1938/07/12 15:00


「ふたりとも得物を収めてくれ。今日のゲームは終了だ」
視線を動かさずとも声の主が誰であるのか、言われなくとも判っていた。
「この状況で手を引けというからには、それなりの理由があるんだろうな…」
声のした方に向かって、滴り落ちる血で奇妙な模様を顔に描いたバッファローマンが聞く。
立ち枯れの麦穂を避けながら、ウォーズマンはゆっくりとふたりの間を遮ると
べアクローを拾い上げ、確かめるようにしながら左手に装着しながら言葉を繋いだ。
「その坊やの部隊そのものが囮だったんだよ。お前をここに足止めするためのな」
ジャケットを開き、懐から磨き上げられたルガーを取り出すと足元に置いた。
「ナショナリストの連中にバリゲートが突破された、中隊もお前を残してほぼ壊滅状態だ」
その一言に、バッファローマンの頬が引き攣った。
「残りの連中はどうした!?」
「決まってるだろう、すでに撤退命令は出してきた。後はお前を連れて行くだけだ」
ウォーズマンは鷹揚の無い声で告げ、ブロッケンマンの方に顔を向けた。
「スペインに来ているとの噂は聞いておりました」
僅かに伏せ目がちにしながら、それでも充分に敬意を表した態度で話し出す。
「私の回りのお喋り鳥達も、たまさかには真実を謳うという事を認めるしかなさそうだな」
口角を僅かに引き上げて笑顔らしくみえる表情を浮かべながら、ブロッケンマンの右手に
宿っていた青白い揺らめきは剣と化し、バッファローマンの胸を刺した。
「目の前に私が立っているというのに気を抜くとは、こいつは稀に見る間抜けな男だな」
体温のぬくもりを抱えた湯気と血が背を突き抜けてブロッケンマンの指先に絡みついていた。
「それにしても元気そうで安心したよ。間違って無能な将校共に廃棄されてやしないかと
 私なりに心配していたのだからね。ともかく変わりがなさそうで良かったよ」
バッファローマンに声を上げる余裕を与えず、肉の挽き切る音を立てながら右手を抜いた。
「さぁ、私の気が変わらない内に、その下品な男を連れて行ってしまってくれ」
手を払って血の滴を大地に滲み込ませると、その手でバッファローマンの胸を押した。
大した力では無かったが不意に押された為に後ずさりした格好で踏み止まった。
幾らかの間が、再び対峙させる舞台を作り出しかけていた。
「…口先で上手いこと言って、本当は丸めた尻尾を抱えて逃げるつもりだろう?」
胸と口から血を流しながらブロッケンマンに向けてロングホーンの体勢を取ろうとしたが
ウォーズマンが二人の間に入り込み、全身の力でもってバッファローマンを押し留めた。
「いい加減にしろ!決着は次の機会にして、今は俺と一緒に行くんだ!」
彼らしくもない荒げた声を出してはいたが、身体に触れている腕は僅かに震えていた。
「放せ、この俺が放せって言ってんだよっ!てめぇはどっちの味方のつもりだ!?」
憎悪の矛先が目の前の死神から、胸にしがみつく漆黒の戦鬼に向けられる。
「お前は個人の感情で大局が見えなくなってる。お前が戻らなければ、国際旅団の連中も
 テルエルの時のように、また無駄死にさせる事になる。それでも構わないと言うのか!」
その言葉が昂ぶっていたバッファローマンの感情に理性が入り込む瞬間を与えた。
「今は少しでも時間が惜しいんだ、判ってくれ」
胸に押し付けられたマスクの下から擦れた声が呟いた。その声色は彼とは思えぬほど
弱々しく、声が耳朶に沁みる前に胸中にたぎっていた憤怒はたちまちの内に霧散させた。
「―――ブロッケンマン、面白くはねぇが借りを作らせてもらうぜ」
怒りとも憎悪ともつかない表情を浮かべたまま、ウォーズマンの腕を取ると街道の彼方に
向けて駆けていった。その後姿はさながら小さな暴風とでもいうかの如く、荒々しかった。
「借りだと?全く、自惚れとプライドの強い愚か者は、おかしな事をいうな」 
追いかけもせず、ふたりの姿が完全に見えなくなるまで見送ると、無造作に置かれたルガーを
拾い上げて陽光にかざしてみた。銃身は一片の曇りもなく磨き上げられていた。
そのまま銃口を空に向けて引き金を引いた。トグルが心地よい金属音を立て、吐き出された
銃弾は空気を切り裂き、音を立てて空に飲み込まれていった。
「大事にしていてくれたようだな、大変結構」
白い硝煙を吐き出しているルガーに満足そうに目を細めてホルダーに仕舞い収めると
ブロッケンマンは枯れ草の上に横たわるマルスだったモノの脇に歩み寄り、片膝をついた。
その胸元は日差しに晒され、傷口のまわりに何匹かハエが止まっていたのを追い払うと
生気の抜けた白い顔を見下ろし、僅かに生命の残滓を確かめた。
すぐにでも消えて仕舞いかねない弱々しい心臓の鼓動ではあったが、未だ生きる事を
諦められず“生”にしがみ付こうとしている本能に、胸が痛くなるほどの感動を覚えた。
死の足音を聞いていながらも生き伸びる為に足掻く姿に思わず頬を緩ませずには
居られなかった。肉体は死の淵に沈み、魂も失われつつあるマルスに優しく微笑みかけると
ブロッケンマンは自らの左胸に右手を添えると軍服を裂きながら手を胸に差し込んだ。
そして眉一つ曇らせる事なく、そのままグニュリと音を立てながら抜き出した手の上では
暖かい肉塊が脈打ち、血を滴らせていた。
「さぁ、お昼寝の時間は終わりだ」
ゾッとするほど優しい声マルスの耳元に囁くと、彼の開いた胸に赤黒く濡れた肉を押し込んだ。
胸筋はブロッケンマンの肉塊を受け入れを拒んだが、生存を望む肉体は躊躇いを見せずに
湯気を上げる臓器を易々と飲み込んだ。
未開の地で行われる異様な儀式にも似た“超人パワー”を抽入されたマルスの身体は
引き付けを起こしかけはしたが、直ぐに白かった顔に血の気が巡り、頬に赤みが戻る。
口から漏らしていた血の混ざったヨダレも、見る間に収まっていった。
「君みたいに使い勝手のよい子はなかなかいないんでね、間に合って良かったよ」
青い瞳を細めて、見る者を不安にさせる笑顔を作ったかと思うと、両手でマルスを抱き上げ
焦げた臭いの漂う、立ち枯れの麦畑をバッファローマン達が消えていった方向に背を向けて
静かに掻き分けていった。


戻る
戻る