1938/06/29 22:50


その男は、まるで巨大な雄牛だった―――

家々が鎧戸の下ろした夜の帳の中、その店だけは開け放しにした入り口から煌々と明かりを
溢れさせ、石畳を照らし出してた。戸口の先から店の中を覗き込んだ。
黄色い灯りの下で男達が陽に焼けた黒い顔を酒で赤らめながら、口角に沫を飛ばし日頃の
鬱憤を吐き出している。汗と体臭にタバコとアルコールが混じり猥雑な匂いとなって店に充満
していた。その男達をかき分け、狭い店内に身体を押し込んだ。一歩く進む度に、ざわめいて
いた店内は水を打ったかのように静かになっていった。
男達の疑心に満ちた視線を一身に集めるとバーテンダーの真ん前に立った。
「酒を一杯くれ」
カウンターの中からチラリとこちらを見る。
「悪いが、子供には売れねぇんだよ」
それだけ言うとデカイ鼻を鳴らして俺に背を向けた。ここにいる誰もが新参者の俺を見ている。
「確かに俺はアンタ達よりか若いケド見た目ほどのガキじゃねぇよ」
ポケットからコインをいくらか取り出し、カウンターの上を滑らす。
「これだけあれば足りるだろ?」
棚に並べてある壜を取ろうと伸ばした腕を横から掴まれた。
「行儀がなってないな、どこの田舎から出て来たんだ?」
声の方に顔を向ける。
「粋がって背伸びするほど女にモテなくなるぞ」
俺より背の高い、日に焼けた肌をした男が笑いかけながら手から壜を取り上げていた。
艶やかな黒い髪はクセ毛らしく荒削りな男の顔には不釣合いな柔らかい影を落としている。
「子供は大人しくお家に帰ってミルクでも飲んで、さっさとベットに入るこった」
カウンターの周りにいた男達が忍び笑いをする。
自分ひとりでは何も出来ないクセに、こういう時だけ人の尻馬に乗る下らない連中が・・・。
「それにしてもこの辺じゃ見かけない顔だな」
男の黄金色をした瞳が俺を見下ろしていた。
「そりゃそうさ。用事でもなきゃ誰が好き好んで、こんな小汚い町なんか来るかよ」
笑い声が止み、集まっていた視線はやがてはっきりとした殺意に変わってきた。
「表に出ろ…お前さんには少しばかり口の利き方を教えてやろう」
男は顎をしゃくり、外を示しながらバーテンダーに束にした紙幣を投げて寄越した。
「悪いがコレでみんなに飲ませてやってくれ」
周りにいた男達に軽く目配せをすると俺の先に立ち、店を出る。
俺は背後から突き刺さる視線をたっぷりと背に受けながら続いて外の闇に身を躍らせた。


石造りの路地の何度目かの角を曲がったところで、男はゆっくりと振り向いた。
入り組んだ路地裏には一切の明かりは存在しなかった。だが男の巨大な角は、地上に落ちた
下弦の月のように銀色に光を帯び、暗闇の中から黄金色の瞳が真っ直ぐに俺を見据えた。
―――ふいに、男の燃えるような瞳に吸い込まれるような奇妙な感覚に襲われた。

「ここしばらく俺の事を探してる赤毛の坊主がいるって聞いたが、お前のことか」
太陽の陽射しを思わせる瞳は笑っていた。
「あんたの事を探してるヤツなんて、この街にはごまんといるだろう。
 なんたってあんたは“怒れる英雄”なんだからな」
気取られないように、心を捉えていた男の瞳の残像を振り払った。
一歩、足を進める。
二人の周りの闇が色を濃くし、互いの姿を飲み込んでいく。
「それで、用件は何だ」
「あんたが生きてると迷惑なんで、死んでくれないか?」
言葉を全て言い終わらない内に後ろ手に大きく腕を伸ばし、コートを翻す。
はためくコートの下から姿を現したのは鋼鉄の死神、ルガーP08。
瞬きの時間より早くルガーを腰溜めの姿勢で引き金を絞った。
トグルの跳ね上がる金属音と銃弾の発射音が、ひとつの音に調和する。
闇の中で銃口から赤い火花が炸裂し、ストロボのように二人の姿を闇に映し出した。
7発の9ミリ弾が歓喜の声を上げると銃口はわずかに上下する。
銃声が石畳に反響し耳を襲い、鼻を突く火薬の匂いは狭い路地に充満する。
その硝煙の中で男は事も無げに立ち、俺を嘲笑っていた。
「子供がそんなオモチャを持ってるのは感心しないなぁ」
男は笑顔のまま熱く焼けている銃身を素手で掴む。肉の焦げる匂いが微かに鼻を突く。
「仮にも超人なら、こんなガラクタを振り回さないで自分の肉体を使う事を覚える事だな」
そういうと力任せに俺の手の中からルガーを奪い取り、安全弁をかける。
弾倉を外し、遊底を勢いよく引くと薬室に詰まっていた弾が飛び出した。
俺の顔を見たまま、ニヤリと口の端を歪めた笑いを浮かべるとルガーを握った拳で
俺の下っ腹にボディーブローを叩き込んできた。
息が詰まる。
二度、三度と塊のような拳がミゾオチにめり込み、そのつど体が宙に浮かぶ。踊りあがる度に
胃液がせり上がり嗚咽とともに口から吐き出す。喉の不快感に、堪らず俯くと男は俺の髪を
掴み、今度は顔を殴りつける。熱く焼けた感覚が頬を走る。
拳の衝撃に倒れそうになったが握られた髪のせいでよろける事しか出来なかった。
男は髪を引っぱり、バランスを崩した俺の体を支えた。
「今夜は特別に大目に見てやるよ。これに懲りたら二度とイタズラなんかするなよ?」
掴んでいた手を離され、支えを失くした俺の体は今しがた吐き出した汚物の上に落ちた。
鉛を無理やり飲み込んだような痛みが腹からなかなか消えない。
体をくの字に曲げながら男を見上げた。
天を突く捻れた硬質な角が、やけにキラキラと光って見えた。
「ハァ…おい、オッサン―――んぁ、そんな事言ってカッコつけてると、あとで後悔するぜ」
男の靴先が俺の顎を蹴り上げる。
「坊主、こんな良い男を掴まえてオッサンは無いだろう?」
歯が咥内を切ったのか口に溢れる鉄の臭いに再び吐き気を憶え、堪らず戻す。
空っぽのハズの胃袋からひと吐きする度に体の力が抜けていく。
苦しさに丸めていた俺の身体を男は爪先で器用に仰向けに返した。
「次に会う時は、もう少しマシな身なりで来いよ」
大きな身を屈めると大きな手で俺の赤毛をクシャリと撫でてきた。
「それとあんまりおイタが過ぎたら今度はそのデッカい尻を叩いてやるからな」
「うっ、うるせぇよ!」
手を跳ね除け、一発でも殴ってやろうと腕を伸ばしたが身体が言うことを聞かなかった。
俺は泥と吐瀉で顔を汚し、横になったままで喘ぎながら喚いた。
男は哀れな俺の姿を見ながら不敵な笑いを残し、その姿を闇に消していった。


戻る
戻る