・がんとの付き合い
私は平成2年9月13日の人間ドックで便潜血反応の陽性を指摘され注腸検査を受けた。11月9日に結果を聞きに行ったところ、明日必ずS病院に行くようにと院長宛の紹介状を渡された。これはがんかも知れないと予感した。
翌日、不安でダンマリとしてS病院に行った。持参したフィルムを診た院長先生は「すぐ手術をしましょう」と、即刻手術日を11月30日に決められた。がんとは云われなかったが、状況判断で察しがついた。自分では納得しているつもりでも、一方で否定する自分がおり、入院中に妻から、「横行結腸のがん」と知らされた時は、動揺を繕うのに困った。
その後肝臓への転移が見つかり、3年11月と、5年2月に肝臓の手術を受けた。がんへの付き合いは深まっていった。
通院中一番いやだったことは、検査の結果が判るまでの待ち時間。「早く知りたい。いや知りたくない。」心を苛む葛藤の時間であった。何時も何時も再発を心配しながら暮らしていた。お陰で三回目の手術から12年余が経過し、少し安心した気持ちで暮らしている。
平成9年初め新聞で電話相談の記事を見て、「自分にも出来るだろうか」と心配しながら受講してボランティアを始めた。が、私の方が癒されているところもあり、一人よがりの自己満足になっていないか。と反省するところが多い。 |
・死を憎まば生を愛せよ
「されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。」これは病床で読んだ、中野孝次『清貧の思想』の中にあった『徒然草』の一文である。 三回目の手術の後、「もう駄目かも知れない・・・」と死の恐怖に悶々としていた時、ふとめくった本の一頁に目に付いた。 「お前は死を怖がっているが、今までどう生きてきた。どれだけ真剣に生きたか・・・」と問われカウンターパンチを喰らわされた。
良寛は「死ぬる時節には死ぬがよく候」と云われたとか。この覚悟で生きれたら・・・。
とに角、クヨクヨしても始まらん。それ(死)までは刻々一生懸命生きよう。死の恐怖から逃れる道は他にない。と、少し気分が楽になった。 |
・生きている証
病後の生活は、一日々を大切にと、物事に拘らないように努めた。明日はないかも・・・と思えば腹を立ててもおれなかった。煩く云わなくなって、妻も喜んでいた。
現在はどうかと云えば、完全に元の木阿弥化している。死が遠ざかるにつれて「明日も生きているだろう。十日先も・・・」と思い。欲も出、腹も立て、夫婦喧嘩も復活した。このことを恩師の僧侶に話したら、「それが生きていることだよ」と喝を入れられた。病院で出会った人や職場の後輩たちががんのため彼岸の彼方に逝った。その人達のことを思うと、胸が苦しい。 「合掌」 |
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