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「分隊からの連絡は、まだ入ってこないのか!?」
ドシンッ!―――ッと、音を立て、拳を壁に打ち付ける。
その度に書類や無線機材に混じり、うっすらと積もった砂も躍り上がる。
わずかな隙間から入り込んでくるこの砂に、機械も車両も片っ端から破壊されていた。
「何度か交信を試していまですが、全く応答ありません」
年若い通信兵も砂に目をやられたらしく、しきりに両目を擦りながら、並んでいる
幾つかのダイヤルを忙しく動かしつづけていた。
「これ以上の送信はイギリス軍に受信される危険があります」
対面に座っているもう1人の通信兵が声をかける。2人とも血の気を失った顔をしていた。
無理もない。彼らはロクな冷却設備のない狭い車中で、すでに何時間もの間にわたり
デタラメに飛び交っているようなあらゆる無線交信に全神経を向け続けていた。
その2人の横ではイライラした様子を隠そうともしないで、煙草を咥えたひとりの将校がいた。
元々は端整な顔立ちなのだが、今の彼は疲労と不眠の為に目は酷く落ち窪み
頬に生えた無精髯が実際の年齢よりもずっと老けさせていた。
握りしめた拳で2度3度と繰り返し、壁を打ち付ける。
昨日の夜から明け方まで続いたイギリス軍の攻撃で、ハルファヤ峠の守備部隊であった
第15オートバイ狙撃兵大隊の1中隊が壊滅状態となり、ほとんどの兵士の消息が掴めなく
なっていた。自力でソムールまで辿り着いた者もいたが、その中に居るべき筈の伍長の姿は
なかった。彼らが待っているのは、その伍長からのたった一つの通信だった。
「予備回線にも応答は無いのか!?」
ジリジリと胸に湧き上がる不快感に吐き気を催しながら怒鳴りつける。
無線機からは、前進を伝える命令や補給部隊からの座標確認、交戦中の支援要求などの
様々な周波数からの交信が入り乱れ、おかしな合唱のようだった。
「このままでは電源が持ちません。一旦交信を終了します」
若い方の兵士が半ば泣きそうな表情でスイッチを切り替える。
「繋げろ!!!」
咄嗟に手を伸ばし、通信兵のシャツの胸元を捻り上げた。それまで疲労で青ざめていた顔は
見る間に頬は赤みを帯び、酸素を得られなくなった気管が砂嵐のノイズに似た音を立てた。
「ブロッケン准尉!!お気持ちはわかりますが、これ以上の交信は我々にとっても危険です!」
もう片方の兵士が必死に腕にすがり、若い通信兵を絞め上げる手を何とか引き離す。
通信兵は自由になった喉を擦り、炎症を起している赤い両目からボタボタと涙を流していた。
「そんなことは分かっているッ!!」
搾り出す声は僅かに震えていた。彼らは何一つ間違った事などしてはいない。
むしろ、不必要に交信を遂行させようとしていた自分こそ非があるのだ。
「あ―――いや、済まなかった。もし通信があったら、最優先で私に繋いでくれ…頼む」
辛うじてそれだけ言うと踵を返した。
だが両肩は落ち、その後姿は誰が見ても痛々しく、声をかける事も出来なかった。
よろめくような足取りでSd.Kfz250/3指揮装甲車から出ると容赦のない陽射しが彼を射抜いた。
思わず、立ち尽くす。
地上の全てを焼き尽くさんとする陽の下にいるというのに、心は凍りついたままだった。
追い立てられるように逃げるようにしながら待たしていたSd.Kfz223装甲偵察車に乗り込む。
運転席一杯に地図や書類を広げていた軍曹はそんな姿を予想していたか驚きもしなかった。
「すまないがコーヒーを一杯持ってきてくれないか?」
「それより、そのまま少し横になられた方がよろしいかと思います。
昨夜から一睡もお休みになってませんし」
音を立てながら散らばっていた書類をまとめてフォルダーに仕舞い始める。
「そうしたい所だが目を閉じた分だけ意識が冴えて、余計休まらない」
ヘッドギアを外し、留めていたボタンを外し緩めると首元の鉄十字章が揺れた。
指先に触れた金属の塊は彼の心のように冷たかった。
「しかし…差し出がましいのは充分に承知しておりますが
いま准尉に倒れらでもしたら我が部隊全体の士気に関わります」
「俺ひとり倒れようと、どうなるもんではないだろう」
鼻を鳴らしながら答える。彼の無作法に眉根を寄せながらも軍曹は言葉を繋げた。
「貴方は御自分の立場をご存知ないのですか?我が軍の現在の状況お考え下さい。昨日は
イギリス軍を追い返す事は出来ましたが、ハルファヤ峠を押さえられている以上、我々の
進攻に、非常に困難な状態に変わりはないのです。調子に乗ったトミー達がいつ舞い戻って
くるかもしれませんし、トゥブルグとのラインを確保し続ける為にも常に最良の判断を下せる
人物が必要なのです。その人物こそブロッケン准尉、貴方なのですよ」
「総帥ばりの饒舌だ。でも生憎だな、指揮を執るのは俺じゃなくて親父の仕事だろう」
ポケットから配給品の煙草を取り出し火をつける。喫煙が癖になりつつあるが未だに旨いとは
思えない。肺いっぱいに吸い込み、ゆっくりと吐き出すと紫煙がユラユラと踊りだす。
「小尉はこちらには居りません」
「いない?…いないとはどういう事だ?」
「今朝早くにベルリンにお戻りになりました。
その際に小尉がお戻られるまで部隊の指揮の全権を准尉に委任されていきました」
一瞬、軍曹の言ってる意味が理解出来ずにいたが、直ぐにトンでもない命令だと悟った。
「お、おい、ちょっと待て。そんな話は聞いてないぞ!」
咥えていた煙草が口から滑り落ちる。
「いいえ、目の前で直々に言い渡されていたのを憶えてられないのですが?
もっとも准尉は無線機に張り付いていらっしゃって、聞く耳を持ってられたかどうか」
親父の事だ、ドサクサ紛れに言ったに違いない。
「―――――冗談じゃない」
「ともかく現状をご理解頂き、1時間後のミーティングまではお休み下さい。もしお休み中に
伍長から連絡がありましたら直ぐに起こしますに参りますから。それでは失礼します」
取り澄ました顔をしながらフォルダーを脇に抱え、運転席から出て行く軍曹を目で追った。
「これじゃ、どっちが上官かわかったもんじゃない」
落とした煙草を拾い、そのまま窓から外に捨てた。
今すぐにでも“彼”を探しに飛び出したかった。
それを見通して親父のヤツは俺に中隊の指揮権を押し付けて行ったのだろう。
ともかく指揮を取らなければならない立場にされてしまった以上勝手な行動は出来なくなった。
悶々と、現状を解決する方法はないかと考えながら、やがて短くも深い眠りに落ちていった。
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