくりと、囁いた。
「今の俺に、お前以上に大事な者が居るとでも思っているのか?」
その言葉を聴き終わらないうちに、コーヒーの残り香がケビンの胸に流れ込んできた。
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