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蜂蜜色の朝陽が街を照らし、夜の匂いを残す路地裏にも新しい日が来た事を告げていた。
鎧戸の隙間から差し込む朝日が眠りについた彼の寝顔を暗い室内に浮かび上げていた。
だが深い眠りの底を漂う彼は一向に目を覚ます気配もなく、手負いの獣のように身体を丸め
赤く長い髪は乱れるに任せていた。時折指先が激しく痙攣を起こしはしたが、それでも彼の
眠りを妨げるには至らない。消え入りそうなほど静かな呼吸を繰り返す彼は年に似合わぬ
端整な顔立ちをしていたが頬には裂け目のように抉られた傷がひとつ、残されている。
閉じられた目蓋を撫でる陽光に身体がようやく観念したらしく、少しばかりむずがるように体を
振るわせると用心深く、その目を開いた。
腕に覚えはあった。
それをいとも簡単に一晩のうちに二度も鼻っ柱を折られる事などありえない事だった。屈辱に
身を焼き、怒りに心を奪われながら、昼に夜を接ぐように男を追い続け、傷も癒えず満足に
寝る事もせぬままにあの酒場に行ったのが間違いだった。あの夜の出来事を知らぬ者など
居る筈もなかった。店に入った途端、男達の黒い腕が四方八方から伸びてきたかと思うと
彼を掴み、殴り、蹴り、叩く。普段なら影を踏まれるほどに痛みなどなかったが、後頭部に振り
下ろさせた一撃に不覚にも膝を付いたところを捕まってしまった。石造りの床に押し倒されると
幾つもの靴が顔や体を容赦なく蹴り付ける。ジワジワと蓄積していくダメージと、治りきってない
傷の痛みが不愉快だった。耳に聞こえるのは怒号と呪詛が入り混じった声と銃鉄を起こす音。
殺意が空気の密度を重く変え、焼けた鉛より先に俺を押し殺してしまいそうだった。
血と酒に酔い、熱を帯びた視線が俺の身体中に突き刺さる。
「お前達、まさかここで撃つ気じゃないだろうな?」
男達の影の中から、ひどく冷静な声が投げ掛けられると、場を支配していた熱気がその声に
平伏す。頭を押さえつけられた姿勢のまま、俺は視線を動かし声の主を探した。
「こんな狭い所で銃を撃ってもいいなど、教えた覚えはないぞ」
人垣を押し分ける様に現したその姿はまるで闇そのものだった。
身を包む服も、素顔を隠したマスクさえも漆黒に塗り潰し、僅かに覗く目の色が異彩を放つ。
死の匂いを引き連れた男は腰を屈めて俺の顔を覗く。
「坊やがこの間の騒ぎの張本人か」
そんな質問に正直に答える馬鹿がいる訳ない。俺が答えないのを返事としたのだろう。
「探しているのはバッファローマンかい?それとも、“銀の鷲”かい?」
男は睨みつける俺に向って、再度質問してきた。もちろん沈黙を返す事しかなかった。
そんな俺の態度が気に入ったらしい。
無表情だった男の唇が奇妙な笑いを浮かべたかと思うと、信じられい力で俺のミゾオチに
その黒い拳をめり込ませる。ただ一撃で、俺の意識は落ちていった。
「おっと、無理して起きる事はない。そのまま横になってろ」
はっきりしないまま、上体を起こそうとした俺を凍えるような冷たい手が指しとめる。
その手はひどく心地良く、跳ね除ける気が起きるはずもなかった。
いや、起きる事は赦されなかった。
視界に映った手には長い鋼鉄の爪が、銀色の光を放ちながら俺の顔に当てられていた。
「お早う。よく眠れたようだな」
ゆっくりを首を廻らすと、昨夜と変わらない恰好をしたままの男が俺の横に腰を下ろしていた。
朝の薄明かりの中にいても男の姿は闇に包まれたままでいた。
「まずは名前を聞かせてもらおうか」
鋼鉄の爪の尖端が角膜に触れる。金属の狂気は、一呼吸で眼球を貫くだろう。
「…マルス、だ」
上擦る声を押し殺し答える。
「マルスか。いい名前だな」
男は俺の名前を聞いただけで満足したのか突き刺し掛けていた爪を、どういう仕掛けか
わからないが手の甲に仕舞い込んだ。
「君が寝てる内に身体を見せてもらったが、大した怪我はないようだ」
不意に男の体から漂うディーゼルオイルの匂いが体臭のように俺の鼻についた。
「なんで俺を助けたりするんだ?」
横たわる俺を見下ろす赤い瞳が微かに引き細めらたのは、この男なりの微笑なのだろう。
「本当なら今すぐその首掻っ切る所だが、どうも君は“彼”のお気に入りのようだからね」
俺の視線を外すことなく見つめ返してくる瞳は、まるで煉獄の色だ。
仮面の下から笑いを浮かべ、愛おしむ様に男の黒い指が俺の頬に残る傷跡に触れる。
「そうか。君はまだ、自分の価値に気付いてないのだね」
冷たい指が優しく頬を撫で下ろすのを息を止めながら受け入れる。
身動き一つしない出来ないのを見越したのか、指を滑らせると俺の赤い髪を絡め捕る。
「なら俺も、君の“美しい”髪に絆された事にしてあげよう」
その仕種はゾッとするほど、死神に―――――ブロッケンマンにソックリだった。
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