1941/05/28 14:20


「ブロッケン准尉、大隊より電信が入っております」
彼の住まいと化した偵察車の戸を開け、通信兵のひとりが顔を覗かせて言った。
ここ数日の戦闘で溜まっていた報告書をめくる手を休めて通信兵を見上げたブロッケンの
顔には、また一段と疲労の色が濃い影となって現れていた。
「読んでくれ」
咥えていた煙草を投げ捨てると砂で薄汚れた靴の爪先で揉み消す。
「はい…“此より貴下の部隊をハルファヤ峠防護中の第104狙撃兵連隊の中隊との合流
 ならびに同中隊の後方支援を要請する”、との事です」
目を真赤に充血させた兵士の伝えるその内容に、思わず舌打ちをした。
「難しい事を簡単に命令してくるなぁ。おい、ウチの部隊の補給の状況はどうなっている」
すぐ横に座っていた軍曹がブロッケンの代わりに聞いた。彼の顔も無精髭に包まれている。
「予定を大幅に遅れてます。正直に言えば一切合財全てが間に合っておりません」
道理で書類の数が少ない訳だ。舌打ちが溜め息に変わった。
消耗の激しい砂漠での戦いには手持ちの駒の数と使い方が勝敗を左右するのだ。
「現有兵力は使えるか?」
「そうですね、まともに動ける者を掻き集めれても1個小隊が程度ですかね」
軍曹は首を左右に振ると肩をすくめる。
「無いよりマシか。―――よし、今すぐに移動を開始するぞ」
膝の上に広げていた書類をひとまとめにすると、後部座席に投げ入れた。
「そんな、ご冗談でしょう?部下達はほとんど休んでないんですよ、せめて補給部隊の到着を
 待ってからにするべきです。全く、何を考えてるんですか?」
確かに真夜中にトミー達との思いがけない交戦で部隊は傷だらけにされたばかりだ。
だが、それでも―――
「仕方ないだろう、俺らは上からの命令に従うだけだ」
暗い車内で窮屈そうに大きく伸びをすると、強張った体の節々が小さな音を立てる。
そして新しい煙草を口に咥えると、いま一度ハルファヤの岩山を脳裏に思い起こした。





