1941/05/16 09:15


視界に広がる砂漠には、不自然なまでに歪んだバイクが何台も、何十台も、醜くも無残な
鉄の塊へと姿を変えながら声にならない悲鳴のような黒煙を吐き、横たわっていた。
そして周りには、かつては“人間”と呼ばれていたモノが虚空を見詰めたまま転がっていた。
静寂がこの世界を支配しているような夜明け。
醜いオブジェに囲まれた中に、独りの男がいた。


目を覚まし、最初に目に映ったのは数時間前まで自分の隣にいた男の顔だった。
だが顔の右耳から上が吹き飛ばされており、詰まっていた中身はあたり一面に飛び散り
その周りを何匹ものハエが忙しげに羽や手を動かしていた。
ぼんやりとハエを見ながら頬に何か付いているのを感じ、手で拭う。
見なくとも感触で男の脳漿だったモノだろうと思った。
くらくらとする頭を抱え、口の中に入った砂を吐き出しながら立ちあがった。

刺すような陽射しの中には、一切の“生”が失われていた。

後ろから狙撃されたにも関わらず、奇跡的に弾はどれも腕や足を掠ッただけの様だった。
砂を一握りすくい、顔や腕に撥ねかかった脳漿や血など様々な体液に擦りつける。
ほとんど乾燥していた為に砂で擦ると簡単にきれいになった。
それから非常にゆっくりとした動きではあったが傍らの戦友のため墓穴を掘り始めた。
だが道具があるわけもなく、両手で大地を掘り下げるしかなかった。
砂は堅く、指先からは血が滲み出てくる。
それでも止める事はなかった。
死んでいった彼の魂は永遠にこの灼熱の中を漂うだろう。
だから、せめて肉体だけでも安らかに眠らせてあげようと思う。
さほど深く掘り下げる事は出来なかったので、なんとか横たわらせる事が出来る程度だったが
それでも墓穴には違いなかった。
砂を、苦痛から開放された顔に、体に、掛けていく。
すっかり埋葬を終えると二度と動くことのないオートバイを引きずり寄せ、墓標の代わりとした。
休む間もなく、辺り一面にメチャクチャに飛び広がった装備品を一つずつ広い集める。
大抵のものは焼き焦げていたり、爆発の衝撃で破損したものばかりだった。
辛うじて無傷だったウールコートをサイドカーの下から引きずり出し羽織る。
ポケットに残っていた食べかけのチョコレートを口に入れると
こんな所で救援を期待して待つより闇に紛れてカプッツォを目指す事に決めた。
自分のように恵まれた肉体を持つものなら方向さえ間違えなければ一晩で辿り着けるはずだ。
そうと決めるとあとは少しでも体力を消耗しないように僅かばかりの車体の影に入り込み
早く陽が沈むのを待つだけだった。
それにしても喉が乾いた。
足元に転がる白十字のジェリ缶に視線をくれる。
転倒したときに破損したらしく、見つけたときには水は一滴残さず砂に消えていた。
水の事を考えないようにすればするほど空のジェリ缶に目が奪われ
頭の中が一口の水の事に支配されそうになる。
これは良くない兆候だ。
その場しのぎに過ぎないがジャケットのボタンを一つ引き千切り、口に含む。
カラカラの舌の上で何度か転がしていると徐々に唾液が滲み出てくる。
人間の生理現象の一つを応用したものだが確かに効果はある。
舌の上に溜まった唾を時間をかけ、飲み下し、喉を潤していく。
ゆっくりと唾を飲み込みながら、いまが何時になるのか考えてみた。
砂漠には、本来の時間の概念を当てはめる事は出来なかった。
明るければ昼、暗ければ夜。
なんて明確な表現方法だろう、ドイツでは考えられない。

ドイツ―――そう、麗しの祖国。

夜のベールを押しやり徐々に姿を現す太陽と供に立ち込める乳白色の朝靄。
人々が目覚め、石畳に響く靴の音が街の心音のようだった。
若々しい光に満ちた太陽が中天を越える頃、子供達の笑い声が裏路地を走りぬける。
人々が家路へと急ぐ頃、ゆっくりと空の褥に足を忍ばす夕陽が
空に月と星のカーテンを引き緩やかな一日がフィナーレを迎える。
木々の延ばす枝が街の空気さえも緑色に染め上げ、風にそよぐたびに
幾重にも重ねられた葉の間から木洩れ日をレースの模様のように街並を飾る。
なんて遠くに、来てしまったのだろう。
ありありと思い浮かべる事の出来るベルリンの街並。
だが今、目の前に広がっているのは果てしなく続く砂の雲海だ。
陽が昇るにつれ車体の影が徐々に小さくなるので、なるべく体を小さく折り畳む。
兎も角、今は日差しから逃げる事以外するべきことは無い。
と、瞼が痙攣を起しはじめた。
こころなしか呼吸が浅く、速くなってもいる。
そういえば汗が出てこない。
指で唇に触れる。
ガサガサに乾いた唇がひび割れ始めている。
スゥーッ…と、血の気が引く。
一番恐れていた脱水症状がおきていた。
だがこの砂漠の中では死の宣告を聞いたに過ぎない。
眩暈なのか幻なのか目の前の景色がまるで巨大な顔のように歪み、俺を嘲笑う。
考えるな、考えるな、多くを考えるな。
絶望が心を覆い尽くさないように思考を深く、静かに、己が精神の深層世界に身を潜ませる。
コートの襟を掻き合わせ気休めにもならない抵抗で陽射しを遮る。
瞳を伏せ、よりいっそう身体を丸めながら震える指先で首元の鉄十字章に触れた。



それからいくらも経たない内に、あの“音”が砂漠の中を近づいてきた。
彼方から砂塵を巻き上げ、真っ直ぐにこちらに向かってくる。
影から身体を起し、見つめる。
見覚えのあるマチルダとLR.D.Gデザートシヴォレーは、やがて彼の前に止まった。




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