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フォークを手にしたまま、こっちの気が滅入る程の盛大な溜息をジェイドが吐いた。
「…シュパーゲルが食いたい」
半分泣きそうな顔になりながら俺が用意した食事に口を付けようとしない。
「だから、お前がうるさいから買ってきてやったんじゃないか」
毎日カレンダーを見つめて、アスパラガスが食べられなかったらどうしようと言っていたから
俺としてはジェイドを喜ばしてやろうと朝も早くから築地まで足を延ばして、今日の昼食は
お待ちかねのご馳走に嬉々として平らげるだろうと思っていた訳だ。
が、予想に反して目の前のテーブルに並べた、熱々に茹で上げた白アスパラガスと、こんがり
ローストしたグリーンアスパラガスが山の様になっているというのに、当のジェイドは一向に
食を進ませる気配は現れず、料理の湯気はだんだんと勢いをなくしている。
「俺はベーリッツ産のが食いたいんだよ、スカー」
「無茶言うな、ここは日本なんだぞ」
バターソースが冷めてドロリとしてきたのを白アスパラガスですくいながら口に運ぶ。
甘味が強く、柔らかい歯ごたえに俺は充分旨いと思うし、食べてから文句は言ってもらいたい。
「冷えちまったら味が落ちるぞ」
「わかってる」
そう言うと、ようやく取り分けた白アスパラガスをナイフで二つに切って穂先を口にした。
ゆっくりと味を確かめるように口を動かしている。
「ちゃんと白アスパラガスの味がするだろ?」
ローストしたグリーンアスパラガスに付け合せのポーチドエッグを絡めて口に放り込む。
季節の野菜だけあって甘味も鮮度も申し分ない。俺から見れば合格点だ。
それなのにコイツの食べ方ときたら、牧場の牛だってもっと美味そうに草を食うだろう。
もっとも、ジェイドだって俺の機嫌が悪くなるのを承知でモサモサと咀嚼してるんじゃないのは
充分承知している。これはただのわがままなのだ。簡単に手に入らないモノを欲しいと言って
俺を困らせているだけだ。
「食いたくなきゃ、無理して食わなくてもいいぞ」
いちいちナイフで切るのも煩わしくなってきた。フォークでまとめて突き刺し、齧り付いた。
「食いたい、食いたくないじゃないんだ。わざわざ料理をしてくれたのだって感謝してる」
上目使いで俺の様子を伺いながら皿の上の白アスパラガスを小さく切り分けながらも
バターソースの中でぐるぐると遊ばせるだけで口に運びはしない。
「スカーだって、あのシュパーゲルを食べれば、俺の言ってる事がわかるよ」
小指ぐらいの大きさに切り刻まれた白アスパラガスをひとつ、時間をかけて口に押し入れると
ため息混じりに嚥下する姿に、流石に心優しい俺も苛立しさを感じるに至った。
「あのなぁ、文句垂れるのもいい加減にしろよ。確かにお前に頼まれてた訳じゃないし
俺が勝手に用意しただけの事だとしても、食事の時は心豊かに飯を食いたいんだよ。
それなのにお前ときたら、目の前でいつまでもグダグダ文句垂れながら食いやがって
見てる俺の飯まで不味く感じるだろう」
かなり大人気のない言い方ではあったが、こればっかりは本心なのだから仕方あるまい。
グラスのワインをひと息で半分ほど飲み流すとガツンッと音を立ててテーブルに置いた。
「いや、俺は何もそんなつもりじゃなくって本当に、その、」
こいつにしては珍しい、曖昧な返事と仕草が余計に俺の気に障る。
「だったら、どんなつもりで食べたくないっていってんだ?」
もう白アスパラガスだろうがグリーンアスパラガスだろうが構わず口に押し込んだ。
「スカー…悪い、なんかこれ以上食えそうにない。悪いけど、ちょっと横になる」
口をモゴモゴさせて肩をすぼめて、ジェイドは持っていたフォークをテーブルに置くと、いかにも
ダルそうに椅子から腰を上げると俺の返事を待たずにベットルームに篭ってしまった。
ドアノブの金属音が小さいながらもダイニングまで響いた。
取り残された俺は、同じように残された冷えたアスパラガスをマシーンのように口に運んだ。
奥歯でキシュキシュッと音を立てて食べても、もはや美味く感じることもなくなってしまった。
あの大喰らいが数口で満腹するわけが有り得ない。だが思い返せば、最近ジェイドの様子が
いくらかおかしかったような気がする。生真面目だけが取り柄のクセにボンヤリとしていたり
塞ぎ込んでベットから起きたがらなかったりと、冷静に考えれば異変は幾らでも見つかった。
アスパラガスの最後の一口をワインで流し込んでからジェイドのベットルームのドアを開いた。
案の定、ベットの上でシーツに包まったジェイドがこっちに顔を向けた。
「本当に調子が悪いんだ」
横になったままで枕に顔を埋めながらボソボソ喋るのも、コイツらしくない。
「いつからだ?」
「ハッキリしない。熱もないし、どっかが痛む訳でもないし」
情けなさそうな顔をすると寝返りを打った。その拍子に枕元に積み重ねられた本が音を立てて
床に落ちた。何冊かページを開いた格好で散らばったが、どれも写真集のようだ。似たような
町の景色の本だったが、お陰でジェイドのご機嫌斜めの理由が容易に予想が付いた。
「よし―――いいかジェイド?俺は牛にチョッとばかり話しをしてくるから、俺が戻ってくるまでに
お前はテーブルとキッチンをキレイにして歯ブラシと着替えを用意しておけよ」
ベットの上から呆けた顔で、俺の言った言葉の意味を考えてる。
「お前の病気の特効薬の準備に行ってやるって言ってんだ。さっさと起きろ」
散らばったままの本をまとめて部屋の端に追いやってから、ジェイドのシーツを剥ぎ取った。
「病気?特効薬!?」
「病気も病気、それも今すぐ治療しないといけない程の重病だ」
重病のひと言にジェイドの顔から血の気が引いた。普段のコイツなら俺の言葉など聞く訳
ないし、ましてや医者でもないのに病気だと言って素直に聞くとは、相当悪くなってるようだ。
まぁもっとも、ジェイドの病気は“ホームシック”だと俺は思ってる、それも重度の。
アスパラガスなんて、ただのきっかけに過ぎない。
「いいか?俺が戻ってくるまで絶対に用意しとけよ」
まったく、こいつを喜ばせるのは何とも骨の折れる事ばっかりだ。何としてもドイツ行きの
最終便に間に合わせてやろう。湿り気のないベルリンの空気が、今のジェイドの特効薬だ。
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