遠くから自分の名を呼ぶ声が聞えてくる。
 大きな木の幹に背中を預けて惰眠を貪っていたビクトールは、その声にピクリと眉間を震わせた。しかし、眠りの世界から脱しようと言う気にはなれず、そのまま無視する事にする。返事をしなければ相手もいつかは諦めるだろうと、思って。
 だが、相手はなかなか諦めてくれないようだ。延々とビクトールの名前を呼び続けている。と、思ったら、頭上から自分をしきりに呼んでいた者の声が落ちてきた。
「こんな所で寝てたのかい。もっと分かりやすい場所に居てくれよ。探したじゃないのか。」 呆れの色が大いに含まれたその声に、ビクトールは片目だけうっすらと開いてみせる。呼ばれた声に気付かずに、今まで眠りの世界に落ちていた、と言う振りを決め込む方が当たりが良いだろうから。
 そんなビクトールの作戦は成功したらしい。声の主であるレオナは、気分を害した様子もなく、にこやかな笑顔を浮かべて言葉を続けてきた。
「ちょっとアンタに手伝って貰いたいことがあるんだよ。来てくれないかい?」
「あ〜〜〜ん?」
 いかにも気が進まないと言いたげな声を発し、半開きの険を帯びた眼差しをレオナへと向ける。だが、そんな反応は想像の内でのものだったのだろう。彼女はビビリもしないで、むしろ対抗するように少々怒り気味で言葉を返してきた。
「良いから、早く来な。こっちは色々と仕事があって大変なんだよっ!あんたと違ってっ!」
 そう言うやいなや、レオナはビクトールの腕を掴んで力任せに引っ張り出してきた。なかなか動こうとしないビクトールに痺れを切らしたのだろう。とは言え、ビクトールは標準値よりもかなり体重が重い男だ。女の細腕ではそう簡単に引っ張り上げることが出来ない。
 それでも躍起になって腕を引っ張るレオナの様子をホンノ少しだけ可愛いなと思ってしまったビクトールは、そんな気持ちを誤魔化すようにレオナに掴まれていない方の手で己の後頭部を掻き回した。そして、おもむろに立ち上がる。
「分かった分かった。行くから、そんなに腕を引っ張るなよ。抜けるだろうが。」
「アンタの腕がそう簡単に抜けるもんかい。」
 ビクトールの軽口にクスリと笑んだレオナは、ビクトールがその場に立ち上がってからようやく腕を放した。そして、改めてビクトールに向き直る。
「まぁ、とにかく。付いてきとくれよ。」
「別に俺じゃなくても、他の奴等に言えば良いんじゃねーか?探すだけ手間だろうが。」
「アンタ向きの仕事なんだよ。」
「俺向き?」
「そうさ。だから、わざわざ探し出してやったんだよ。」
「へぇ・・・・・・・・・・・・」
 レオナの言葉に気が無さそうに返す。そんなやる気の無い態度がモロバレな対応だったが、レオナはさして気にしなかったらしい。何も言ってこなかった。変わりに、さっさと歩を進め出す。
 ビクトールの気が乗っていようが乗っていなかろうが関係ないのだろう。仕事さえやって貰えれば。レオナの態度にそんな空気がにじみ出ていた。そんなレオナの後を無言でついていくと、たどり着いた先は地下の倉庫だった。
 そこでレオナは整然と並ぶ樽を指さしながらビクトールへと視線を当て、キッパリとした口調で言って寄越す。
「コレを食堂まで運んどくれ。」
「・・・・・・・・・・・・・コレを?」
「ああ。そうさ。この中の一つを厨房の奥までね。頼んだよ。」
 それだけ言って、レオナはさっさと倉庫から出て行ってしまった。
 残されたビクトールは唖然とするしかない。
「・・・・・・・・・・・・・・・・それだけか?」
 こんな、そこらの奴を捕まえて言い渡せば良いようなことをさせられるために、自分は呼ばれたというのだろうか。
「・・・・・・・・・・なんだ、そりゃ。」
