「K2_2009登山隊日記」:H21.8.1〜27 |
■8月1日〜6日(アタック体制へ:BC〜C1〜C2〜C3〜C4「8月4日:C4で撤退決定」)
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【8月2日(日) 保坂隊長報告】
8月1日(土)「アタック隊員の見送り:BC〜C1」
●BCでアタック隊員4名(遠藤隊員、西川隊員、児玉隊員、小谷部隊員)を見送りました
>小林隊員の動向は、スカルドのコンコルデアモーテルで、ニッパの社員と平出ICI社員(東海大OB)と共に
イスラマバード行きのフライト待ちです(胸の痛みも取れ、食欲も出てきたとのことです)
(この件はまずは安心で、BCにて全員胸をなでおろしたところです)
8月2日(日)「アタック隊員:C1〜C2へ」
●アタック隊はC1に1泊し、C2にPM3:30到着
>アタック隊の児玉隊員は体調不良にて、前線から離れてBCに下山中となりました
(児玉隊員の離脱は、今まで頑張って来たゆえに大変残念です)
>今後の予定は3名(遠藤隊員、西川隊員、小谷部隊員)でC3に入り、これを2人のハイポーターがサポート
(アタックまでの好天を祈るのみで、山頂の風、霧のないことを祈念しております)
>BC付近は氷河の上ですので、高山植物も何もありませんが、側壁にはそれなりに植物があり、ビックリです
アズマギク、マンテマ、エーデルワイス、弁慶草、都忘れ、仏の座の高山タイプ、雪蓮、深山アマナ?等々
(高度障害で名前を忘れてしまいましたがいっぱいあります:K2の花々と題し、写真集など考えています)
>今は隊長としての隊務に専念しており、無事の帰国まで最大努力(BC隊員は元気に過ごしております)
【今後(アタック)の予定】
8月3日「月」:C2(6800m)→C3(7380m)
8月4日「火」:C3(7380m)→C4(7900m付近に建設予定)
8月4日「火」夜〜8月5日「水」:C4(7900m付近)→5日AMに登頂(8611m)予定→帰路(C3またはC2泊)
8月6日「木」:BC(5080m)帰着予定
【8月2(日) BCからのK2および荷下げ作業の様子】
【BCよりK2を望む】 |
【BCでの荷下げ作業の様子】 |
※いよいよ、アタックへ向けての最終段階です(吉報をお待ち下さい!!)
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【8月3日(月) 日パ トラベル:大住さんからの報告】
8月3日 (月)「小林隊員がイスラマバードに到着」
●8月1日、ヘリコプターでスカルドまで搬送された小林隊員は、3日の便でスカルドからイスラマバードに戻りました
>フライトが、4時間ほど遅れたので、今日は、このままホテルに入って、明日4日に、田中さんが入院された病院へ行って、
検査入院の予定です
>具合が良ければ、数日入院後、登山隊の帰りを待つこともあるかもしれませんが、検査結果次第では、退院後、即帰国
になるかもしれません。(全ては、検査後ということになりますが、見た目も食欲もあり、とてもお元気です)
>8月4日に田中隊員が入院した病院へ検査入院(4日間ほど入院予定)
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【8月4日(火) 18:00 保坂隊長報告(衛星携帯)】
8月4日(火)「PM5:30(現地PM1:30)C3からC4へ到着」
●アタック隊は現地時間のPM1:30にC4(7900m)に到着し、今夜からのアタックに備えています
>アタック隊は3名(遠藤隊員、西川隊員、小谷部隊員)+ハイポーター1名の計4名です
>他隊は本日アタックを試みましたが、ボトルネックで苦戦し、全員登頂を断念しております
>明日の午後から天候が悪化する予報ですが、現地時間の本日PM8:00からアタックに向けC4を出発予定です
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【8月4日(火) 23:45 保坂隊長報告(メール)】
8月4日(火)「登頂断念でC4からC3まで下山し退避中」−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【8月6日(木) 保坂隊長報告(メール)】
8月5日 (水) 「アタック隊全員、BCに無事下山」
●アタック隊員全員がPM7:30までに全員はBCに帰着
>C2より荷降ろしをしながら、BCにハイポータのファズルアリが昼過ぎに帰着し、まずは安心しました
(元気か?の問いに「Maybe:そうかもしれない?」 との答えでしたが、食欲もあり、夕刻まで睡眠)
>アタック隊員は8000mラインのジェットストリームにも捕まらずに、C3より自分の個装を担いで無事下山(PM7:30)
>やるだけやったの充足感がみなぎっての顔がありました
>ご苦労さんと声がけに、笑顔が返ってきました(無事で本当に良かった!)
