|
冬には珍しく青い空が久々に古い街並に明るい陽射しを振り撒いていた。だが風は冷たく、道
を行き交う人達は肩をすくめ、コートの襟元を掻き合わせている。その人込みに紛れ込むかの ように歩く大柄な男がふたり、どことなく楽し気に歩いていた。一目で超人と解る見事な体格を していたが服装は普段身にまとっているバトルコスチュームを身にしてはいなかった。ひとりは 明るいベージュのトレンチコートを羽織り、肩を並べるようにしていながら僅かに半歩遅れて歩 いている男は膝下まである黒のロングコートを着ていた。
先を行く男は冬の陽射しを受けて、サファイヤ・ブルーに輝くマスクに素顔を隠している。
だが、そのマスクこそが彼の名声の証でもあった。
後を行く男もまたクリムゾン・レッドの仮面によって、表情を容易に読み取る事は出来ない。
そして、その仮面によって彼の存在は絶対になった。
彼らの姿には、かつては存在していた険しさは一切見る事はない。長い間に積み重ねてきた
互いの想いと信頼が作り上げた空間がそこにあるのみだった。時折り吹き付る冷たい風が歩 道の枯れ葉を巻き上げては彼らに投げつけてきたが気にも止めない。言葉もなく、ただ足を進 め、町並みをそぞろ歩くだけで互いの心は満たさていた。
「どうした―――寒いのか?」
僅かに後ろを歩く男は、前を歩く彼がポケットの中で少しだけ手を握った動きに気付く。
「いくら天気が良いとはいえ、流石に真冬だな」
自分でも無意識で動かしていた。それなのに、この男には何でも判ってしまうのだろう。
「俺もそう、思っていた」
男はコートから手を出し、歩いていた歩道から脇に逸れたところに見える建物を指差した。
「ちょっと寄って行くか?」
マスクの下の目が笑いかけてきた。男から温室への招待は、魅力的な提案だった。
硝子張りの天井から降り注がれる陽光に、室内は目も眩むほどの明るさだった。ふたりとも身
に巻きつけていたコートを脱ぎ、微かに空気中に漂う甘い香りを胸に吸い込む。外界から遮断 された室内は初春のように暖かくて、そして静かだった。
「よく来るのか、ここには?」
トレンチコートを腕に掛け、かじかんだ指先に温もりが戻ってくるのを感じながら聞く。
「いいや、初めてだ」
同じように黒いコートを片手に持ちながら答え返してきた。考えてみれば、この場所に彼のよう
な超人が今いるだけでも珍しい事だろう。それ以上の言葉を交わす事なく、ふたりはゆっくりと した足取りで歩き始めた。硝子張りの楽園の中で、時間さえも見失ってしまいそうだ。周りには 見上げる高さの木々が生い茂り、艶やかな緑の葉を広げている。遠く聞こえる鳥の鳴き声が 天井に響き、それに呼応するように別の鳥が歌い応える。
「呼ばれているんじゃないのか?」
横を歩く男は、鳥の声がした方を視線で指し示す。
「あれは“私”の仲間の歌じゃないが…折角だ、行ってみようか」
彼らのさえずりに誘われるまま、その姿を求めて足を進めた。
姿の見えない鳥を求めて、右に左に幾つかの分かれ道を曲がる。歌声を追いかけている内に
子供の頃にイースターエッグを探し回った時の事を何故か思い出した。あの時は1つでも多く の卵を探しだそうと躍起になっていた。そして大人になって未だに鳥を追いかけている自分が 何だか可笑しかった。
「俺と一緒が、そんなに嬉しいか?」
男の声に我に返る。いつの間にか、どちらともなく寄り添い歩いていた為、男の声の近さに思
わず驚いた。すぐ横に立ち、自分を見下ろす男の顔をマスク越しに見上げる。逆光の中で男 の金髪は白く光り輝き、仮面から覗く褐色の瞳には男に囚われた駒鳥が映し出されている。
「つまらない事を聞くな」
胸の動揺をこれ以上悟られないように、少し早足に角を曲がった。その途端、溢れんばかりの
薔薇の洪水が彼の視界を遮った。
コーラル、バーミリオン、スカーレット、ルビー、クリムゾン、マゼンダ―――
おおよそ色彩で表現しうる、無限と呼ぶに近い赤が彼を取り巻いた。蕾のものや惜しげもなく
満開にその姿をさらけ出すもの、恥じらいながらその身を緩めるもの、既に花を散らしたもの 様々な姿の薔薇が入り乱れていた。
「これは、見事だな」
彼を追いかけてきた男も、妖しささえ漂わす景色に言葉を無くし、薔薇の世界を眺めた。ふたり
とも咲き乱れる花々から目を放す事が出来なかった。硝子に護られた、この世のものとは思え ぬ世界は超人でさえも魅了した。そして赤い空間を形成する無数の花達から立ち上る香りは、 まるで媚薬を思わせる。鳥達の歌声がなければ時間さえも感じる事を忘れてしまっただろう。 薔薇の呪縛から開放されたのは男のほうだった。ゆっくりと静かに身震いをひとつし、目の前 で誇らしげに咲いている、深い血を思わせる薔薇の妖艶な香りをその厚い胸に吸い込んだ。
「―――まるでワインを飲んでるようだ」
男は仮面の下でうっとりとその香りに心を蕩けさせた。そして節立った太い指で器用に花芯を
1枚、摘み取ると薔薇を手放し男を見つめる彼に顔を向けた。
「マスクのままじゃ、香りは判らないだろう?」
男の指先に現れた鮮やかな赤に目を奪われてはいたが、その後に続くであろう言葉は言われ
るまでもなく、彼にはわかっていた。視線に促されるように自らサファイヤ・ブルーのマスクの留 め金を外した。中から隠されていた、柔らかい亜麻色の髪が額に落ちたが、男は優しくその髪 をすくい上げると指先を彼の品の良い鼻梁に近づけた。差し出された、ただ一片の薔薇の骸。 だが血の色をした花弁が解き放つ、有り余る芳醇な香りに眩暈を憶えた。揺さぶられる心地よ い陶酔に思わず笑むと、男はその笑顔に応える様に花弁を唇にそっと押し当てた。
「どうだ?」
薔薇の欠片越しに、男の指は彼の形の良い薄い唇を焦らすように撫でる。触れる指先は熱く、
甘美な痺れが彼の全身を貫いた。
Ring-a-ring'o roses,
A pocket Full of posies,
A-tishoo! A-tishoo!
We all fall down
|