 コレが隊長のやる仕事かよ、と思ったが、普段から隊長らしい行動が無いと言われているのだ。それなのに「隊長」という役職名を振りかざして文句を言えば、こんな時だけ隊長ぶるなと、相棒に雷の一つや二つや三つや四つくらい落とされてしまうだろう。
 ビクトールは深々と息を吐き出した。そして、諦めたように呟く。
「・・・・・・・・・仕方ねぇ。運ぶか。」
 かなり重い樽を手に取り、肩に担ぎ上げてエッチラオッチラ階段を上っていく。と、丁度外から帰ってきた所らしい傭兵達と出くわした。
 彼等は皆ギョッと目を見開き、信じられないモノを見るような眼差しで樽を担ぎ上げた自分を見つめてくる。
「うわっ!隊長っ!なんすか、その樽っ!」
「あ〜〜、多分ワインだ。レオナに運べって言われてよ。」
 その言葉に、傭兵達は一瞬言葉を飲み込んだ。そして、恐る恐る問いかけてくる。
「・・・・・・・・・そんなの、良く一人で運べますね。重くないんですか?」
「まぁ、重いっちゃー重いな。」
「重いならそんな持ち方しないで下さいよ〜〜〜!」
「見てるこっちの肩が外れそうッスよ・・・・・・・・・・・」
「そうか?そこまで重くはねーけどなぁ・・・・・・・・・・」
 驚愕する部下達と軽く会話を交わしながら食堂兼酒場の厨房に足を踏みいれたビクトールは、そこで何やら作業をしていたレオナへと声をかけた。
「おう、持ってきたぜ。どこに置くんだ?」
 その声にすぐに振り返ったレオナは、ちょっと驚いたような顔をした後にクスリと小さく笑い、その細い指先を厨房の奥の一点へと指し示す。
「ああ、ありがとう。そこの壁の所に頼むよ。」
 指し示された場所に樽を置いたビクトールは、フッと息を吐き出して肩を大きく回した。さすがに少々骨が折れた。格好を付けて肩に担いだまま歩かずに、階段を上りきって平地に出た所で転がして歩けば良かった。
 そんな反省をしているビクトールに、レオナが感心したように語りかけてくる。
「さすがに力があるね。これを一人で運ぶなんて。他の奴等には出来ないよ。」
「あ?あぁ。さすがにちょっと応えたけどな。これくらいならまぁ、出来ないこともねーよ。力仕事だったら、得意だぜ?」
「そうだろうね。だからあんたに頼んだんだし。」
「けどよ、二人がかりで運んだらもっと早く運べただろうが。なんでわざわざ俺を呼んだんだ?」
 その問いに、レオナは小さく笑った。からかいの色を多分に含んだ笑みをその端整な顔に刻み込むようにして。そして、綺麗に紅が引かれた唇から柔らかい声を発してくる。
「それくらいしか、アンタの使い道は無いだろう?馬鹿とハサミは使いようってね。」
「なっ・・・・・・・・!馬鹿とはなんだっ、馬鹿とはっ!ってか、俺に仕事が無いってのはなんなんだっ!俺だって日々真面目に働いてんだぞっ!」
 あまりの言われように思わず速攻で食ってかかった。だが、レオナはその言葉を聞き入れるつもりがないらしい。意地の悪い笑みを絶やすことなく、軽く首を傾げて見せた。
「そうかい?」
「そうだっ!」
「隊長がやるべき仕事を副隊長に押しつけててもかい?」
「うっ・・・・・・・・・・・・・・」
 ソレを言われると反論出来ない物がある。確かに、そう言う意味では自分は隊長としての職務を全うしていないので。
 そんなビクトールの詰まりを見逃すレオナではない。彼女はニヤリと口角を引き上げ、言葉を続けてきた。
「アンタがやんなきゃいけない仕事は、みんなあの子がやっている気がするんだけどね。違うのかい?」
「う〜〜〜あ〜〜〜〜それは、その・・・・・・・・・・・・・・」
「根をつめすぎて食事に降りてこないことだってザラなんだよ、あの子は。少しはアンタも見習いな。暢気に昼寝を決め込んでないでさ。」
 そう言われ、平手で額を叩かれたら、ビクトールには口を噤むことしかできない。レオナの言っている事はまったくもってその通りなので。
