珍しく誰も入ってこようとしないアジトでのオデッサの部屋で、急ぎの仕事も目を通すべき書類もなくなったフリックは、適当に本棚から本を取り出し、読み出した。
 手に取ったそれは良くある恋愛小説だった。オデッサが買ったものなのだろうか。
 つまらないことで喧嘩をして、小さな事で誤解を生み、嫉妬と悲しみに暮れていた二人が些細な切っ掛けで互いの心を知り、最後はハッピーエンド。
 なんとも平和な世界だと思い、知らず笑みが浮かぶ。
 自分には一生縁の無い世界だなと、思いながら。
 そのフリックの耳に、少々気落ちした感じのオデッサの声が飛び込んできた。
「・・・・・・・・・・・私は毀れた弓なのよ。」
 唐突に告げられた彼女の言葉に軽く首を傾げた。前後の繋がりが全く見えないので、言葉の意味が分からなくて。
「どこら辺が?」
 取りあえずそう問いかけてみると、それまでベットの上に俯せに寝転がっていたオデッサがゴロリと転がり、その身体を上向けた。だが、フリックに視線を寄越すことなく、ゆっくりと口を開く。
「私には矢を放つための弦が無いんだわ。」
「矢を?」
「そう。気持の籠もった矢。弦が無いから力一杯放てなくて、それなのに弦が無いことに気付いてない振りをして乱れ打ちしているから、当たらない。当たっても掠る程度にしか威力がなくて、全然成果が上がらない。・・・・・・・・・・正直、悔しいわ。」
 どうやら解放運動が思っていたよりもはかどっていない事にイライラしているらしい。皆の前では毅然とした態度でなんの不安も無いような顔をしているオデッサだが、トップに立っているだけに色々と重圧を感じているのだろう。
 フリックは手にしていた本を閉じ、テーブルの上に置いた。そしてゆっくりと立ち上がり、オデッサの寝転がるベットに歩み寄ってその端に腰をかける。
「まだ始まったばかりだ。焦るなよ。」
「でも・・・・・・・・・・・・」
 泣きそうな顔で何かを訴えかけようとするオデッサに柔らかく微笑みかけ、前髪を払うように額を優しく撫でてやる。
 その手をゆっくりと動かして頭を撫で、長いサラリとした手触りの髪に指を通しながら、滅多に使わない優しい声音で語りかけた。
「お前の弓は、毀れてなんかいないよ。」
「でも・・・・・・・・・・・・」
「俺には、ちゃんと届いたぜ?」
 戯けるような笑みを浮かべながら軽く首を傾げてやれば、オデッサはひゅっと喉を鳴らしながら口を噤んだ。
 そんな彼女を宥めるように頭を撫で続けながら、更に言葉を足していく。
「ハンフリーにも、サンチェスにもな。ここに集まっている奴らには、ちゃんと届いてる。」
「でも・・・・・・・・・・・・・」
「ここにいる奴らは皆、心の強い奴だ。だが、世の中には弱い奴の方が多い。弱い奴は、行動に出るのが遅いものだ。確実な物が無いと、一歩前に踏み出せない。」
 そこで一旦言葉を切ったフリックは、その青い瞳でジッと、オデッサの瞳を見つめた。自分の言葉がちゃんと彼女の元に届くようにと。
「・・・・・・世の人間を自分のレベルで計ったら駄目だ。焦って結果を急ぐとし損じることが多い。本気で成し遂げたいと思うなら、もっと慎重に行け。」
「フリック・・・・・・・・・・・・・」
「長い目で見ろ。国の状況、人の胸の内にたまった不満。不信感、恐怖。様々な情報から自分の思いを成し遂げる目標とする日を割り出すんだ。理想だけを見て考えたのではない、現実を見据えた数字をな。漠然と前に突き進んでいるから、不安になるんだよ。」
「・・・・・・・・・・うん。」
「種を蒔いてから収穫出来るようになるまでには時間がかかる。それを忘れるなよ?」
「・・・・・・・・うん。わかった・・・・・・・・・・・分かってる。うん。」
 かけられた言葉に何度も頷いたオデッサは、目に溜めていた涙を一粒だけ眦から零し、ニコリと綺麗な笑みを浮かべて見せた。
 その笑顔で彼女が立ち直ったことを知り、フリックの顔にも自然と笑みが浮かび上がる。やはり彼女は笑っている方が良いと、そう思って。
 茶色の髪を一房掴み、そっと口付けた。そして、再度口を開く。
「大丈夫。毀れてなんか無い。例え毀れていたとしても、俺が直してやるさ。お前の思いが成し遂げられるまで、何度でもな。」
「うん・・・・・・・・・ありがとう。」
 フワリと華が綻ぶような笑みを浮かべたオデッサがゆっくりと腕をのばし、フリックの首に細い腕を巻き付けてきた。そして、フリックの頭を己の方へと引き寄せ、ゆっくりと唇を重ねる。
 重ねられた唇に労るような、慈しむような口づけを返したフリックは、オデッサの頭を、頬を優しく撫でながらゆっくりと唇を離した。
 二人の瞳が間近で見つめ合う。その距離のまま、オデッサが小さく空気を振るわせた。
「・・・・・・・・・・・貴方に矢を届ける事が出来たのが、一番の成果だわ。自分で自分を褒めたいくらいよ。」
「俺もそう思うぜ?」
 ニヤリと口角を引き上げ、今度はフリックから唇を重ねていった。
 こんな自分も悪くないなと、胸の内で呟きながら。































信頼と愛情と。










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毀れた弓