>BCでは無事帰還の祝いとして、BCでは高価なコーラ3Lとウイスキーで乾杯し、うなぎの寿司と山羊の頭のスープで
遠征隊のBCでの「ファイナルパーティ」といたしました。
>各自よりスピーチをしていただき、酒宴は続きました(出発から2ヶ月間、酒を断っていました:禁酒法の国で酒は御法度です)
【BCでの苦労話を、、、】
■BCではスラーヤという衛星携帯で直接話すか、パソコンでメールにて情報を伝達しておりますが、1分間1ドルで、パソコン
での送受信データが重い(多い)と30分以上かかります。途中電波情況が悪いと切れるのでもう一度やり直しです
プリペードカードの残金はなくなると、購入依頼メールでナンバーを貰い、リセットして不足分は対応いたしておりました
■電源はホンダのジェネレーター2台で対応しましたが、粗悪ガソリンで直ぐにつまってしまい、メンテナンスが大変でした
田中隊員離脱後は、近隣の国際隊の技師(コック)の指導で、何とか2ヶ月間乗り切りました
粗悪ガソリンは、大友隊員が綿布とマスクで、数度ろ過して乗り切りました
日本と同じ色のガソリンの色素が沈殿して真っ黒ですが、ろ過後は無色透明状態になります
他の隊はソーラー対応のグループも有りますが、天候には左右されるので、電気を貰いに来る人もおりました
【8月4 日 (水) アタック隊:C3〜C4での写真】
【ブロードピークをバックに(遠藤隊員)】 |
【C4手前の氷化した雪壁を登る西川隊員】 |
【C4からK2ピークを望む】 |
【C4にて:右から小谷部,西川,遠藤隊員 とカザフスタン隊のハイポーター】 |
【今後の予定】
・本日6日は、レストとしテント干し、帰路キャラバンのリパック作業です(K2山頂の上空は強風域のようです)
・明日7日は、C1残置装備の回収(ハイポーターにお願い)
・8日はポーター手配の集結予定(45名を予定)
・9日に帰途に着き、14日にスカルド着予定です
「以後の予定は今の所、未定です」
【遠藤隊員からの報告】
■アタック隊を代表して、遠藤隊員からC3からアタック&撤退までの報告(原文)
8月4日:C3のテントの中で目を覚まし、アタックのため準備を進める。
食欲は無くせっかく作ったアルファー米ものどを通らない。
外は無風快晴。7380mのここではちょっと動くだけてけではぁーはぁーぜいぜいと息が苦しい。
酸素マスクをつけいよいよ出発だ。イメージとしては,ゆるい尾根を登って行く感じだったがスリップ
すればとまらない角度45度ぐらいの雪壁を登っていく。
空はますます青さを増し紺青となり,雪の白さとウェアーの原色とのコントラストが鮮やかだ。
酸素のおかげでここまでの苦しさがうそのように楽に登れる。
途中70度ぐらいの氷化した雪壁をザイルを頼りに登りきるとそこがC4(7900m)だった。
そこからはボトルネックが手のとどくところにあり山頂もはっきりと見えた。
しかも国際隊がまさに山頂に向けてアタック中だった。
今まで本や映画だけの世界が目の前にある。
やっとここまで来たとの感激で一杯だった。
登るルートを目の前にしながら興奮して景色に見入っていた。
ここに立てるのは限られた人間だけだ。
自然に涙があふれてきて,応援してくれた人たちや,ベースキャンプにいる仲間たち,そしてスタッフたちに
感謝の気持ちで一杯だった。
8月6日 アタック隊代表 遠藤博隆(記)
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※アタック隊員はじめ、隊員の皆様、大変ご苦労様です。全員BCに無事下山でき一安心ですが、日本に帰国し、
自宅に帰るまで気を抜かないで行動願います。(事務局より 8月6日 24:00)
【NHKでK2登頂断念のニュース放映&新聞記事掲載】
8月5日 (水):NHK(福島版)のお昼(12:15〜)と夕方(18:40〜)に放映されました。
8月6日 (木):「福島民友」と「読売新聞(福島版)」にも登頂断念の記事が掲載されました。
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【8月8日(土) 日パ トラベル:大住さんからの報告】
8月7日(金)「小林隊員が退院」
●小林隊員は、一過性の高山病の症状だったようす(イスラマバードでは何の問題もありませんでした)
8月8日(土)「小林隊員がイスラマバードからカトマンドゥへ向け出発」
●ちょうど、本日、カトマンドゥ(ネパール)行きの便が取れましたので、いま、空港へ向かっており、8日午後には、カトマンドゥに到着予定
(カトマンドゥから日本への帰国は、決まっていないようです)
※登山隊もいよいよ下山、スカルド到着までは気が抜けませんが、みんな元気そうです!!
