放課後、部室に入ると、そこには先客が一人いた。
「・・・・・・・・・ちゅーす。」
「・・・・・・・・・・・おう。」
 何となく気まずい空気が室内に流れた。
 それも仕方の無い事だろう。彼が、三井がバスケ部に復帰して一週間位しか経っていないのだ。あれだけデカイ事をしでかした割には、部員の中にとけ込んでいるとは思う。
 皆、三井に対して胸の内には色々あるだろうが、それを表に出さずに部活に励んでいる。
 それは変な悲壮感も無ければ妙に萎縮しているわけでもなく、むしろ今まで一緒にやってきた仲間の様に振る舞っている三井の態度のせいかも知れないし、思っていた以上に三井のバスケの腕が良かったからかも知れない。
 確かに、宮城も彼の力量には驚かされた。なんで二年もの間ボールに触っていないのに、こんなにも自在にボールを扱うのだろうかと。あんなにシュートが入るのだろうかと。
 彼が加われば、今年の湘北は良い線に行くだろう。まだ実戦でどういう動きをするのか分からないが。流川と言う才能に溢れた一年も居る事だし、去年よりは良いところに行くはずだ。
 そう思うからこそ、宮城も過去の出来事を忘れるよう努力していた。とは言え、簡単に忘れられるモノでもない。彼のせいで大けがして入院し、その間バスケが出来なかったのだから。
 表面上の態度は取り繕えたが、内面までは上手く取り繕えない。だから、不意に二人きりになるとどういう態度を取って良いのか分からなくなり、自然と口を噤んでしまうのだった。
 とは言え、この沈黙は何とも言えず重苦しい。当たり障りの無い話題でも振って、友好を深めるべきだろうか。と言うか、出戻りの方が気を使って何か言ってくれない物だろうか。そんな事を胸の内で考えていたら、突如三井が声を上げてきた。
「うわっ!」
 その叫び声に着替えていた手を止め、視線を声の方へと向けてみる。すると、視線の先で、三井が何やらショックを受けたような顔で自分の足下を見つめている。
「・・・・・・・・どうしたんすか?三井さん。」
 問いかけながら自分も彼の足下へと視線を向けてみると、そこには小さなチューブが転がっていた。
「・・・・・・・・・絵の具?」
「おう。今日は美術があったんだよ。一々持って帰るのも面倒だから、ロッカーの中に置いて帰ろうと思って鞄に突っ込んで置いたの忘れてたぜ・・・・・・・・・・」
 どうやら絵の具の存在を忘れて、鞄の中のモノを派手に引っ張り出したらしい。なんとも間抜けな話しだ。そう思った宮城だったが、眉間に皺を寄せながらブツブツと呟く男の間抜けな行動とは違う事に、しばし言葉を失った。
「・・・・・・三井さん。選択美術なの?」
「おう。」
 床に散らばる絵の具を箱の中に適当に押し込んでいた三井は、呆然とした宮城の問いかけに軽い調子で頷きを返してきた。
 その三井の反応に、宮城は再度問いかける。
「なんで?」
 問われた言葉の意味が分からなかったらしい。落とした絵の具を全て収めた箱をロッカーの中に投げ込みながら、三井は小さく首を傾げながら眉間に皺を寄せて見せた。
「なんでって・・・・・・・・・何がだ?」
 問われ、宮城も問いを返す。
「なんで美術なんすか?」
「はぁ?」
「・・・・・・・・・・・なんか、似合わないッスよ?」
「・・・・・・・・・・・てめぇ・・・・・・・・・・」
 思わず零した本音に、三井の眉間の皺がより一層深くなり、視線は険を帯びてくる。その表情は、二年間不良をしていた実績が浮き彫りになっていてかなり怖い。しかし、そんな表情に竦む宮城ではない。睨まれた事など気にもせず、思った事を口にしていく。
「美術なんて作品を提出しないといけないじゃ無いですか。不良な人が選ぶ教科じゃないっすよ。普通音楽とか行きません?」
「人前で歌を歌ったり笛を吹いたりする趣味はねーんだよ。俺には。」