偵察車から降りるとヘッドギアを脱ぎ取り、うっすらと積もった砂を叩き落としながら歩き出す。
昨日の交戦によってイギリス軍から取り戻した岩だらけの、この峠から
ジェイドの消息が途絶えて、既に13日が過ぎていた。
岩の割れ目に張った天蓋の下で兵士達がMG43を解体して内部に入り込んだ砂を
ボロボロになったタオルを使って拭き出していた。
また別の何人かは夜間偵察当番だったのだろう、奥の穴倉に頭を突っ込んで身体を丸めて
裸足をこちらに向けている。
「指揮官の姿が見当たらないな」
兵士達は各々の作業に没頭して、ブロッケンが脇を通り抜けても顔を上げる者はいなかった。
「ここに比べたら、我が部隊は随分と軽傷に見えますね」
後ろからついてきた軍曹が周りを見渡す。
仕方ない事だ。
苦笑いを浮かべ、もう少し自分で探してみようと思ったとき天蓋の向こう側から
上半身裸のままジェリ缶を運んでいた兵士がようやく自分に気付いてくれた。
「到着ご苦労様です」
敬礼をしようとするのを手で制して止めさせる。
「挨拶はいい。すまないが指揮官が見当らないようだが、何処に行けばいい?」
「少佐はミーティング中になります。代行で宜しければ、この峠を上りきった所にある
 高射砲の所に居るかと思います」
そう言うと岩の上を指差した。
「では先に代行殿に挨拶しておこう。軍曹、俺が戻るまで彼らを手伝ってやってくれ」
咥えたままの火のついてない煙草を兵士の口に捻りこむと急な岩場をよじ登る事に専念した。
見上げる先は、只でさえ荒涼とした場所なのに、イギリス軍との交戦によって新たに抉られた
岩肌が風景をさらに味気ないものにしていた。
舗装などと気の利いた物は無く、ワジに転がる大小様々の岩に手を架けながら頂きに登ると
88o高射砲が、降り注ぐ太陽の光と熱を一身に浴び、その圧倒的な破壊力を誇る砲身を
誇らしげにしながらも佇んでいた。
こうして間近で見ると、今更ながら我らが守護神の有り難さを思い知らされる。
「増援部隊か?良かった、ようやくこれで飯が喰えるぞ」
88の影になって見えなかったがそこで整備をしていた何人かの兵士が立ち上がりながら
こちらに笑いかけてきた。だが、彼らを蝕む疲労はその笑い声を奪っていた。
「到着早々のところで済まないが、少しばかり人手を貸してくれないか?
 こいつの台座が岩盤に食い込んで動かせなくなってしまってるんだ」
集まってきた兵士達の中でもずば抜けて体格の良い、色褪せた少尉章を付けた男が言う。
一兵士達に混じりながらも顔を覆うマスクは異様であり、彼が超人である証そのものだった。
「俺の手を貸すぐらい、お安い御用ですよ」
上着を脱ぎ、腕まくりをしながら88の台座に目をやる。
なる程、地面を走る大地の割れ目はさほど幅はないが、それだけに嵌まり込んだ台座に
ガッチリと食らい付き、ちょっとやそっとでは動かせそうになさそうに見えた。
「手を貸してくれと言ったが、いくら何でもひとりじゃ無理だ。もう何人か呼ばないと」
片膝をついて台座の端に手をかけていると、俺を見下ろしながら少尉が言ってきた。
まぁ、予想していた通りの言葉だ。
彼の恵まれた肉体に比べれば、俺の身体は人間と大差なく見えるだろう。
「安心してくれ、別に暑さで頭はやられちゃいない。こう見えても、一応超人なんでね」
「…それは失礼をした。それじゃ、さっさと片付けてしまおう。
 他の者は離れてくれ、私と彼で充分だろう。君達は足場の確認を頼む」
少尉は元々居た88の反対側に回り込むと、俺と同じように台座の下に手を差し込んだ。
「持ち上がったら、正面3時の方向に砲塔が向くように回ってくれ」
「了解した」
2度、3度と細かく手の位置を調整する。
「いいか?持ち上げるぞ―――3、2、1ッ!」
掛け声とともに落とした腰から一気に立ち上がると、急激な荷重に両腕の筋肉が震えた。
台座に掛けた指先を真っ白に変えながら互いに摺り足で体の向きを変えていく。
ゆっくりと砲塔が右に動いていくのを、ポカンと口を開けたままで兵士達が見守っている。
「足場に余計なものはないか?」
「は、はい―――えぇ、異常はありません」
彼らにとって信じがたい光景を見守っていた兵の一人が答えた。
「よし…それじゃ、ゆっくり下ろすぞ」
慎重に車輪の位置を確認しながら、88を再び岩場に座らせた。
久しぶりの力仕事に指先に軽く痺れが残ったが、その感覚は気持ち良いものだった。
「本当に助かった、心から礼を言うよ」
反対側で支えていた少尉が手に付いた砂を払いながら、こちらに近付いてきた。
「この程度の力仕事で良ければいくらでもお手伝いさせて貰いますよ。
 それより、こちらに代行が居られると聞いたんだが間違いでなければ貴公で宜しいかな?」
膝に付いた埃を叩き落とし、立ち上がりながら彼の表情を伺い見た。
「あぁ、挨拶が遅れてしまって申し訳ない。私は第104狙撃兵連隊1大隊第1中隊付きの
 アタルだ。宜しければ貴方のお名前を教えていただけるかな」
そう言いながら手を差し出す、マスクの下の素顔を読み取る事は出来なかった。
「第15オートバイ狙撃兵第1大隊第1中隊所属、ブロッケンです」
俺が名乗り上げると、僅かばかり彼の目に、驚きの色が湧き上がった。
「貴方が…初めてお目に掛かるかな?お父上とは何度かお会いした事はあるのですが」
差し出されたままになっていた手を取り、握手を交わした。
「私も父からはお名前を伺っておりましたが、お会いするのは初めてです」
そう言いながら、彼の手の大きさに少しばかり驚いた。
「では、今日の出会いに感謝して、お嫌いでなければコーヒーでも如何ですか?」
手を離す事なく滑らかに紡がれた口説き言葉に、俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。



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