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【8月9日(日) 保坂隊長報告】
8月9日(日)「10日 AM7:00 いよいよBCから帰途へ」
●8月9日、ポーター11名、馬14頭が集結し明日の出発準備完了
>5日に電話でポーター45名を手配し、当初9日出発予定がやはり手配が1日遅れとなりました
>いよいよBCより、ゴレU泊〜ウルドカス泊〜パイユ泊〜ジョラ泊〜アスコーレ(ジープにて)スカルド泊が
帰路のキャラバンです(スカルドには15日到着予定)
>BC周辺で清掃活動を行いました(他隊ポーターが廃棄した食料が多く、雪中のビバークのマット代わりの装備あり)
>我隊でイスラマに降ろす装備(ロープ類と酸素、アイスハーケン、スノーバー)15個、食料等が5個、キッチン装備が8個、
隊員の個装が12個で、現地スタッフの装備が5個という計算で合計45個です
>雪の中、7日にC1より最後の装備を下ろし、待機の日々です(手配のローカルポーターを待つばかりです)
>BCからは、国際隊、スペイン隊のDr夫婦、中国ウルムチ楊さん、韓国の両手指のない金さんとシェルパ3名、ドイツの
ラルフ、ガリンダ夫妻、国際隊アメリカ、カナダ、スイス、アメリカスキー隊、エクアドルの夫婦にまたトライしようと挨拶して
帰って行きました(帰路はゴンドコロラ経由が半分のようです)
>今期どこの隊も登頂できませんでしたが、エベレストに9回登頂したアメリカ人は、悲壮感はなく笑って帰って行きました
>カザフ隊は5度目とのことで、BCの残りは我隊とカザフ隊のみです
【気象情報について】
・今回の遠征にあたり、気象予報は猪熊さんに気象情報(3日予報と5日予報の2種類)をメールで送っていただきました
・BCより天候、風向き、風力、雲量、気温、上部の状態等を小野寺副隊長、井筒隊員が毎日猪熊さんにメールし、両者の
連係プレーが的確な予報に繋がったと思っております
・K2登頂作戦を立てるのに、予報契約は絶対に必要な事項であり、今回始めて利用させていただきました
・ジェットストリームの到来を予測していただき、無事の下山を果たすことができました
・5日を境にK2の天候はがらりと変わり、強風が吹き荒れ、秋の到来と今期の登山の終了を伝えているかのようでした
(これは国際隊各国の欧州の気象予報と同じ情報であり、BCに居る国際隊と一致協力体制が出来上がった瞬間でした)
・荷上げの遅れと、5日も当初良好との情報で1日遅れのアタック出発を余儀なくされたのは、悔やまれる事柄ですが全隊
がボトルネックの上で阻止されるほどの深雪で、そのまま突っ込む事は自殺行為と判断できました
・隊長判断を誤らず安全に幕引きが出来た事、有難く思っております
【保坂隊長から一言】
K2への2ヶ月半にわたる登攀は人生で最も充実した時間でした
毎日のクライミングが必死で61歳の自分が世界で一番難しいK2に向かってトライしている感覚を楽しませていただきました
1呼吸、1呼吸が未知の世界であり、岩と氷、雪の技術が青春を蘇らせてくれました
C1まで来れた。C2まで来れた。C3近くまで来れた。7300m到達。
後はアタック体制が出来た事を確認して、BCで指揮を執る事に躊躇なく専念できました
自分にとってチョモ、K2、カンチェのワン、ツー、スリーは大きな夢であったが、3年に渡る計画の最後はやはり、安全登山で
あり、隊長としての責務であります(BCを離れるにあたり悔いはありません 8月9日 記:保坂)
※登山隊は、いよいよ明日10日の朝にBCを後にします。全員元気です!!
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【8月16日(日) 保坂隊長報告】
8月15日(土)「15日 PM2:00 無事スカルドへ帰って来ました!」
【キャラバンの様子】
>8月10日:キャラバンはコンコルデアで馬が氷河の流れの増水で渡れず1泊を余儀なくされました
>8月11日:ウルドカスまでは、長くきついものがありました(ウルドカス泊)
ウルドカスの上部にはゴラ(馬の泊まり場)があり、高山植物が目を楽しませてくれました
エーデルワイス、ツルニンジン、黄色いケシ、背の低いヤナギラン、伊吹ジャコウソウ、白山フウロ、高嶺バラ等、
日本と同じ高山植物が見られます(ビックリです!)