「じゃあ、書道は?」
「ああいうのは趣味じゃねー。」
「じゃあ、美術は趣味なんですか?」
「いいや、別に?」
「じゃあ、なんで?」
「もしかしたらヌードモデルが来るかも知れねーじゃん?だから。」
 こともなげにそう言い切る男の言葉に、しばし唖然とした。
 そんなもの、専門の学校ならまだしも、普通の公立高校に来るわけ無いではないか。そんな事は考えなくてもわかりそうなものだが。彼は本気でそんな事を言っているのだろうか。
 思わず顔を覗き込むと、彼は不敵な笑みを浮かべて返した。
 その笑みからは、彼の胸の内を探る事が出来ない。
 大した付き合いではないが、喜怒哀楽が激しいこの上級生の表情はとても読みやすいと思っていた。黙っているときでも、その顔を見れば彼が何を考えているのか察する事が出来るくらいだったから。
 しかし、今の彼の表情からはまったく何も読み取れない。
 本気でそう思っているのか。それともタダの冗談なのか。はたまた言葉の裏に違った意味合いが隠されているのか。そのどれもが正解のような気がするし、間違いな気もする。
 いったいどう判断したら良いものかと首を捻りながら、宮城はジッと、三井の行動を見つめていた。部活に参加するための着替えを再開し始めた彼の姿を。
 身長も体重も、宮城よりも目方が多いのに、何故か細いという印象が窺える。縦の長さの割には重さが足りないからかも知れない。しかし、平均的な男子高校生よりも長身でスタイルも良い。髪を切った事により小さかった頭は更に小さく見え、その端整な顔を隠すことなく日の下に晒している。
 宮城が付けた顎の傷など少しも気にならないくらいに綺麗に整った容貌。
 腕っ節が強い分けでも無いのに学校の不良グループを従えていた男。
いったい何故彼が堀田達を従える事になったのか、不思議でしょうがない。堀田もそう喧嘩が強いわけではないが、少なくても三井よりも強いと思うのだが。
 もしかしたら、バスケ部襲撃時には見せなかった裏技を持っているのかも知れない。
 堀田達との戦いの場でそれを使い、堀田達を従える結果をもたらして来たのだろうか。
 そんな事を脳内でつらつらと考えていたら、いきなり目の前に端整な顔が飛び込んできて、ハッと息を飲む。
「なっ・・・・・・・!」
「な〜にジロジロ見てんだよ。てめー。」
「べ・・・・・・・・・・別に、ジロジロ見ていたわけじゃ・・・・・・・・」
「そうかぁ?舐めるような視線を感じたんだけどねぇ?」
 ニヤニヤと笑いながら宮城の顔を覗き込んでくる三井の表情から、彼が自分の事をからかって遊んでいるだけなのだと言う事に気が付いた。途端に、宮城の眉間にも深い皺が刻まれて行く。
「そんな目で見るわけ無いじゃないっすか!アヤちゃんならともかくとして、男のあんたの事なんかっ!!」
「本当か?じゃあ、なんで俺の事を見てたんだ?」
「それは・・・・・・・・・・・」
 聞かれ、少々言いよどむ。何となく、胸の内にモヤモヤとした思いがあったから。でも、その思いは明確な言葉にならず、口に出す事は出来ない。だから、宮城は適当な言葉を口に上らせた。
「喧嘩が強いわけでも無いのに、なんで堀田達を従えてられたのかなぁと、思って。」
「はぁ?」
「だって、あーゆー世界って、強くてなんぼでしょ?なんで?」
「人徳だろ。」
 サラリと言われた言葉は、一番三井に相応しくない気がした。
 非難がましい目で見たら怒るだろうなと思いながらも、不服を表すように睨み付けてやる。しかし、予想に反して、三井はその視線に怒るでもなく、苦笑を返してきた。
「まぁ、不良の世界にも色々あるって事さ。」
「はぐらかさないで下さいよ。」
「お前が聞いてもしょうがない事だろ。気にすんな。終わった事だ。」