 正直自分でもフリックに任せすぎだと思う。ビクトールが手を出さないことに文句を言いはしても無理矢理やらせようとしてこないからと言って、自分がやるべき仕事から逃れている今の状況は良くないと思っている。そんなフリックの態度に甘えていると自覚している。
 とは言え、事務仕事のなんたるかを知らない自分が手を出すと余計な仕事を増やしそうだから、迂闊に手を出すことも出来ない。手を出しても出さなくても足手纏いなのだ。だったら、最初から手を出さない方が潔いのではと勝手に思っている。
 レオナもそれは分かっているのだろう。フリックの仕事を手伝えとはあまり言ってこない。今も、そう言う言葉は使っていない。その代わり、妙に細かい仕事を言い渡してくるのだが。
「とにかく、アンタはアンタに出来る仕事を真面目にやりな。毎日毎日プラプラしてられたんじゃ、こっちのやる気も失せてくるってもんだよ。」
「分かった分かった。気を付けるよ。」
「本当かい?だったら、文句を言わないで私の命令に従うんだね。」
 出来の悪い子供を叱りつけるような口調で言われ、苦笑を浮かべながら軽い口調で頷いたビクトールに、レオナは信用出来ないと言わんばかりの眼差しを向けながらそう言葉を続けてきた。
 その言葉に、ビクトールは軽く瞳を見開いた。そして、納得が行かないと言うように軽く睨む。
「なんでそうなんだよ。」
「あんたらに栄養を与えているのは私なんだよ?逆らうんじゃないよ。逆らったら一食抜くよ?」
「へぇへぇ。」
 口で戦っても勝ち目が無いのは分かり切っていることだ。ビクトールは直ぐさま反論することを飽きため、気のない声で軽く頷いた。
 これ以上この場に居ても説教されるだけだろうと判断したビクトールは、話はこれで終りとばかりにさっさと厨房から立ち去ろうと踵を返したが、そうは行かないようだ。直ぐさまレオナの声が背中にかかり、ビクトールの動きに制止させた。
「ちょっと待ちな。」
 その声に、ビクトールは素直に足を止め、ゆっくりと振り返った。瞳にはウンザリした色を濃く出した光を宿しながら。
「なんだよ、まだなんかあるのかよ。」
「ああ、もう一つ仕事を頼まれておくれ。」
「あーーーー?」
「はい、これ。」
 気安い動作で差し出された盆の上には、食べやすいサイズに切り分けられたサンドウィッチとカップの中に注がれた温かい湯気の出ているスープが載っていた。
 コレはもしやとレオナの顔を見つめれば、彼女は小さく頷きを返してくる。
「届けてやんな。今日の昼はまだ食べてないんだよ。あの子。」
 その言葉に答える前に、少し息を吸い込んだ。そして、ニヤリと口角を引き上げる。
「・・・・・・・・おう。任せておけ。」
 自信満々に頷いた後差し出された盆を受け取り、直ぐさま踵を返して歩を進める。今度は、レオナの制止の声はかからなかった。先程の少し淀んだ気分が払拭され、妙にテンションを高くしながら厨房から出る。
 仕事が立て込んでいる時に、用もないのに執務室に足を踏みいれるとフリックの逆鱗に触れるため、そうそう気軽に彼の仕事場に赴くことが出来ないのだが、コレがあれば大手を振って彼の元へ行ける。
 彼が食事をする間位は、雑談を交わす事も出来るだろう。
「ナイス采配だ、レオナ。」
 お前は軍師にもなれるぜ。
 そんなことを考えながら、ビクトールは盆を片手に軽快な足取りで階段を上っていった。半日振りに相棒の顔を見られる事に、抑えきれない喜びを感じながら。
 そんなビクトールの背中を見つめながら、レオナが小さく呟いていたことに気付きもせずに。
「馬鹿とハサミは使いよう・・・・・・・・・・ってね。」
 そう呟くレオナの顔には、優しい笑みが浮かんでいた。





















砦初期に近い時期。







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はさみ