>8月12日:バイユでは氷河より離れて土の上を歩き、降りるほどに暑く短パンの世界となり、高木の白楊樹(ヤマナラシ)が見られました
>8月13日;ジョラではガーネットなどの石が路上にあり、楽しませてくれました
>8月14日:アスコーレでは里に下りて久しぶりの鶏肉をいただきました(最後のキャラバンで全員頑張りました)
>8月15日:ジープ3台とトラック型ジープ2台で、食事なしでスカルドまで走り続けでした(PM2:00スカルド着)
また、LO(リエゾンオフィサー)がホテルで待っていました
>8月16日:隊荷(ロープ、EPIガス、スノーバー、)を処分し、隊費にしました(残りの装備は日本で処分予定)
【今後の予定等】
>「登山ステージ」より「移動〜残務処理ステージ」へ
・ポーター、スタッフのボーナスを支払いました
・16日に隊員8名とスタッフ5名、LO1名で計14名で、お別れ会を宿舎で開催予定です
(翌朝はもうお別れです。パキスタンスタッフ シュークリア 多謝!!)
・有志によるオープショナルツアーでフンザへ行くことになりました
(18日から、アリムサのガイドで7名(LO含む)がギルギット1泊、フンザ3泊の予定です)
・西川隊員、井筒隊員の2名は、最短での日本へ帰国を希望で、切符が取れ次第、21日頃帰国予定です
・フンザよりダイレクトにイスラマバードへ戻り、隊務処理後、帰国の途に着きます(8月28日昼?に成田着予定です)
※17日以降は、フンザに行くメンバーと早期帰国メンバーに分かれますが、8名全員元気です!!
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【8月23日(日) 小林隊員からの報告】
8月20日(木)「小林隊員がネパール経由で帰国」
8月21日(金)「西川隊員、井筒隊員がパキスタンから帰国」
※本隊の6名は28日(金)12:40成田着の便で帰国予定で、隊員家族と事務局がお出迎えします!!
(パキスタンのイスラマバードは前日27日の夜にフライト予定です)
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【8月24日(月) 保坂隊長報告】
8月23日(日)「イスラマバードへ無事帰って来ました!」
【ギルギット〜フンザ〜イスラマバード帰着の様子】
●8月18日〜22日:アリムサガイドで7名(LO含)で4泊5日(ギルギット1泊、フンザ3泊)の旅に出発
>ギルギットはチトラールへの玄関の町でスカルドより大きいとのことで、チャイナタウンもあり、バザールも賑わいを見せております
>フンザのカリマバードではミールの居城だった所と長谷川メモリアルスクールを訪問いたしました
>三菱コポレーションのカラチとイスラマの代表が訪問中であり、生徒による歓迎会に同席を請われ、歓迎を受けました
(楽器とかラジカセ、パソコンなど寄贈したとの事で、急遽、隊として手持ちのRsを寄付することになりました)
>ホテルは「フンザ エンバシー」でここからラカポシ、デュラン、スパンテークが見えます(マルピンディは山陰で見えませんでした)
>フンザは昔より酒がオープンな所で、最近は中国国境より近いこともあり、ビールが飲めます(価格は1本380〜500円位です)
>フンザパニなる飲み物があり、頂きましたが、ネパールのロキシーと言ったところです
>21日は国境のクンジュラブ峠には行かずフリーとしました
>私は長谷川恒夫氏のなくなった、ウルタル2峰のBCへ高山植物の撮影に行ってきました
カルカ(水場)になっており、牛の放牧場とキャンプサイト、上部にフンザピークとレデースフィンガーのキャンプサイトがあり、
ドイツより岩壁登攀隊8名のEXPが来ておりBCを訪問しました。
>地元の青年4名と交歓食事をし、帰路は氷河よりの長水路(チーネル又はデリバールといいます)を利用して短時間で降りてきました
(PM2時下山、インデージョーズの映画のような200mの断崖の道を無事帰ってきました)
●8月22日〜23日:チラスにて1泊し、23日に無事イスラマバード帰着
>フンザよりダイレクトにイスラマバードへ戻りますが、チラスにて1泊し、翌朝は5時食事で12時間のバス移動です
>イスラムのラマダンが23日から始まり、1ヶ月間、日中は飲み物、食べ物禁止です
(宗派により異なりイスマイリー派はOKとの事で、ノーザンエリアは正常に生活しています。)
>LOとドライバーは厳しい1日で、15時間何も口にせず走りっぱなしの1日でした
(隊員は口にするのも抵抗でしたが、皆食べていました:20時30分イスラマバード到着)
●8月24日〜:帰国に向けての後処理作業
>24日ヘリコプターのキットを返して、11時デブリーフイングで終了です
>隊務処理後、現地27日の夜、帰国の途に着きます(8月28日成田帰国予定)
※本隊の6名(保坂隊長、小野寺副隊長、大友隊員、遠藤隊員、児玉隊員、小谷部隊員)は全員元気です!!