「一番あんたに迷惑かけられたのは俺なんだから、聞く権利位あると思うんですけど?」
「なんだそりゃ。」
 強硬に詰め寄る宮城の態度に唖然としたような表情で瞳を瞬いていた三井だったが、すぐにその顔をからかうような笑みに変え、軽く上体を屈めて宮城の顔を覗き込んできた。
「・・・・・・・・・お前、そんなに俺の事が気になるわけ?」
「なっ・・・・・・・・俺は、別に・・・・・・・・・・・っ!」
「あーー。照れるな照れるな。俺様程カッコイイ男はそう居ないからな。その気持ちは良く分かるぞー。」
「てめーっ!勝手な事・・・・・・・・・・っ!」
「俺さぁ。」
 宮城の怒りなどまったく頓着せず、三井はニヤニヤと質の悪い笑みを浮かべ続けている。
 そんな、人を馬鹿にしたような笑みなのに、何故こんなにも引きつけられるのだろうか。
 妙に跳ね上がる宮城の心臓の音など聞えていないのだろう。三井は表情を崩す事無く、言葉を続けてくる。
「不良をやっている二年間で、良く言われた言葉があるんだよな。」
「・・・・・・・・・なんすか?」
 警戒心も露わに問い返す。そんな宮城に、三井はふわりと、今まで見た事の無い優しい笑みを向けた。
 その笑みに、宮城はハッと息を飲む。
 そんな宮城の耳元に唇を寄せ、三井が囁きを落としてくる。
「『お前の肌は、象牙の様だ・・・・・・・・・・』ってな。」
 そう耳に吹き込まれた瞬間、宮城の顔にカッと血が上った。耳にかかる暖かな吐息と、耳に直接吹き込まれた女を口説いている様な甘い声のせいで。
 その衝撃で大きく見開かれた目にはジンワリと涙が浮かんで来て、心臓は一試合終わった直後の様にバクバク言っている。
 何か言い返そうと思いつつも、身体が小刻みに震えていて、上手く言葉を紡げない。
 こんな態度をとったらそれこそ三井の言っているような事を肯定している様ではないかと、内心で焦る。とにかく何か言い訳しなければと顔を上げた宮城の視界に、妙に冷たい瞳で自分の事を見下ろしていた三井の顔が飛び込んできた。
 先程とは違った意味でハッと息を飲む宮城の反応に気付いたのだろう。一瞬でその表情を霧散させた三井は、いつもの人を馬鹿にしたような笑みを浮かべ直した。先程見た瞳の色は見間違いだったのではと思うくらいに、その変化は鮮やかだった。
「なーに焦ってんだよ。俺に襲われると思ったのか?」
「いや、別に、そんな・・・・・・・・・・・・」
「世の中の半分が女だってーのに、なんでわざわざ男なんか襲わなきゃなんねーんだよ。」
 クククッと喉の奥で笑いを零した三井は、それで話しは終わりだとばかりにドアへと向って歩を進めていった。
「お前もさっさと着替えて体育館に来いよ。」
 ドアを閉める前にそれだけ言い置いて、三井はさっさと部屋から出て行ってしまった。
 彼の足音が遠ざかって行くのを耳にしながら、宮城はフラリと身体を動かし、背後にあったロッカーへと背中をぶつけた。そしてそのまま、ズルズルとその場に座り込んでいく。
「・・・・・・・・・んだよ、あの人・・・・・・・・・・・・・」
 早いリズムを刻む鼓動が止まらない。このままでは破裂してしまうのでは無いかと、そう思うくらいに鼓動が跳ねる。
「・・・・・・・・・・ってか、俺もなんなんだよ・・・・・・・・・・・・・・」
 男の先輩に微笑みかけられた位で。
 耳元で囁かれた位で。
「・・・・・・・・・・・・勘弁してくれ・・・・・・・・・・・・・・」
 俺はアヤちゃん一筋なんだよ。
 そう胸の内で零しながら、宮城は長い間頭を抱えていた。
 三井の微笑みが、甘い囁きが。頭から離れなくて。




















そして、心が捕らわれる。











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